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1921年 日本人16人を死傷させた朝鮮人 李判能事件

関東大震災の2年前に起こった事件
日本人16人を死傷させた朝鮮人 李判能事件


<ポイント>
関東大震災時の朝鮮人虐殺のキッカケ
李判能事件を知っているか?
・日本人16人を死傷した朝鮮人


文字数:4,985文字
――――――――――――――――――――――――――――――――



関東大震災朝鮮人虐殺のキッカケ「李判能事件」


1923年9月1日 東京を巨大地震が襲った。関東大震災である。
この地震では多くの被害が出たが、
それにもまして恐ろしかったのは行政機関が一時的にマヒしたことだ。
そのため治安が一時的に乱れることになった。


この時に起きたのが朝鮮人虐殺である。


これは治安秩序が乱れた中で、「朝鮮人が犯罪行為をしている」という噂が立ち、
それに対して民衆が作った自警団が暴走して、朝鮮人を殺害したという事件だ。


この被害者について韓国方面からは約6千人が殺されたという説があるが、
これは多すぎるだろう。しかし数百人規模にはなるというのが実情のようだ。


巷ではこの朝鮮人虐殺はデマであるという説もあるが、これは反日メディアだけではなく、
当時の資料にも、目撃者の証言にも書いてある、間違いのない事実である。
韓国方面が約6千人の被害者というのと同様に、
虐殺自体が無かったというのは悪質なデマとしか言いようがない。



しかしこの事件を巡っては現代においても釈然としないものがある。


というのはどうしてこのような事件が起きたのかということを指摘するのではなく、
ただ単に「日本が悪い」という文脈“のみ”で使われているように思うからだ。


その証拠に「朝鮮人虐殺」を否定する言説には一部新聞社が社説を使ってまで攻撃するのに、
そのキッカケになったと思われる事件には、ほとんど言及しないからだ。
むしろそういう事件には目を背けようとしているようにさえ思う。


そこで今回日本人が朝鮮人に対して警戒するキッカケとなった
16人もの日本人を死傷した事件「李判能事件」について記す。





関東大震災前夜の朝鮮人の状況!

1910年、日本は朝鮮半島を併合した。
これによって日本と朝鮮半島は同じ国となり、
そのため朝鮮人は大挙して来日することになる。


現在のアメリトランプ大統領やEUの極右政党ではないが、
外国人(法的には外国人ではない)が大量に増加することは、
そこに元から住んでいた人に警戒感を引起す。
当時日本で起きていることも同じだった。



日本に来日した朝鮮人が急増したことで、日本人の中に警戒感が起こっていた。
その数は関東大震災の直前の10年間で20倍(3,635→80,415)
にもなる急増ぶりを示している。

<参考:日本国内における在日朝鮮人数>
     (在日朝鮮人数) (増減)
 1913年   3,635人
   14年   3,542人(   ▲93)
   15年   3,917人(   375)
   16年   5,624人( 1,707)
   17年  14,502人( 8,878)
   18年  22,411人( 7,909)
   19年  26,605人( 4,194)
   20年  30,189人( 3,584)
   21年  38,651人( 8,462)
   22年  59,722人(21,071)
   23年  80,415人(20,693)
   24年 118,152人(37,737)
   25年 129,870人(11,718)
   26年 148,015人(18,145) 



さらに朝鮮人を警戒する2つの理由があった。
1つは彼らの犯罪数の多さだ。もう一つは彼らが定住しなかったことだ。


彼らの犯罪数と言っても殺人などではなく、窃盗が多い。
彼らは日本に来ても仕事がないケースもあり、
食うや食わずの身で犯罪に手を染めることもある。


それからもう一つの定住者が少ないというのはどういうことかというと、
彼ら朝鮮人朝鮮半島から日本に来たばかりだった。
そこで良い職場があればすぐに異動する。
彼らは定住する場所がまだできていないため、そういうことができるのだが、
日本人からすると、隣に得体のしれない人物が住み着くことになるので、警戒感が高まった。


そこで関東大震災の2年前、朝鮮人が起こした犯罪が李判能事件だった。





李判能事件!


関東大震災が起きた時の警視総監は赤池濃であったが、
彼によると朝鮮人虐殺が起きた背景として、この李判能事件があるという

 東京人は李判能が卒然兇器を揮て十六人を惨殺せることを想起する。
之が為めに朝鮮人と云えば無性に恐怖するのである。

赤字は筆者


 この李判能事件は、朝鮮人李判能が凶器をもって、
16人を死傷(8人殺害、8人ケガ)させた事件である。


 では李判能事件とはどういう事件か?


 1921年6月3日午前0時10分ごろ、
市電の運転手をしている朝鮮人李判能(35)が突然、
同居していた日本人家族4人(夫32、妻30、長男9、次男5)を金鎚と短刀で惨殺した。


 李はそれだけでは納まらず、会社の上司宅に行き、上司を殺害することを決意。
それを自分の妻に止められたことから、妻(27)を金鎚で頭部を叩き、短刀で刺した。


 上司宅に向かう途中に、通行人(43)を襲い、大けがをさせた。
 さらに上司宅では上司と妻(37)を惨殺、
一緒にいた次男(6)、三男(3)も殺し、長男(10)は大けがをした。


 その後一時自宅へ引き返した。
 自宅では瀕死の重傷を負っていた自分の妻を再度刺し、「まだ殺す奴がある」と再び飛び出し、
その途中で通行中のS(52)とM(19)を襲撃して重傷を負わせた。
 この時の「殺す奴」とは結局不明である。


 Mは驚いて、近くの自宅に逃げ込んだが、
李はこれを追ってM家に乱入、父親(58)が取り押さえようとすると、
父親を殴りつけ重傷を負わせて家から飛び出した。


 その後も通行中の2名に重傷を負わせるなど凶行は続いた。


 この事件を聞きつけた警察官が駆け付けると、李は慌てて逃げだした。
そして警察官が追いかけるが、もう少しというところで市電の線路に足をとられて転倒をした。
したたか腰を打って立ち上がれないのを見ると、李は戻ってきて警察官を襲撃した。


 李は警察官の頭部をめがけて金鎚を振り下ろしたが、警察官は頭を避け、肩に一撃を喰らった。
肩甲骨を砕かれながらも警察官は李を投げ飛ばし、立ち上がると抜刀して
「手向かうと切り殺すぞ」と叫ぶと、李は気迫に押されて、凶器を捨てて御用となった。


 これが李判能事件のあらましである






なぜ事件は起きたのか?


 ところでこのような凶行に及んだ李判能はどのような精神状態だったのか。
李の行動から正常ではないと思われたが、彼は正常であった
 現在のような精神鑑定はもちろん行われなかったが、
裁判中も何らおかしなところはなかった。


 先程書いたように李は市電の運転手だった。そして殺された日本人も職場の同僚だった。
この2人が同居したキッカケは、家賃が高かったために、同居して分担するためだった。
お互いに一つ屋根の下で生活することで、生活費を節約しようということになった。


元々住んでいたのは李で、日本人家族は李に誘われて同居している。
同居を始めたのは事件の2か月前からだ。もちろんお互いに顔見知りであるし、
仕事関係とは言え付き合いもある。
このような理由から、職場関係としては元々朝鮮人の李と
殺された日本人の間では問題が無かった


 しかし家族同士で住みつくと、色々なトラブルが起きた。
特に民族が違う2家族が同じ屋根の下で暮らすと問題も大きくなった。
 最初関係が悪化したのは妻同士だった。
共同生活が始まって1カ月もたつと些細なことから反目するようになり、
トラブルも続出した。


 そして事件のキッカケとなる事柄が起きる。


 5月29日、李の妻が、手拭いが無くなったと言い出したのだ。
それもあたかも日本人妻が盗んだような口ぶりでわめきだしたのだ。
 日本人妻も黙っておらず、言い合って喧嘩となり、双方ともに口汚く罵り合った。
ついに両方の夫が大立ち回りを演じるほどになった。


 この時は近所の人が仲裁に入り、何とか納まったが、翌日もその次も言い合いを続け、
31日には李が同僚を泥棒呼ばわりするようになった。
そこでまた立ち回ったことで、李は同僚を警察に告訴した。容疑は窃盗と傷害である。


しかし警察が調べたところ李の申告場所に外傷が無かった。
そのため傷害事件としては立件ができない旨伝えた。
なおかつ手拭いの窃盗も確たる証拠がない。
それに古手拭い一本で家宅捜索をする訳にもいかず、結局、李をなだめて帰した。


それに対して李は

俺が朝鮮人だから、警察は日本人の肩を持った

と逆恨みをした。そして復讐することを考えた。


一方このことを伝え聞いた市電の職場上司は関係を仲裁しようと動いた。
両者を仲直りさせるべく6月2日の夜に2人を呼んで説諭した上、
酒を3人で飲んでケリをつけた。


ハズだった!



しかし李判能はそう考えていなかった


その夜に自宅に帰った李は冷酒を飲みながら、だんだん腹を立てていた。
妻の酌で飲んでいた李。酔いが回るに従って興奮していった彼は、
感情が高ぶるのを抑えられなくなっていった。
そして金鎚と短刀を持ち出して、妻が止めるのも聞かずに
隣室に飛び込んで日本人家族を襲撃したのだった。




キッカケになったのは古手拭い一本。
しかし同居して2カ月でそこまで関係が悪化するとは信じがたい。

裁判で李判能はこう言っている。

内地人は皆自分達を馬鹿にしている。
頼りに思う警察までも、訴えても受け付けなかった。
自分たち朝鮮人は、この世では誰にも頼ることができない。
地獄に行って仏に頼るより仕方がない。
この期に及んでは恨みになる奴を殺して、自分も死ぬつもりだった。

と声を震わして号泣した。


李は酒を飲んで発作的に犯行をしたのではなく、
犯行をするために酒を飲んだことを裁判で認めた。つまり確信犯だったのだ。


因みにこれだけの犯罪を実行した李判能は、裁判では死刑にならず、無期懲役になった。
身勝手な理由で職場の同僚を逆恨みし、罪のない子供まで惨殺し、
さらに見ず知らずの通行人までも襲撃してけがをさせた李に対しても、
当時は死刑にならなかったのだ。




知られていない李判能事件!


 この事件の影響は警視総監赤池濃によると絶大だったようだ。
これにより、朝鮮人への恐怖が日本人に植え付けられた。


先に書いた、朝鮮人が急激に増加していること、
その朝鮮人の犯罪数が多かった(但し窃盗が多い)こと、さらに定住せず移動が多く、
日本人とのコミュニケーションが少なかったことなどが重なり、
得体のしれないというイメージが蔓延し、この事件がダメ押しになった。


この事件は当時の豊多摩郡で起きた。
豊多摩郡とは現在の東京都渋谷区や新宿区、杉並区などにあたる場所で、
そういう意味では東京近辺に住む人に大いなるショックを与えた。



筆者は李判能事件をもって、「関東大震災における朝鮮人虐殺」を
肯定しようとも正当化しようとも思わない


しかしこのような事件があったことを
ほとんどの日本人は知らない


それでは結局、朝鮮人虐殺事件が起きた背景や
当時の日本人の恐怖心が理解できないだろう。
ましてや巨大地震により、突然行政機関が無くなり、治安が維持できなくなった時、
当時の日本人がどのような気持ちだったのかを理解することはできない。


戦後の日本では戦前の否定をすることが正しかった。
つまり理由はともあれ、「日本が悪かった」ということだけを言っていれば良かった。


それ故に当時の被害者?である朝鮮人や中国人を「過度に持ち上げる癖」がある。
日韓や日中で歴史問題が起きた時に、積極的に日本否定をする風潮がある。


李判能事件を取り上げることは朝鮮人への批判につながり、
ひいては「日本が悪い」という戦後日本の風潮に逆行する報道となる。
それはむしろ積極的に「日本が悪い」という報道を続けてきた
マスメディアにとって都合が悪いからなのかもしれない。


日本を否定すること、それが正しいのだ!



しかしそれは韓国や中国への迎合する心理を生む。
とにかく日本を否定して、中韓を持ち上げればいい、という安易な考えになる。
この両者がトラブルになると、日本を否定し、
韓国や中国に迎合する報道が続くのはその一環である。
これこそが一般的に反日と言われるものではないのか?


歴史の学ぶためには、正しい事実を知らなければならない。
しかし「日本下げ」を企図している人は、日本を殊更否定する“事実”のみを繰り返し提示して、
そうじゃない事実(例えば李判能事件のようなコリアンにとって都合の悪い)には目を瞑るのだ。


これが多くの人たちに、メディアに対する不信感を持たれる所以であろう。
そしてネットに対して真実性を持たれる理由であろう。


「マスコミは偏向している。頼れるのはネットだけだ」
こういう意見が真実性をもって理解されるのは、
マスコミ自身の責任である。

日韓の不毛の元凶!「歴史に学べ」日本と韓国の意味の違い!



・「歴史に学べ」日本と韓国の違い
・日本と韓国は歴史の考え方が違う
・日韓の歴史論争など不毛

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日本と韓国は歴史問題により長年対立してきた。
それはどうしてだろうか?

日本が歴史を真摯に反省しないから?
韓国人の気持ちを理解しようとしないから?
そうではありません。

日本と韓国では歴史に対する考えが違うのだ。



<目 次>
1. 日韓歴史対立
2. 韓国の反日に対する日本の考え方
3. 「歴史に学べ」とはどういう意味か?
4. 日本における「歴史に学べ」の意味
5. 韓国における「歴史に学べ」の意味
6. 6.日本の歴史と韓国の歴史
7. まとめ



1.日韓歴史対立
日本と韓国では長い間に歴史問題で対立してきた。
それは現在でも続いている。
それはどうしてだろう?

過去、日本は朝鮮半島を支配した。 
日本は江戸時代の末期に、黒船が来航し、強制的に開国を迫られ、開国した。
その前にアヘン戦争で欧米に敗北する清国の状況を見ており、
欧米列強国に脅威を感じた日本は、封建的な国から近代的に
国に作り替えていった。

幕藩体制から中央集権国家になり、工業化を進めて富国強兵政策を行い、
国を強化して、日清日露戦争を経て、世界一等国の地位を獲得した。

そして帝国主義国となった日本は、朝鮮半島を併合し、
35年間支配して日本の敗戦とともに解放されることとになる


その後、独立国となった韓国は、
日本とたびたび歴史問題で衝突することになる。
例えば日本との国交正常化が終戦後20年もたった
1965年になったのもそれが一つの理由でした。

1953年、まだ国交正常化交渉の初期の時、
日本の代表だった外交官の久保田氏は、
韓国との交渉中に「日本の統治は良いこともやった」と述べた。
それに対して韓国側が態度を硬化させ、
正常化交渉を4年間にわたって停滞するということになります。


また1982年の教科書問題、85年の靖国参拝問題、
90年代以降の慰安婦問題など節目節目に歴史問題が顔を出す。


昨今の日韓では、まさに歴史問題というのが
最大の問題として横たわっている。
互いの国民が相手国を批判し、関係は悪化している。
以前は韓国側が日本を批判しても、日本側はそうではなかった。
しかし最近は日本側も積極的に反発するようになっている。


これが最近の日韓対立の特徴である。
これはどうしてでしょうか?

その理由は日本と韓国の「歴史」の対する考え方の違いがある。




2.韓国の反日に対する日本の考え方
韓国と日本の「歴史」に対する考え方の違いを検討する前に、
日本側が韓国の反発をどのように考えていたのかを検討してみる。


李承晩の存在
日本はもちろん韓国と国交正常化をしたかった。
韓国は反共国であり、東陣営の北朝鮮と対立している。
北朝鮮の背後には共産国の盟主ソ連と中国がいる。
日本としては韓国を後押しするために、
国交を正常化する必要があった。

しかしそれがなかなか進まない。

戦後は日本も韓国も大変な状況だった。
故に交渉が進まないのも仕方がない。
しかしアメリカの後押しもあり、
1951年から予備交渉をするようになった。
そして国交正常化するのは1965年。
つまり足掛け14年もかかった長い交渉だった。

それを阻害していたのは韓国の李承晩大統領だ。

李承晩大統領は反日の闘士としての経歴を持っていた。
1919年に作られた大韓民国臨時政府
(最初、中国の上海に置かれたことから「上海臨時政府」と言われる)の
初代リーダーに選出され、その後解任されるもののアメリカで
独立運動を行っていた。

また彼は韓国人で初めてアメリカの大学を出た人物であり、
さらに日本統治時代の朝鮮半島にほとんどいなかったため、
手が汚れていない(日本と妥協していない)人物としても知られている。

李承晩大統領にとっては反日というのは、
韓国人の支持を集めるための武器だったのだ。

このような状況のために、日本では李承晩大統領がいるうちは、
国交正常化は進まないという考えがあった。


貧しさゆえに
 因みに李承晩大統領は1960年に韓国国民の反発を受けて失脚する。
その後は民主的な政権ができる。さらに1年後には朴正煕のクーデターがあり、
再び韓国は独裁的な政権(一応、選挙はある)が握ることになる。

 李承晩と違い、朴正煕は日本統治時代に生まれ、
日本の教育を受け、日本語がペラペラの人である。
さらに士官学校を出て、満州国の軍人として終戦を迎えている。

 このような中でも韓国では反日意識があった。
それが爆発したのは1974年であった。
 当時、韓国では文世光事件があった。

 1984年8月15日。
この日は韓国では光復の日(日本統治から解放された日)であった。
その光復の式典に参加していた在日コリアンがいた。
彼の名は文世光
彼は北朝鮮側の唆しによって、日本の派出所から拳銃を盗み、
韓国に渡航して、朴正煕大統領を射殺しようとしていた。

 事件は朴正煕大統領には当たらなかったが、
朴正煕夫人に当たり、夫人はのちに死亡した。
これが日本の警察から盗まれた銃ということで、韓国政府と韓国国民は激高した。

 翌9月には日本大使館襲撃されるまでになった。

 当時の日本の考えは、大統領夫人が射殺されたショッキングな出来事と
いうこととともに韓国が貧しいから不満を逸らすために、
反日を煽っているという考えがあった。

 実は信じられないかもしれないが、1960年当時(つまり文世光事件の14年)には
一人当たりのGNP(当時はGDPをあまり使わず)では、北朝鮮が多かったのだ。
つまり韓国はそれほどまでに貧しい国だった。

 それ故に韓国国民は貧しいから韓国政府の反日扇動に影響を受けるので、
韓国が経済発展して豊かな国になれば、韓国は反日をしなくなると考えた。

 そして経済援助などを多くして、
なおかつ技術供与及び経営ノウハウなどを提供していった。
韓国の経済発展に多大な貢献をしていったのだ。

 しかし経済発展をしても反日はおさまらない。
どころかむしろ悪化しているのが現状なのだ。


真摯な反省
 そして「貧しさ」と並列で言われてきたのが、日本の真摯な反省の不足である。

日本が昔韓国を併合し、彼らは途端の苦しみに喘いだ。
それに対する反省が必要なのだが、日本は真摯に取り組んでこなかった。

確かに総理大臣が謝罪したことはある。
しかしその後にA級戦犯が合祀されている
靖国神社に参拝するなどとても反省したとは思えない。

日本が歴史に対する真摯な反省をしないから、韓国は日本を許さないのだ。

 という考えだ。

 これは主に左翼系の人が主張することで、
保守的なおよび右寄りな考えを批判するときに使うのだが、
日本国内でもある一定の支持がある考えだ。

 歴史教科書問題、靖国問題慰安婦問題などの問題が
こじれると必ず韓国側だけではなく、日本側からも主張されるのだ。
ある面、定番と言っても良い主張だ



最近の状況
この3つというのが、戦後の日韓関係がギクシャクするときに言われる理屈だった。
戦後の日本では日韓関係を改善する必要性を感じてはいたが、
韓国政府および韓国国民の反発を見て、

どのように理解すべきか?

ということを考えてきたが、戦後の日本ではこの3つの考え及びそのミックスだった。
とくに近年では3番目、つまり「真摯な反省」のみがよく言われている。
なぜなら李承晩はずっと前に失脚しているし、韓国が貧しい時代はかなり前になっているからだ。


「日本が真摯に反省しないから日韓関係が悪いのだ」というのが唯一の考えになっている。

しかしそれが最近揺らいでいる。


本当に日本が真摯に反省しないから歴史問題があるのだろうか?…と。

実はここに問題がある
その理由は日本と韓国では歴史に対する考え方が違うからだ。




3.「歴史に学べ」とはどういう意味か?

「歴史に学べ」とはプロイセンの宰相ビスマルクの言葉である。
このほかにも多くの人が西洋東洋問わずに同様な発言をしているが、
日本で取り上げられるのはビスマルクの言葉だ。

実は彼自身は「歴史に学べ」とは言っていない

彼が言っているのは
「他人の経験から学べ」である。

自分の経験を絶対視することなく、より多くの他人の経験から、
特に他人の失敗から学ぶことで、将来の失敗を防ぐことができる。
自分の経験より他人の方がたくさん経験している。

その他人の経験を学ぶことで、
自分は失敗を未然に防ぐことができるのだ。

ただし他人の経験の集合体が「歴史」だと考えても不都合はないので、
「他人の経験」=「歴史」と読み替えても問題ない。
故にビスマルクの言葉を「歴史に学べ」と言ってもそれほど的外れではない

つまり巷間言われているように

「賢者は歴史(他人の経験)に学ぶ。 愚者は経験に学ぶ」

ということだ。





4.日本における「歴史に学べ」の意味
 ところで先にビスマルクの言葉として「歴史に学べ」という言葉を書いた。
そしてその目的は「将来の失敗を未然に防ぐ」ということだ。

 実は日本の歴史というのもそれに近い。

日本で「歴史に学べ」というのは、歴史に学べば、
将来の失敗を未然に防ぐことができる、

という意味なのだ。

 「現在」とは、過去から見ると「将来」である。
過去の時点で考えていたこと、行動したことは現在からは自明である。
そして現在の結果もわかっている。

 そして「現在」も将来から見ると「過去」になり、将来は現在になる。

 つまり過去から現在起きたことを学べば、将来を予測することができる。
過去にこう考え、こう行動したが故に、現在の結果はこうなっている、というのなら、
現在こう考え行動したことは将来こうなる、と予測できる。

過去を学ぶことで、
将来の失敗を防ぐことができるのだ。

 そのためには必ずしなければいけないことは正しい事実である。

 過去にどう考え、どう行動したのか?
その正しい事実を収集しなければならない。
間違った事実を収集しても将来への教訓にはならない。

 炭素と酸素を混ぜても水はできない。
何度やっても二酸化炭素しかできないのだ。
それは「正しい事実」ではないからだ。

 酸素には水素を加えなければならない。
そうすると水ができるのだ。炭素と酸素という間違った事実を
前提にしては間違った結論にしかならない。
水素と酸素という「正しい事実」を把握することが重要になる。



つまり「正しい事実」とは「嘘はいけない」のだ。
「嘘」を前提にすると、将来、失敗をする。
将来の失敗をしないために「歴史(他人の経験)に学ぶ」のに、
「嘘」前提にすると当然、失敗を繰り返すことになる。

歴史に学んで将来の失敗を繰り返さないためにも「嘘」は厳禁なのだ





5.韓国における「歴史に学べ」の意味ところで韓国も歴史を重視する。
「歴史に学べ」と声高に叫ぶのはむしろ韓国で、
そういう面で日本より歴史を重視しているように思われる。

しかし…そうではない。
日本と韓国では歴史に対する考え方が違うのだ。

どういうことかというと、
日本の「歴史に学べ」とは「将来の失敗をしないため」であり、
韓国の「歴史に学べ」は「現在の自分たちを擁護する」ものだからだ。


 韓国は儒教の国である。
 儒教とは神のいない宗教だ。キリスト教イスラム教は「唯一神」の宗教で、
神の言葉を重視する。神は全知全能で、不死で、永遠に存在する。
 故に神との契約はいつまでも続くことになる。

 聖書やコーランは神の言葉だ。それに逆らうことは許されない。
故にキリスト教イスラム教は解釈の幅は多少あるが、文言は絶対なのだ。


しかし儒教にはそれがない

 儒教は天という存在はある。
そこから天子(つまり中国皇帝)を遣わし、地上を治めることを認める。
 その天子がどうしてわかるのかというと、乱世の中で勝ち残るからである。
秦の始皇帝や漢の高祖は広い中国で戦い、勝ち残ることで天から遣わされた証拠となる。

 そして天子がその地位についたら、何をやってもよいのだ。

 当然、前政権のやったことをひっくり返しても、また継続しても良いのだ。
キリスト教イスラム教はそこが違う。
彼らは聖書やコーランに書いてあることを無視することはできない。
 これらは神との約束なのだから、一方的に破ることは神を裏切ることになる。

 故にどんな破天荒な奴が出てきてもイスラム教徒である限り、
コーランを無視する」
などとは言えない。


しかし儒教にはそのような聖典はない。
もちろん「大学」や「中庸」「春秋」「孟子」などの経典はある。
彼ら儒者もその経典を大事にしている。
 しかしそれらは事例集にすぎない。
儒教の世界ではそれらの経典を暗記して、
必要なことにその事例を引っ張り出せる人が偉いのである。

 昔の王様が「あれはどうすればよいと思うか?」と下達すると、
それに答えて

孟子によると、○○○○でございます。
主君としてはそのようにされるべきでしょう」

というのだ。

 しかし他方で別の者が口を挟み、

「いえいえ、春秋によると××××です。
王としてはそのようになさるべきです。」

と述べる。

 こういう事例を膨大に覚えておき、
必要に応じて、素早く主君に質問に答える人こそ出世するのだ


この儒教の国こそが韓国なのだ。
 韓国にとって歴史とは現在の自分(もしくは主君)を擁護し、
正当化するためのモノなのである。

彼らの歴史の議論を聞いていると決して認めない。
どんな根拠を提示されても、どんなに矛盾を指摘されても認めないのだ。
 それは認めると「現在の自分にとって都合が悪い」からである。
誤りを認めることで、自分の説得力が低下する、自分の信頼が低下することは都合が悪いのだ

 日本人的な感覚からすると、
「誤りは早く認めた方が傷は浅い」と思うのだが、彼ら韓国人はそう考えない。

 極端な話、韓国人にとって誤りを認めることは生死につながるのだ。

 先に書いたように、膨大な儒教の経典を暗記し、素早く適切に提示できる人が出世する。
そして出世すると、他のライバルを、権力を使って排除する。
 つまり出世に負けることは死を意味する場合もある。
それ故に「誤り」など認めていられない。むしろ誤りを認めることで、刑を執行されやすくなる。

 北朝鮮でも粛清される時には必ず“公平な”裁判がある。
そこで罪を認めることで、刑が確定して処刑される。

 彼らの考えでは事実などどうでも良いのだ!

 韓国の言う「歴史に学べ」とは、
「歴史を利用」して現在の自分を擁護する手段なのだ。、




6.日本の歴史と韓国の歴史

 日本の「歴史に学べ」が将来の失敗をしないためであるのに対して、
韓国の「歴史に学べ」は現在の自分を正当化するためである。

つまり両者は考え方が違うのだ。


 日本は将来失敗しないためにミスをミスと認める。
それを早く認めた方が誠実だと思われる。
しかし韓国は現在の自分を守るためにミスを隠ぺいする。

 そこで使われるのが「」なのだ。

 日本のように「将来失敗しないため」であれば、「嘘は厳禁」である。
嘘を事実のもとに教訓を得ても将来の失敗を避けられない。
 水を作るのには水素と酸素を混ぜるのだ。決して炭素と酸素ではない。
そうすると失敗する。水素と酸素を混ぜるという事実を後世に伝えていくことが必要なのだ。

 しかし韓国のように「現在の自分を擁護、正当化」するためなら「嘘」であっても構わない。

 と…いうより」の方が望ましい。

 「事実」は融通が利かないものだ。もう少し何とかしたいと思っても
「事実」は冷徹に存在する。そこは「過去」になっているので、特に手を出せないものだ。

 しかし「嘘」は融通無碍だ。

 如何様でもオーダーメイドができる。必要に応じて加えることも差し引くこともできる。
在日コリアンは強制連行された」「慰安婦は性奴隷だ」「靖国参拝は韓国人を傷つける」
みんな嘘だが、それによって現在の韓国人が日本人から搾取できるというメリットがある。


同じ「歴史に学べ」という言葉でも、
日本は将来の失敗をしないため、韓国は現在の自分たちを守るために使っている。

同じ言葉でも意味はまるで違う。
日本は過去の事実そのままに、韓国は過去を捻じ曲げ、嘘をつくことで「歴史に学んでいる」のである。


こういう両者が歴史議論などしても意味はない

韓国は自分たちの主張こそ「正しい歴史」なのであり、
それを認めない日本は「悪い国」なのだ。
日本にとって「正しい歴史」とは正しい事実に基づくものだ。
正しい事実に基づかなければ同じ失敗を繰り返す。
そうならないためにも正しい事実が重要なのだ。


日本と韓国で歴史論争をすると、日本人は根拠を挙げて相手を説得しようとする。
日本人の考えでは「正しい事実」が重要なので、「事実」を提示すれば、
相手がわかってくれると思う。

日本人は思う。
韓国人はただ誤解しているだけなんだ…と。

しかし韓国は根拠など求めていない
彼ら韓国自身を正当化するものが「正しい歴史」なのだ。
そして韓国の言う「正しい事実」を声高に主張して、
日本側の言い分に一切耳を傾けようとしない。

事実、テレビの討論会などでもそのようなことが繰り返されている。
彼らは日本側の主張に「一理ある」とは全く思わない。
認めたところで自身の正当化につながらない。
彼らが求めているのは「自身の正当化」である。

もう少し違う言い方をすると、韓国の「歴史に学べ」というのは、
自身の考え方を理解しろ、ということであり、

日本の「歴史に学べ」というのは、
自身が歴史から教訓を得ろ、と言っているのだ。

事実を提示して韓国の言い分に反論する日本人に、韓国人はこう言う。

韓国への愛はないのか?

韓国にとって歴史とは「自己弁護の手段」なのだ





7.まとめ
 まとめると、日本と韓国では「歴史」に対する考え方が違う。
日本は将来の失敗をしないために「歴史に学ぼう」とするのに対して、
韓国は現在の自分の正当化のために「歴史を利用」する。

 韓国の歴史に対する考えは儒教からきており、
彼らは歴史の事例を現在の自分を擁護するために使うことを常態化している。
 他方、日本ではそういう習慣はないのだ。

 歴史に対する考えの違い、それがあるが故に、
日韓で歴史問題を話し合っても解決しない。
日本と韓国では歴史に対する土壌が違うからだ。

 日本は事実を重視し、韓国は事実を軽視する。
それどころか「嘘」でも構わない。
そういうスタンスの違いこそが日韓関係を悪化させている元凶なのだ。


 「歴史」に対するスタンスが違う。
だから日韓間で歴史問題を話し合っても意味は無いのだ。

韓国は民主国家か?民主主義と全体主義の混血!


・「歴史に学べ」と言う人は歴史に学べない
・日本が学ぶのは「日中戦争」と「太平洋戦争」だけ
・韓国は歴史に学べない

――――――――――――――――――――――――――――――――


<目 次>

1.日韓の歴史解釈
2.民主主義の原則
3.「歴史に学べ」の意味
4.歴史に学べない横柄な人々
5.個人の経験で判断する愚
6.個人を国に置き換えると
7.韓国は民主国家か?
8.まとめ


日韓関係はいつも歴史問題に翻弄されてきた。
それはどうしてなのか?そしてどうすれば解決するのか?

戦後多くの人たちがこの問題に取り組んできて、なお解決できずにいる。
その理由は日韓の歴史解釈の違いと、韓国側の解釈の強要にある。

そして前提として韓国は、日本にとって民主主義国家ではない



1.日韓の歴史解釈

 日韓関係はずっとギクシャクしている。
その理由はいくつかあるが、歴史問題もその一つということに異論はないだろう。
「教科書問題」「慰安婦問題」「竹島問題」「靖国問題」すべて歴史が関わっている。

「歴史問題」とはいわば歴史解釈の問題である。

歴史的事実をどう捉えるか?どう解釈するか?
それが問われているのだ。


例えば日韓では1910年に「日韓併合」と言うものがあった。
これは当時の大韓帝国が日本に併合され、
国を無くしてしまったことを表している。


この事実に反対の論者はいない
日本でも韓国でも「日韓併合」という事実に争いはないのだ。

しかし解釈には違いがある。

日韓併合と言う事実に関して、
日本は「合法に結ばれた」と主張しているのに対して、
韓国は脅迫されたものであり「無効である」と主張している。


つまり日本は1910年当時、
併合条約が結ばれたのは「合法」という解釈なのだが、
韓国では暴力的に併合されたので「無効」であるという解釈だ。

実際に1965年の日韓基本条約を締結するに際して、

「もはや無効」と記した。


つまり日本側は「1965年時点には無効になっている」という解釈ができるし、
韓国側は「最初から無効である」と解釈ができる。

こういう玉虫色な解釈ができる条文になっているのだ。


これは両国の解釈が違うのだから、
外交テクニックとしてこのような手段を使っている。
その前提として両国とも都合の良い解釈を使うという暗黙の了解がある。


しかし実際には韓国側が、日本に自国の解釈を押し付けることが多い。
例えば日本が合法的に併合したと言うと、韓国は「妄言」と言う。
これは必ず言うのだ。政府もメディアも国民も。


このように解釈の違いが後々のトラブルになる。

であるが、先に書いたようにそこに暗黙の了解があれば問題はない。
しかし暗黙の了解がなく、もしくはあっても一方的に破棄する場合、
両国間で深刻なトラブルになる。

そしてその際に日韓間で起きるのが、解釈の強要である。
先の例で言うと
日韓併合は最初から無効と認めろ」
と要求する韓国政府がそうだ。
これは日韓間で言うと韓国が日本に対して一方的に押し付ける。
逆はないのだ。

日韓間の歴史問題とはそのような解釈の違いによる無理解と、
それに基づく解釈の強要によって起こっている。

 韓国の無理解による強要

 これこそが日韓関係の歴史解釈問題の本質に他ならない。




2.民主主義の原則

日本には中国との間でも歴史問題があるが、この際は無視する。
故に当事者としては「日本」と「韓国」を前提とする。


ところで日本も韓国も民主国家である。

民主国家とは「国民が主権者」である。
主権者とは、いわば最終決定者であり、 日本も韓国も国民の名の下に最終決定する。


例えば両国とも(もしくは他の民主主義国も)条約を
締結するにあたって「批准」という行為をする。
これは国民に選ばれた政府が他の政府と合意して条約を締結しても、
最終的に国民の了承を得なければならないということだ。

しかし国民の最終決定といっても、いちいち国民投票にかける訳にはいかない。
そのため国民の代表者を決めて、そこで審議をし、議決をして決定する。

これが国会で、そこで国会議員が決定することが、国民が決定したことになる。
これが民主主義国の通常のやり方である。

その民主主義を国家として機能させるためには
個々人の権利が認められなければならない。
個々人が自由に国民の代表者を選べなければ、民主主義は形骸化する。
そのために民主主義には色々な原則がある。

基本的人権の尊重」であるとか、
「思想信条の自由」とか、
「学問の自由」とか。


 その中で言論の自由というものがある。

言論の自由」とは自由に意見が言えることであり、
必ずしも無制限に認められる訳ではない(例えばヘイトなど)が、
基本的に制限には消極的である。
原則としては「言論の自由」は認められるべきであり、
例外的に制限されるべき。そういう前提がある。

しかしそれは言論に対して無批判であることを意味しない

言論が認められるということは、それに反対することも認められなければならない。
ある意見を言うことが「言論の自由」なら、その意見に反対することも、また「言論の自由」なのだ。

意見に反対することは言論弾圧ではない

つまり民主国家とは「言論の自由」が認められなければならないし、
そのためには反対意見も認められなければならない。
自分の意見と違うことをもってその意見を排除することは民主国家とは言えない。
賛成意見と同様に、反対意見に関しても敬意をもって対応しなくてはならないのだ。

つまり韓国政府も自国の意見と違うことだけをもって、
それを排除し、弾圧してはいけない。
ましてや意見が違うというだけで、相手との話し合いを拒否する態度ではならない。


当然歴史の解釈とは「一つの意見」である。事実は動かせないし、動かしてはならない。
先の例で言うと「日本が大韓帝国を併合した」という事実は否定できない。
しかしそれが強要であるか否か、また合法であるか否かは争いがあるのだ。

ある人の意見は「合法」だし、ある人の意見は「不法」である。
その根拠を問い詰めて、根拠に基づき反論する。意見の違い、解釈の違いはあって良い。
その上で相手に敬意を表しながら、議論で解決しなくてはならない。

民主国家では歴史の解釈が違うこと、
つまり意見が違うことをもって排除してはならないのだ。




3.「歴史に学べ」の意味

 「歴史に学べ」という言葉はビスマルクに言葉である。

ビスマルクはドイツの一地方だったプロイセンの宰相である。
彼が使っていた言葉だ。

因みにこの歴史の学べと言う言葉は複数の人が使っている。
西洋人と同様、中国人も使用しているが、日本で言われるのはビスマルクの言葉だ。

そのビスマルクは、実際には「歴史に学べ」と言っているわけではない。
それはこのような意味である。以下に引用する。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
愚者は自分の経験が絶対に正しいと信じている。
私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。

ビスマルクは「他人の経験」から学ぶと言っているのであって、
「歴史に学ぶ」とは言っていない。そういう意味では、違って伝わっている。


しかし「歴史」=「他人の経験」であると解釈すると、それほど意味は違わない。
歴史とは人が作るものであり、「他人の経験の集合体が歴史」と解釈できる。
故に他人の経験(特に失敗)から学ぶことは、「歴史に学ぶ」のと同義語である。


それよりも重要なことはビスマルクの言葉の本質である。

つまりビスマルクは自分経験や失敗よりも、他人の経験や失敗を重視する。
自分より他人の方が多くの経験をしている。
その人たちの経験や失敗に学べば、自分の失敗を未然に防ぐことができる。
他方、自分の経験を絶対視し、他人から学ばない姿勢では
せっかく参考にできる失敗があるのに見過ごしてしまう。
そのため自分も失敗する可能性が高まる。

自分の経験を絶対視し、他人から学ばない人は「愚か者である」と言っているのだ。

これこそがビスマルクの言葉の肝である。

そう理解すると、日本で「歴史に学べ」という人が、いかに愚か者であるかわかる。




4.歴史に学ばない愚か者

よく大上段に振りかざして、「歴史に学べ」と述べている人がいる。
そういう人に限って先に書いた歴史に学んでいるのではなく、
経験を絶対視する愚か者なのだ。

大体そういう人がいう「歴史」とは「太平洋戦争」や「日中戦争」のことである。
そして結論は決まっている。

 日本が悪かった!
これが歴史を学んだ正しい人なのだ。

歴史を学ぶと必ずこういう意見になる、ならなければおかしい

と考えるのだ。

こういう人によると

「日本は良いこともやった」

という人は歴史に学んでいない人になる。


この考えは少し考えるとおかしいことが分かる。


歴史を真摯に学んだ結果、

日本は韓国に良いことをやった。

というのはあってしかるべきなのである。


しかしこれはダメなのだ。

彼らの中では、日本が悪いことをやったのは自明のことだから、
真摯に歴史を見れば「日本が悪い」という結論にしかならないのである。

彼らは結論(=日本が悪い)が決まっており、
それに合わない人は歴史に学ばない人なのだ。
プロセスはどうでもいい。最後に「日本が悪いですね」と言うと、

 この人は歴史を真摯に反省した人。

 であり、

「日本は良いこと“も”やった」
(つまり悪いこともやったことは前提で、良いこともやったという意味)という人は

 この人は歴史を真摯に反省していない人

なのだ。

そう考える彼らは歴史に学んでいるのではなく、
自分の経験を絶対視している愚か者なのだ。




5.個人の経験で判断する愚

毎年の恒例行事になったが、8月15日に近づくと戦争中の被災者が出てきて、
「こんな大変なことがあった」「こんな苦しい思いをした」と訴える映像を流す。

これらを見ていると、可哀そうだと思うし、大変だと思う。
私はこんな経験はないので身をつまされる思いがする。

しかしドライに言ってしまえば、これは一つの経験に過ぎない。

歴史家で作家の保坂正康氏によると、

「日本人が空襲を受け、被害を受けたのは終戦の約1年前からで、
それまでは被害を受けなかったので、むしろ積極的に軍を応援していた」

と主張している。


つまりこういう被害者も“勝っている当時”は、
全く別のことを言っていた可能性があるのだ。
戦争中に積極的に国旗を振って、兵隊さんを励ましていた愛国少年が、
戦後になると反戦青年になり、「9条を守れ」という。

ただ当時の風潮に乗っかかって「戦争遂行」や「戦争反対」に迎合していた人が、
どうして「歴史に学べ」といえるのか?
そしてこのような被災者の意見は参考になるのだろうか?


さらに気を付けなければならないのは、
「可哀そうと思うのは感情である」ということだ。

政治的な行動をとる時(つまり法案審議等)には、
感情ではなく理性で行動しなければならない。
そして理性的行動とは「好き嫌い」で判断するのではなく、
「良いか?悪いか?」で判断すべきことなのだ。

政治家の好きか嫌いかではなく、自分が嫌いでも良い政治家はいる。
また自分は好きだが、全然ダメな政治家もいる。
自分の好きな政治家でも彼が極めてダメな政治家なら、
日本国民のためにはならない。
しかしその逆であれば国民のためになるのだ。

そういうことなら自分の好き嫌いという感情を抑えて
政治家として良いか悪いかという観点から物事を判断するべきだ。

つまり「可哀そう」という個人の感情を優先して
政治を判断することは危険であり、思考の停止につながる。

例えば、先の例でいえば、
子供の頃、戦争被害に遭ったお年寄りの言葉に同情して、感情的になり、
お年寄りの言葉を盲目的に信じてはいけないのだ。
感情的になる気持ちはどうしようもないが、
それを抑えてそれはそれとして判断する必要がある。
 

「私はこんな悲惨な目にあった」
→ 「だから戦争はダメ」 
→ 「だから9条改正はダメ」

というお年寄りの訴えに思考の停止になってはいけない


それとこれとは話は別であり、日本の安全保障環境が悪くなることは、
→むしろ戦争を誘発する。
→故に日米同盟強化のために、
自衛隊憲法に位置付けることは戦争抑止になる。
→ 故に憲法改正は賛成である。

と主張しなければならない(もちろんこれも一つの意見だ)。




6.個人を国に置き換えると

 先程のビスマルクの言葉は

「自分の経験を絶対視し、
他人の経験に学ばない人は愚かである」

と言っているのであるが、

これを国に置き換えると以下のように主張することができる。

自国の、特に特定の歴史を絶対視し、
他国の歴史に学ばないのは愚かな国である。

そう…歴史に学べというと「日中戦争」と「太平洋戦争」だけを教訓にし、
結論も「日本は悪かった」しか許さない人びとは、愚か者なのだ。
歴史は色々ある。日本の歴史だけではなく、世界中に参考事例はあるのだ。
それを約70年前の日本の歴史のみを重視して、
それ以外に歴史を軽視、または無視するのは歴史に学ぶ態度ではない。

もちろん70年前の歴史の教訓は大いに参考にすべきだが、
それ以前にも、そしてそれ以後にも参考にすべき歴史はたくさんある。

戦後、朝鮮半島で何が起きたのか?アメリカとベトナムとは?
中国とベトナムとは?ウクライナはロシアを侵略したのか?
ユーゴスラビアは?ルワンダは?

学ぶべき他国の経験は、戦後でも現代でもたくさんある。
それを無視して70年前の自国の特定の経験だけを絶対視することは、
真正の愚か者と言わざるを得ない。

ましてやこれを日本国民が自国への警鐘として参考にするのならまだしも、
韓国のような他国が、日本の特定の歴史を特定の見解だけに基づいて解釈し、
その他の解釈を無視し、日本相手に強要するとは言語道断である。



7.韓国は民主国家か?

こう考えると韓国が民主国家かどうか疑わしくなる。
韓国は国民が選んだ大統領が君臨し、5年に1度の選挙がある。
それに4年に一度の国会議員選挙もある。
韓国大統領は国民の支持を気にして、日本の政権同様、支持率調査の数値に一喜一憂する。

国民の顔色を伺う韓国政府
こういう状況を見ると民主国家と言えるだろう。


しかし歴史問題で、日本の主張を全く受け入れず、
自国の主張を繰り返すだけの国家が本当に民主国家と言えるのだろうか

韓国は歴史問題、特に日本が絡む歴史問題では途端に全体主義になる。


実は矛盾するかもしれないが、民主主義国家でありながらも、全体主義の国家はある。
民主主義国家とは「国民主権の国」であり、国民の意見が政治に反映する国である。
 
つまり国民がある方針を求め、その方針に則って政治家が選ばれて、
その方針で政治を行うことは民主国家だ。

しかし民主主義が暴走することもある。
それは民主主義を構成するのが人間(国民)だからだ。
人間の本性に基づき、非人道的な政策を行う場合、民主主義的な決定でありながら
国民が支持する政府ができることがあり得る。


 例えばナチスドイツなどがそうだ。

ナチスは選挙で上がって来た。彼らは国民に支持されたのだ。
そして彼らは民主主義を否定しながらも民主主義的な手法で議会第一党になった。

※ここで誤解されている向きがあるが、
ナチスは必ずしも民主主義的な手法のみで政権を獲得したのではない。
事実、ナチスは選挙で一度たりとも過半数をとらなかった

ナチスヒトラーが首相になったのが1933年。
その前年に選挙で第一党は獲得していたが、それでも過半数には遠く及ばなかった。
それどころか首相を獲得した後の1933年3月の選挙でも約44%しか獲得できず、
647議席中288議席獲得だった。

だから選挙のみで独裁体制を作った訳ではないが、
選挙で第一党をとったのは事実なので、上記のように書いた。


この当時、ナチスが煽っていたのがユダヤ人に対する差別意識だった。
当時は第一次大戦への批判があり、ドイツが悲惨な目に遭ったのは
第一次大戦に負けたからであり、それはユダヤ人と共産主義者
背後から攻撃したからだ(背後の一撃論)という考えがあった。

この「背後の一撃論」は必ずしもヒトラーが唱えたものではなく、
第一次大戦に敗れた軍人が述べたものだが、そういうことを信じられる土壌があった。
これにより、ユダヤ人への憎悪を燃やし、ドイツ国民にユダヤ人差別の正統性を与えた。

これに積極的に迎合したのがドイツ人だ。

ナチスの擁護をする気は毛頭ないが、ユダヤ人差別自体はヨーロッパ各国にあった。
つまり彼らはユダヤ人差別に反応しやすいのだ。それ故にユダヤ人排除を訴えると、
ドイツ国民が反応する土壌があった。

ナチスユダヤ人差別を利用し、ドイツ人はユダヤ人排除を望んだ。
ここに国民が求め、民主的な全体主義国家が生まれる。
ユダヤ人排除という差別意識の統一された全体主義国家は成立したのだ。


韓国は反日を国是の、反日全体主義国家だ。

反日を訴えることを正当化し、反日は正しいと主張し、
日本を攻撃することで韓国国民を糾合する。
これが差別を媒介とした民主主義的全体主義国家だ。
基本的には民主主義的であり、多様な意見を尊重しつつも、
国家の外に敵を作り、国民全体で反日を煽り立てる体制が成立した。

そして全体主義国家は他の価値観を認めない。
日本絡みを歴史問題に絡めて、何でも日本に反対する。
一部の親日的発言を国民が全体で封殺し、異論を挟めない。
韓国では親日発言ができないのだ。
これは日本絡みなら、異論を容認しないことを意味する。
そしてそれは民主主義的に、国民の名のもとに正当化する。

韓国の反日全体主義は、韓国国内で支持を集めるために特定の国を敵視する。
それは本来やってはいけないが、韓国では効果があるので利用されているのだ。

しかし考えてもらいたい。
自分と異なる意見も容認する民主国家と言えるのだろうか?
先に書いたように民主国家は寛容の精神が必要だ。
そのためには多様な意見を容認しなければならない。

もちろん最終的には多数決をとり、政策を決定しなければならない。
そして民主国家なら多数意見が通るのだろう。
しかしそれは少数意見を封殺することではない

少数意見にも発言させなければならないのだ。

しかし民主主義的反日全体主義国家の韓国では、国民に反日をいう差別を煽り、
それにより権力の求心力を維持する。また韓国国民は反日という差別に
「楽しさ」「面白さ」を見出し、反日行動に積極的に迎合しようとする。

 それにより少数意見を封殺するのだ。

韓国が民主国家であると証明するのなら、多様性を容認しなければならない
もちろん多数決で政策を決定するので、少数意見を採用する必要はないが、
少数意見も言えなければならない。
ましてや親日的発言をする評論家や政治家を集中的に攻撃して、
排除することなどやってはいけないのだ。

そして違う意見も尊重しなければならない。


韓国の態度は民主主義国家ではなく、全体主義国家だ。
そして歴史論争をするにも歴史を重視する態度ではなく、歴史を蔑ろにする態度だ。
日本と韓国の歴史に対するスタンスが違うのは分かるが、
だからと言って排除することは適切ではない

自国の歴史を押し付けて、日本に強要し、
日本の歴史的スタンスを理解しようとしない韓国は民主主義国家と言えるのだろうか





8.まとめ

まとめると以下のようになる。

1.歴史に学べという人を信じるな。
歴史に学べという人は、自分は学んでいない。
なぜなら自分が歴史を知っていると思い上っているから。
思い上がっている人は謙虚に学ぶことはできない。


2.被害者の意見に思考の停止をするな
戦争被害者の意見は貴重ではあるが、一つの経験に過ぎない。
その経験を絶対視して、感情的になり、思考の停止になってはいけない。
理性的な判断を下すべきである。


3.自国の特定の歴史を絶対視するのは愚か者である。
ビスマルクの言葉を国に置き換えると、自国の経験を絶対視し、
他国の経験から学ばないものは愚か者である。


4.民主主義には寛容の精神が必要だ。
 違う意見にも少数意見にも配慮すべき
 多数決の原理は少数意見の排除ではない


5.韓国は民主国家ではない。
民主国家なら他国の言い分に耳を傾けるべきだ。
自国の歴史と違うからと排除するのではなく、
違う意見も尊重しなければならない。
韓国は民主主義的反日全体主義国家だ



 我々は賢者ではないかもしれないが、愚者にはなりたくないものだ。

韓国巨文島の人々

以前に筆者は、戦後韓国において反日感情はない、もしくは強くなかった。
戦後、李承晩政権の反日教育によって、反日感情が高まっていったと書いた。

韓国は元から反日だったのか



今回は崔吉城(チェ・キルソン)氏の著書
『「親日」と「反日」の文化人類学』からその点を検討してみよう。 ※以下赤字は筆者

崔吉城氏についてはこちらを参照

 
 崔氏は1987年11月~1988年1月まで助手たちと手分けして
韓国全羅道の巨文島にある漁村で調査を行った。
この漁村は日本人が開拓し、終戦まで日本人と朝鮮人が共同で暮らしてきた村である。

巨文島についてはこちらを参照
 

 つまり終戦から40年たって、当時の事を知る韓国人たちに実際に何があったのか?

を調査したのである。



日本への憎悪=愛国

 詳しくは本書を読んでいただきたいが、なぜこのような調査をしたのかというと、

その反日感情の源泉を探ってみたい  P106

という動機があった。


そして現状に対する認識として、

韓国人の反日感情民族主義がどう対応するかに注目したい。 ~略~  
つまり民族主義反日感情は愛憎の表裏一体の構造である。
憎しみ自体は反倫理的な心理であるが、国を愛するということで正当化されるのである。
従って日本を憎むほど韓国を愛することになり、韓国を愛するほど日本を憎むのである。
P106~107

つまり韓国においては反日=愛国なのである。国を愛するには日本を肉しまなければならない。
事実「親日派」という言葉は韓国では「売国奴」の意味を持っている。
 


日本統治時代を知る人びと

 崔氏と助手は当時の事を知る人々へインタビュー調査を行った。
その中で日本統治時代を知る人々の反応は概ね良いようであった。

 ~略~ インタビューに応じた大部分の人びとは日本人に対して肯定的なイメージを語ってくれる。
巨文島は日本人によって発展したということを始め、もっと長く居たらより発展したであろうという人もいる。
島のなかの隣人、雇用関係、友人関係などを通して日本人のイメージを創っているようである。
日本人は嘘をつかないし、信用でき、さらに合理的であるという。 ~略~     P121


 
 何か、むず痒くなるようなべた褒めである。
ここまで言われると

「いやいやそんなこともないですよ!随分迷惑かけたのではないですか?」

などと余計なことを言ってしまいそうになる。


しかし実際そうだったようである。

このインタビューの中には日本人を恨んでいる人もいる。
しかし概ね好評なのはむしろ朝鮮人に騙された人が多かったからである。

~略~  C氏は朝鮮で貯水池作りの現場監督をした。
当時朝鮮人が日本人をだましたことはあっても、日本人にだまされたことはなく、
むしろ韓国人にだまされたことがあると日本人の正直さを強調する。  ~略~


日本人には騙されなかったが、韓国人に騙された
ありがちなことだ。



戦後生まれの人びと

日本統治時代を知っている人びとは概ね肯定的なのに対して、若者は反日的である。
これは冒頭で書いた反日教育」の成果であろう。

しかしこの島の若者は反日的であると言われている。
経験者と非経験者、老人と若者の対照的反応がある。
戦後日本時代の親日派の処断と日本的な色彩を消す先鋒に立ったのも青年たちであった。  
  P121

 しかし最近の若者は植民地の体験や経験もないのに反日感情が強いのはなぜであろうか
 ~略~  それは特に戦後のナショナリズムが強い学校教育やマスコミなどによって
植民地をより悪く認識するようになったからであろう。  P123


つまり日本統治時代を経験している人びとは、日本人を肯定しており、戦後生まれの人びとは反日的である。
ここには体験や経験があったから反日意識が生まれたのではない
 

 もし本当に日本の統治時代が酷い時代であれば、こういた好意的な反応を見せることはないであろう。
日本人が韓国人を搾取したり、差別していれば反乱も起きるだろう。

 そのことは以前書いた
 

筆者が以前から疑問だったのは、
「何で終戦時、韓国では反乱が起きなかったのか?」ということだった。



やはり要因は反日教育
 
 結局、韓国の反日意識は反日教育から生まれた。李承晩政権の時の反日教育が要因となっている。
もちろんそのベースには中華思想に基づく、日本への蔑視思想があるにはあるが、強化されたのは反日教育からである。

 その後、緩められたりしたかもしれないが、韓国の世論として「反日は国是」という風潮は残った。
そして韓国は「日本を差別する」という差別政策を推進していくのである。


 人間は差別することが楽しい。
そして日本を蔑視すること差別することを娯楽化する。
それが韓国のやっている「日本蔑視教育=差別政策」なのである。
  

 もっと簡単に言うと、
反日教育があったので、反日意識が生まれ、反日行動になっているのだ


 結局、日韓間の改善は韓国国民の行動に関わってくる
韓国が反日教育をやめなければ、嫌韓が続くだろう。
そして反日教育をやめるのは、韓国自身が認識しなければならない。



 反日をやめれば、嫌韓は自然に無くなるだろう!

役立たずの日韓議員連盟


・日韓議員連盟は日韓親善には役に立たない。
・結局、韓国の要望を「承る」場だからである。
・日本側もしっかり要望しなければならない。
・そうでないなら廃止しろ!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


役に立たない日韓議員連盟

 日韓議員連盟という組織がある。
日本と韓国の国会議員が多数参加している議員連盟で、1972年に設立された前進の団体を継承している。
現在では40年以上にわたる議員連盟である。


日韓議員連盟についてはこちら



因みに上記のページの中に書いてある記事で幾つか気になったので、引用してみる。※赤字は筆者。

2013年11月29日、日本・東京で合同総会。韓国側から日本における外国人参政権を実現するように要請し、
日本側は「法案の実現に向けて努力する」と声明を発表した。


 外国人参政権の付与など論外である。日本で生まれ、日本で育ち、このまま日本で生きて、日本で死んでいくのに、あえて日本人になりたくないという。


それなら外国人として扱われても仕方がないだろう。


こんな約束をする日韓議員連盟など必要ない


2014年10月25日、韓国・ソウルで合同総会。「日本側は河野談話村山談話など歴代政権の立場を継承することを再確認した」
「日本側は河野談話村山談話の精神にふさわしい行動をとることにした」などの声明を発表した。
なお、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が朴槿恵大統領の名誉を傷つけたとして起訴され、
拘束されている問題(産経新聞韓国大統領名誉毀損問題)については、
韓国側の反対によって日韓の懸念事項として扱わないことで日韓で合意した。

 韓国側の言い分は議題とするのに、日本側の懸念は取り上げないのか?これなら言いなりになっていると言われても仕方がないだろう。


 大体、産経新聞の元ソウル支局長のケースは朴大統領が起訴を望まないと言えば、起訴されなかったのだ。
そうすれば人権侵害などはないのだ。それを取り上げないとはどういう訳だ。全くの言いなりではないか



2015年5月11日、韓国・ソウルで合同幹事会。
軍艦島などの「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に韓国政府が反対していることについて、
政治問題化しないよう韓国側に理解を求め、22日に継続して協議することを確認したが、
翌日、韓国国会は本会議で、日本政府が「明治日本の産業革命遺産」の
世界文化遺産への登録を推進していることを糾弾する決議を可決、採択した。

 明確に嘘をつかれている。
継続協議しているのに、その翌日には韓国国会で「糾弾決議」を可決している。
全くの嘘をつかれたのである。
これに対して日本の国会議員は怒ったのか?全く怒っていない。



 このように韓国側が一方的に日本に対して要求し、日本の要求は無視することが常態化している。

 このような日韓議連など必要はない





日韓議連の原点

 なぜこのようになるのであろうか?
実は先に書いたように、日韓議連は1972年に前身の組織が発足してから継続して活動している。
その初期の段階で日本側議長を務めた山中貞則氏はこのような就任挨拶をしている。
 ※1977年3月23日 朝日新聞3面      
 ※赤字は筆者


 >>
「36年間の日本の統治は韓民族プライドを踏みにじった。日韓議連の活動はその反省にたって、真の友好を探らなければならない

実家の犬を参考に、韓国を考える


・事大主義には誠意を示してはダメ!
・しかし2005年の3月に激烈な反日演説を行った。
・日本は誠意を示すから韓国からタカラレる。
・日本はアメリカや中国に学ぶべき!

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実家にて!

筆者はたまに実家に帰ることがある。

実家では犬を飼っている。室内犬である。
われわれが食事をしている時には周りにいる。

実家には老夫婦が2人(つまり父と母)いるが、
私と母が食事をしていると、その犬は大人しくしている。
しかし父親が帰ってくると、俄然ハッスルしだす。


「何か食べ物をくれ」という訳である。


 つまり私や母親はくれないことが分かっているので、無駄な努力はしないのである。
しかし父親は甘いのでねだればくれることを知っている。
一生懸命主張してもくれない人には何もしない。
でもくれそうな人には最大限努力をする。


 なかなか頭の良い犬である。


 というか普通の犬がやることだと思う。

 ましてや人間ならなおのことである。





アメリカの対応

以前、筆者はアメリカの韓国に対する対応を記事にしたことがある。
それは朝鮮戦争中の「ノグンリの虐殺」についてであり、
無抵抗の老人や女子供を米軍が一方的に殺害した事件である。

その死者は300人以上と言われる。


何の罪もない民間人を、全くの無抵抗であるにもかかわらず殺害した。まさにベトナム戦争ソンミ村虐殺事件を髣髴する事件である。

ソンミ村事件についてはこちら参照




因みにソンミ村事件は明確な軍命令は出ていなかったようだが、
ノグンリ事件は第25師団長のウィリアム=キーン少将による
「戦闘地域に移動するすべての民間人を敵とみなして発砲せよ」という命令に基づいて行われた。


しかしアメリカは全く謝罪していない


 アメリカは独自の調査の結果、
「軍命令は確認できない」として韓国の要求する謝罪と補償を拒否した。


 因みに「軍命令」は当時の兵士がアメリカのメディアに「命令はあった」と証言しているが、アメリカ政府は無視した。

これらの顛末は以下参照
 「アメリカの対応(1)
 「アメリカの対応(2)



 韓国の要求をアメリカは断ったが、その後の米韓関係は悪くない。

つまり韓国はアメリカには全く歴史を問題視していないのである。





なぜアメリカには言わないか?

 なぜ日本には執拗に歴史問題を取り上げて、
アメリカには取り上げないのであろうか?
あっさり引き下がるのであろうか?


 それはこれが差別だからである。


 人間の本質として「差別は楽しい」「いじめは面白い」のだ。
ジャイアンはイライラするとのび太をいじめる。そうするとスッキリするのである。


 韓国人は日常の不満をぶつける先に日本をターゲットにする。
それには元々あった日本に対す蔑視思想に、李承晩政権以来の反日教育が付加され、反日は国是となった。
その図式に多くの国民は迎合し、反日は楽しい」という娯楽化をするようになった。


それを良心的日本人が迎合することによって、楽しさを倍増させているのである。



 つまり日本に対して歴史問題を取り上げるのは、
日本が譲歩するからである。だから取り上げるのである。


 逆にアメリカは全く譲歩しないからである。
だから取り上げないのである。



 歴史問題を取り上げても日本の場合、譲歩するので面白い。

 でも取り上げても「関係あるか!」と言われるのは面白くない。
だから譲歩しない国には取り上げないのである。





中国でも!

 これは中国に対してもそうである。
中国が朝鮮戦争時に参入しなければ、北朝鮮と韓国は統一できていたのである。
そうすれば、北朝鮮人民は現在飢え苦しむことはなかったのである。


 しかし現在、韓国は中国に対して歴史問題を取り上げていない。
今後も取り上げることはないだろう。それは、中国は反発するからである。


 実はこれは韓国だけではない

イギリスは以前チベットの海外指導者ダライラマと会談した。
それに対して中国は激しく反発した。

そして今年、中国に迎合して中英間で首脳会談を行った。
イギリスは欧州で一番の中国の取引先である。だから金で転んだのである。


 首脳会談では中国の人権には一切何も言わず、バッキンガム宮殿に宿泊させたりもした。
その見返りに多額の取引を成立させた。


 ノーベル賞財団は以前、中国の人権活動家にノーベル平和賞を送った。
それに対して、中国は特にノルウェーに対して圧力を加えた。


 その結果、のちにノーベル文学賞をとり、ノーベル医学・生理学賞も獲得した。


 この2人は立派な業績があったのであろうが、
それだけでノーベル賞をとったのではないと思うのは穿った見方であろうか。



 結局、韓国や中国に対して、反論しないで迎合するというのが、物事を悪化させているのだ。
特に韓国にとって、歴史問題などはどうでもいいのだ。
慰安婦なんてどうでもいいのだ。ただ単に日本に因縁つけられれば何でもいいのである。



 実家の犬もエサをくれるから吠えるのである。
私や母親だけの時には大人しくしている。しかし父親は吠えるとくれるので、何度も吠えるのである。



 どこかの隣国も同様である。 



アメリカにはなぜ言わないか?中国にはなぜ言わないのか?

 我々は、アメリカや中国をもっと見習わなければならない。

こんなことが信じられるか? 1980年 中国が日本に防衛力強化を求めていた


・1980年 中国は日本に防衛費の増を求めた。
・「日本から侵略があるとは思っていない」と主張。
・それも大平首相の靖国参拝直後に発言している。

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 最近、日中関係は少々安定しているように見える。
少なくとも表立って日本を批判していないように思う。

これは中国経済の減速と関係あるのかもしれない。
そして習近平政権の安定と関係あるのかもしれない。


色々考えられるが、
今と比べ物にならないほど日中関係が良好だった時代があった。

それは1980年代前半であった。





防空力強化要請!

 1980年4月から5月にかけて、日本の国会議員で、
のちの首相、中曽根氏が中国を訪問した。

中曽根氏は当時無役であったが、首相候補として、将来を嘱望されていた。

 実際に、首相候補三角大福中と言われていたが、
これは三木武夫田中角栄大平正芳福田赳夫中曽根康弘の名前から
一部を借用してそう呼ばれていたが、この中で当時まで首相をやっていなかったのは
中曽根氏だけであった。


 中曽根康弘氏についてはこちら参照




 そういう中曽根氏を迎えたのは当時の中国トップの華国鋒首相であった。
華国鋒は当時、鄧小平との権力争いを続けており、最終的には敗北するが、
厳然と党主席という重責を担っていた大物であった。

 華国鋒氏についてはこちら参照





 この華国鋒首相は中曽根氏に何と言ったか?


 日本の防空力を強化することを求めたのだ。



 これはどういう文脈で出てきたのかというと、
日本では日米同盟があり、その中で中国の米中および日中が接近する。


その裏には中ソの対立がある。


 だから現在では信じられないが、日米中三国同盟などというものもあった。


 その中で日本側からアメリカが空軍、日本が海軍、中国が陸軍を担当し、
お互いに集中的に増強することで、補完関係を作ろうとする構想であった。


 それに対して意見を求められた華国鋒首相は

 日本が海軍力を強化しても、空軍力がなければ意味がない。
 そのためには防空力の強化が必要。

ということである。


確かに海軍力は空軍力に弱い。そのため日本が海軍力だけ強化することは意味がない。
日本はその弱点を補うため、防空力の強化に努めるべきである。
ということを中国の首相が日本に忠告しているのだ。





防衛費2%発言

 その後、華国鋒氏や、人民解放軍副参謀長の伍修権氏は

 我々は日本から侵略があるとは思っていない。
 日本と闘わないことを参謀本部として正式に宣言する。


などと言い、日本側を喜ばせている。


 「日本から侵略があるとは思っていない」

 「日本と闘わないことを正式に宣言する」



これが中国の政府や軍のトップから公式に発言されている。

それが1980年のことである。



そして軍高官の伍修権氏はこう発言する。

日本の防衛費は少なすぎる。GNPの2%くらいでも問題ないだろう。


当時の日本は三木政権の政策により、防衛費の1%枠というものがあった。
これに対して、中国の高官から、「増やした方がいい」という発言が出たのだ。


タカ派の中曽根氏はホクホクだっただろう。



 実はこう言った発言はアメリカの議員からも主張されていた。
例えば、パーシー議員は「1%は少なすぎる。」と発言していた
(1980年5月1日 朝日新聞2面)。


 
 しかしさすがにこの発言は日本側の反発を招いた。
日本の外交当局は伍発言を捉えて、内政干渉であると反発した。

 
 中曽根氏は「伍発言は私見である」として発言を擁護している。




大平首相の靖国参拝

 驚くことに、この中国の政治トップによる発言は
1980年4月末(新聞掲載は5月1日)に行われた。


この約10日前に大平首相の靖国参拝があったのだ。


 >>
靖国参拝をすると中国人民を傷つける

在日の嘘!ある在日コリアンの変節


1976年5月1日 朝日新聞5面のコラム「論壇」に
以下のような文章が載った。

「65万人」を読んで 未来世代への思いやりこそ必要


「65万人」とは朝日新聞で連載されていたコラムで、
その内容は在日コリアン(在日韓国・朝鮮人)に関することを記したものであった。
「65万人」とは当時の在日コリアンの公式な人数である(非公式にはもう少し多いらしい)。




その内容を引用すると…   ※赤字は筆者

~略~ そこでこれらの問題の基本にある幾つかの点を整理して提示して見たい。 ~略~ 
一つに彼らがなぜ日本に存在するかという点であるが、 ~略~ 
彼らは日本の植民地化の過程で日本にきたのであり、
この点を日本の若い人たちはあまりわかっていないということであるが、これはまちがいない。
しかし、いままでこの過程を「強制連行」のイメージで強調しすぎた面はないだろうか。 ~略~
筆者の研究では、彼らは「強制連行」というよりはむしろ「移住」の線がつよい。 ~略~。


これを書いたのは田駿(でん・しゅん)という人で在日コリアンである。
彼の著書「日韓の硲に生きて」から経歴を拾ってみると、

1920年   韓国平安道に生まれる。
1943年   専修大学2年次に学徒出陣、中支那派遣軍に入隊
1952年   来日
1977年   韓国民団権益擁護委員会副委員長として差別撤廃運動に関わる。
1994年   同委員長として、在日の地方参政権運動に関わる。

田駿氏は日韓併合時代の朝鮮半島で生まれ、帝国軍人として中国戦線で戦い、
1952年に来日(当時の状況からして密航か?)した人物である。
戦前の併合時代や朝鮮戦争当時のことも知っている人物であり、
当然、戦前戦後の日本及び日本人のことも知っている人物である。



その田駿氏は、在日コリアンは「強制連行」ではなく「移住」と述べている。


他にも“「65万人」を読んで”にはこのような記述がある。 ※赤字は筆者


過去のいきさつよりかは未来をどうするかという志向が是非必要であり、
その点でかれらの未来世代の行く末を思うこころ根が必要であろう。
われわれは未来のために過去を犠牲にし得ても、
過去のために未来を犠牲にすることはできないからである。

また彼らからすれば、そのエネルギーは日本の社会に還元し、
寄与する気持ちがなくては、日本の社会から信頼されず、
敬遠される存在になるのは当然であるといえよう。
現実の生活向上も、差別の問題も、
この点を考慮に入れなくてはならないということである。



素晴らしい!!!!!!




未来のために過去を犠牲にしても、
過去のために未来を犠牲にすることはできない。

日本に寄与する気持ちがなければ、
信頼されず敬遠されるのは当然。


生活向上も差別もこの点を考慮に入れなければならない。





このような言動を多くの在日コリアンが行っていれば、
嫌韓なんて発生しなかったのではないか?



だが実態は、被害者ぶって、特別扱いを求める在日コリアンばかりである。



それなら信頼されず、敬遠されるのは当然である。








しかしその20年後……田駿氏が1996年に書いた本には

しかしここで考えるべきことは在日韓国人とは一体なんだということである。
 ~略~ 彼らがいまいきなり日本に住んでいるわけではない。
いわば戦前に強制連行されてきた人たちとその子および孫たちなのである。

日韓の硲に生きて P104からの抜粋




なんだ!これは!



1976年には「強制連行」ではなく「移住」と書いた人物が、

20年後には「強制連行」と書いている。



全くデタラメじゃないか!



この変更は民団の活動家(1977年から)になったことが大きいのかもしれないが、
だからと言ってはいけない。

それとも20年間の研究の成果で意見が変わったのであろうか?




そうではないだろう。


つまり「強制連行の被害者」を演じた方が、
自分たちの未来のためになるからだろう。


その方が、主張が通りやすいからであろう。


これを見れば、コリアンに誠意を示してもダメだということがよくわかる。
在日コリアンが「移住」と分かっている戦前生まれのコリアンが平気で前言を翻すのだから。



自分たちが被害者を演じることで、

日本人を批判し、侮辱し、差別する



そう…これはコリアンの差別行動なのである。

「小松川事件」って知ってますか?

・1958年の在日の犯罪「小松川事件」
・日本人が率先して除名嘆願をしていた
在日コリアンは積極的ではなかった。



小松川事件

 小松川事件をご存じだろうか?


小松川事件は別名「小松川女子高生殺人事件」といい、
1958年8月17日、東京都江戸川区小松川
当時都立小松川高校に通っていた太田芳江さん(16)が襲われ、殺害された事件である。

のちに犯人として同学校の1年生で、
在日コリアンの李珍宇(18)が捕まった(但し被害者との面識はなし)。

その後の調べで、同年4月にも同様の事件を起こしていたことが発覚し、
2件の強姦殺人事件の犯人として起訴された。




李珍宇の裁判は早いペースで進んだ。
翌年1959年2月には東京地裁判決、同年12月には東京高裁判決が出た。

いずれも死刑判決である。







日本人の助命嘆願運動!

ここで日本人の間から「助命嘆願運動」が起きた。

その経緯は、李珍宇被告の話を聞いた朝鮮史を専攻する旗田巍氏が大勢の識者に協力を仰いだ。
その中には大岡昇平氏や木下順二氏、吉川英治氏、渡辺一夫氏などそうそうたる顔触れが名を連ねている。


旗田巍については以下を参照




この部分を「人権の思想 戦後日本思想大系2」の
金達寿“「小松川事件」の内と外”のP271から抜粋すると、

~略~
それにたいして、都立大教授旗田巍氏らによる被告の「助命嘆願運動」がおこったことを、私は知った。
これには、前記の朝鮮人学生たちも、控え目に加わってはいたが、これは、どちらかというと、
日本の文化人や学生たちが中心となっているもので、
ここから、 ~略~  「李少年をたすける会」が生まれた。  ~略~


在日コリアンよりも、日本の文化人の方が中心になって参加している。
それも2名の若い女性を強姦殺人した在日コリアンの助命を…である。



どうしてこんな犯人を「たすける」ことに熱心になるのであろうか?




そして…もしこの犯人が日本人だったら、
大岡昇平氏や木下順二氏は立ち上がったのであろうか?




この会の「主旨」説明によると「助命」の理由は以下のである。

1. 李少年は心より悔悟している。
2. 李少年は犯行当時未成年であった。
3. 李少年は在日朝鮮人である。
4. 被害者の家族も寛大な措置を望み、世間的にも多様な意見がある。



 ここでは「3.李少年は在日朝鮮人」の中に以下の記述がある。

 ~略~
 私ども日本人としては、過去における日本と朝鮮との不幸な歴史に目をおおうことはできません。
李少年の事件は、この不幸な歴史と深いつながりのある問題であります。
この事件を通して、私たちは、日本人と朝鮮人とのあいだの傷の深さを知り、
日本人としての責任を考えたいと思います。  ~略~


事件は不幸な歴史とつながりのある?????
日本人としての責任??????



何をっているんだ?



「日本と朝鮮との不幸な歴史」とやらが例え事実であっても、
だから若い女性を強姦殺人する理由になるのか?

そしてどうして「日本人として責任」があるのか?



 まさか李珍宇被告が貧しい家の出身だから犯罪に走った。
それは日本人の責任だ。とか言うのか?

でも貧しい家に生まれた日本人でも朝鮮人でもほとんど殺人事件など犯さないだろう。
彼は完全に李珍宇自身の責任である。極刑でもやむを得ない




 まあ確かに在日コリアンに犯罪者は多かったかもしれないが

 






在日コリアンの行動!

 金達寿という作家がいた
金氏は在日1世で、生まれは1920年朝鮮半島慶尚南道の出身。10歳で日本に渡った。詳細は以下参照。



 
 その金達寿氏が、小松川事件について書いている。時期は1961年であるから最高裁判決が出る前後だと思う。


 当時の金氏は以下のように反応したと記している。

 ~略~
 このいわゆる「小松川事件」がおこったとき、  ~略~  その犯人が朝鮮人であったことで、
「ああ、またかー」という暗い気分、というよりは焦燥の方がさきに立って、
むしろそれからは目をそむけるようにしたものである。  ~略~

「人権の思想 戦後日本思想大系2」 金達寿“「小松川事件」の内と外” P268
 ※赤字は筆者



 上記のように金氏は小松川事件から目をそむけてできる限り関わらなくしていた。


 そして他の在日コリアンの反応は

~略~
 私のこの「ああ、またかー」という焦燥は、ひるがえってはまた、私のそれとおなじ体験を強いられている、
在日朝鮮人自身にたいする焦燥となる。特に若い世代、彼らはかつて私がそうであったように、
虚空に向かってするようなむなしい弁明を、その心につぶやきつづけているであろう。
たとえば、ここにいう「小松川事件」の、これら在日朝鮮人の若い世代にあたえたショックというものは、
それは、一般の日本人にはとうてい推しはかることもできないほど強いものであった。     ~略~

「人権の思想 戦後日本思想大系2」 金達寿“「小松川事件」の内と外” P269
  ※赤字は筆者


~略~
 事件のひきおこしたショックは、また別なかたちでもひろがりはじめた。
それは東大や都立大に在学する朝鮮人学生たちを中心としたもので、
彼らは、そのショックから、この日本のなかで孤立している
朝鮮人少年・少女たちを訪ねてはセッツル活動をおこなったり、
また、被害者である田中せつ子さんの家や太田芳江さんの家を訪ねたりしていた。 ~略~

「人権の思想 戦後日本思想大系2」 金達寿“「小松川事件」の内と外” P271
  ※赤字は筆者


 ~略~
 特に若いコリアンは、金氏と同様に「焦燥」を感じ、
「ショック」を受けながらも被害者宅を訪問する等の行動を行っている。
そこには「植民地支配への責任転嫁」的な考えは微塵も感じられない。  ~略~



このように見てみると、在日コリアンは被害者意識ではなく、
むしろ贖罪意識にまみれているとさえ言えよう。


 因みにセッツル活動とは、大学生の貧民救済活動のことである。詳しくは以下参照。





そしてコリアンは、犯人の李珍宇に対する助命運動でもあまり積極的ではなく、
控え目に参加しているのであり、むしろ日本人の方が積極的に参加している。

~略~
それにたいして、都立大教授旗田巍氏らによる被告の「助命嘆願運動」がおこったことを、私は知った。
これには、前記の朝鮮人学生たちも、控え目に加わってはいたが、
これは、どちらかというと、日本の文化人や学生たちが中心となっているもので、  ~略~


 このように小松川事件ではコリアンより、
良心的日本人の方がよっぽど活発に活動しており、
コリアン特有の「植民地支配にかこつけて」日本批判に転換することはしていないのである。


 まあ事件が事件だから…






では最近の状況はどうか?

最近では「小松川事件」に言及する記事
そのものが少なくなっていたので比較できないと思っていたが、
最近、在日コリアンで「小松川事件」への言及した本があった。

それは徐京植氏の評論集「植民地主義の暴力」である。
(この評論集が出たのは2010年であるが、「小松川事件」の部分は2005年に書かれている。)

徐京植については以下を参照



そこにはこう書いてある。

 野崎六助は「二件の強姦殺人において、一件は強姦及び殺人ともどもについて、
一件は強姦について、それぞれ無実は確信される。一件の殺人についてのみ確信が欠ける」と述べている。 
~略~ かりにそうだとすれば、 ~略~ 死刑判決はありえなかったであろう。

 ここに伺えるのは、  ~略~  わかりやすいストーリーに何が何でも当てはめよう、
厄介なことにならないうちにさっさと片付けてしまおうという権力の強固な意志である。

 ※植民地主義の暴力 徐京植著  P49  ※赤字は筆者



 確かに野崎六助は「李珍宇ノオト」の中で「無実を確信している」と書いているが、
ほとんど根拠らしい根拠を書いていない

それを根拠に在日コリアンの強姦殺人を「権力の意志」に捻じ曲げるとは困ったものである。



 またこうとも書いている

 日本政府が当時、北朝鮮への帰還事業を推進していたことを根拠に

 >>
日本人マジョリティの心理は、自らの国家が行なった植民地支配の反省、
戦後処理の過程で在日朝鮮人に加えられた理不尽な権利剥奪への批判に向かうのではなく、
厄介払いの方向へと向かったのであろう。

韓国の興味 慰安婦よりサンマだった!

・小泉元首相は、在任中6回靖国参拝を行った。
・しかし韓国とは定期的に会談していた。
小泉政権下で、韓国は慰安婦を持ち出していない。
・韓国にとって慰安婦より、サンマの方が重要だった。

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小泉政権下の日韓関係

2001年から2006年まで5年5か月に渡って政権を維持した小泉政権
日本では総理大臣が1年で交代することも珍しくない。
その中で、日本で5年以上政権を維持した総理大臣は
吉田茂佐藤栄作に続いて、戦後3人目
(中曽根氏は5年にわずかに届いていない)であった。


小泉政権および小泉純一郎に対しては、毀誉褒貶があり、多様な評価があるだろう。
保革両方からの激しい批判もある。


しかしその中で少なくとも保守派が高く評価するのが、
在任中に行った6回の靖国神社参拝である。


 小泉純一郎元首相についてはこちら参照



 当然、韓国および中国との関係は悪化した。
しかし中国はさておき韓国との間では在任中何度も首脳会談が行われていた。


小泉首相在任時の韓国大統領は金大中氏と廬武鉉氏であるが、両者とも複数回会談している。
しかしその中で慰安婦問題に言及されていないことはあまり知られていない。





慰安婦への言及なし

 例えば、小泉首相金大中大統領が最初に会談したのは2001年210月である。
当時は911テロの直後とあってテロにも話が及んだが、
それ以外の主な内容は「教科書問題」や「靖国参拝
それに「自衛隊の海外派遣」だった(10月16日朝日新聞4面)。


 そしてその後、日韓間での7項目の合意を行った。
その中には「歴史共同研究」や「靖国神社参拝」「日韓ビザの緩和」があるが、

慰安婦への言及はない



 なかなか日韓首脳会談を行わなかった朴槿恵大統領が、
その会談を開催する条件として、慰安婦問題の進展を唱えたのと
まったく違う対応をしているのである。


 これはどういうことか?


 つまるところこうだ。


韓国は慰安婦問題など、どうでもいいのである。


 「女性の人権」とか「慰安婦の心の傷を」とか言っているが、
そんなことはどうでもいいのである。


 ただ日本を侮辱すること差別すること、
因縁をつけるネタがあれば何でもいいのである。



例えば少し時間がとぶが、2005年11月にも日韓首脳会談をしている。
この時は小泉首相と廬武鉉大統領に代わっていたが、
ここで言及されているのは3項目で靖国」「教科書」「竹島である。


慰安婦は言及されていないのだ。



 上記3項目では、「靖国」では小泉首相以後は参拝していないし、
教科書は「新しい歴史教科書を作る会」の教科書は採択率が低かったため、
韓国の批判は沈静化してきた。


 そして「竹島」は領土問題であるので、進展は難しい。



 つまりネタがないのだ。


 日本を侮辱し、差別する、面白いネタが韓国にはなくなってしまったのだ。

だから慰安婦」に言及するようになったのだ


 毎年、靖国参拝をする小泉首相は、それだけで批判のネタになった。しかし後続の首相は全くやらなかった。


 それでは面白くないのである。


 そこで丁度良いタイミングでアメリカの下院で慰安婦への決議が取り上げられたのである。

韓国人は考えた。


 これを蒸し返せば使えるんじゃないか?…と


 そして現在に至るのである。





慰安婦よりサンマ

 韓国にとっては慰安婦問題より、サンマの方が重要なのである。

これはどういうことか?


 先に書いた、2001年10月の小泉=金の最初の首脳会談の時、
問題になっていたのはサンマ漁なのである。
これは首脳会談の要旨にも、項目の合意にもはっきり謳われている。



 サンマ漁の問題とは、2000年12月、
韓国とロシアの間で北方領土の周辺海域に漁業協定を結んだことに端を発している。


 当然、日本は反発し、ロシアと韓国に抗議した。
その際に対抗措置として、韓国漁船三陸沖の漁業申請を却下した。
これに韓国が反発したと言う事件である。


 韓国側は日本の措置の撤回を求めて、首脳会談でも言及している。
それ以外にも例えば韓国野党が、小泉首相訪韓の条件として、
「教科書の謝罪」「サンマ漁に対する措置の撤回」を挙げ、
それが認められないと「国会への訪問を阻止する」と主張するに至る。


つまり与党も野党も慰安婦など眼中になく、サンマが重要だったのだ。



 毎年靖国神社に参拝し、歴史を歪曲している小泉首相に対して、韓国の大統領がどうして言及しないのか?
 それよりもサンマの方にご執心なのはどういうことか?



 結局、慰安婦などはどうでもいいのである



 女性の人権などと言いながら、韓国の基地村の女性については全く言及しない。
歴史を真摯に学べと言いながら韓国の歴史のねつ造については何も批判しない。


 彼らのいう人権や歴史などは、差別にかけた衣に過ぎないのだ。


 2005年当時、韓国の外交通商部長官だったのは前国連事務総長潘基文氏だった。


 彼の発言を2005年6月3日朝日新聞夕刊2面から引用すると、


 「靖国」「独島」「教科書」3つの懸案を解決へ


 前述した2005年11月の日韓首脳会談での廬武鉉大統領と同じ意見だった。




 つまり潘基文さんが大統領になれば、

 慰安婦問題は解決していたのですね?


 そんな訳ないか!