韓国の反日は差別だ!

韓国への反論をするための方法を提供

チケットキャンプ

リベラル派の最終局面!現在は第4段階だ!


◎リベラルの現在の状況
◎「主義」と「勢力」による歴史分析
◎現在は最終段階である。

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リベラルの第4段階!
最近、日韓関係が壊滅的に悪くなっている。
それはもちろん韓国側が「徴用工判決」を行い、
また2015年の慰安婦の日韓合意に基づく財団を
「一方的に解散」したことが理由である。

さらに年末には韓国海軍が日本の哨戒機に対して、
火器レーダー照射をした事件が発生。
これは敵対国に対する行動だとして、日本は韓国側を非難している。


このような状況で、日本のリベラルは沈黙を守っている。

日本のリベラルはこういう場合、韓国の肩を持ち、
日本批判に勤しむのが通例だが、さすがに今回は擁護できないのか、
公式見解では韓国批判を(一応)したが、それ以外は黙っている。
彼らでも今回の一連の韓国の行動は容認できないというのが実情だろう。


ところで先程書いた通り、リベラルという人たちは日韓関係などでトラブルが起きると、
基本的には日本(=日本政府)を批判し、韓国側を擁護する傾向がある。

これは野党が日本政府(=つまり自民党政府)を攻撃することが生業にしているからだ。
野党の仕事とは政府の活動をチェックすること。これは正常な活動なのだが、
日本の場合は与野党が固定化している。自民党がいつも政権与党であり、野党はいつも野党だ。

つまり政権交代が無いのだ。


それ故に野党はいつも野党であり、与党はいつも与党である。
そして野党は野党らしく、与党は与党らしくなる。
そして野党らしくなった野党は、自身が政権をとることなど全く考えず、
ただ与党=自民党批判“だけ”を行うようになる。

それ故に日韓でトラブルになると、
韓国側について、日本政府側を攻撃すること“だけ”をするようになる。


彼ら野党(=リベラル)は政権をついた後のことを想定していない。
なぜならそれは現実的ではないからだ。政権交代自体を現実的には考えられず、
それ故に政権交代後のことは考えられない。

大学に入ることのみを目的にし、大学に入った後のことを考えていない受験生の様なものだ。
彼ら野党(=リベラル)は政権交代など具体的に考えられないのだ。


そしてそのような傾向は、野党の政権批判能力をブラッシュアップするとともに、
政府批判に喜びを見出すようになる。

人は賽の河原に石を積み上げるような仕事に興味を持てない。
つまり成果を上げることができない仕事には興味を失うのだ。
そこで成果となるのは政府批判だ。

政府を批判して、足を引っ張り、大臣のクビをとって、
あわよくば政権を転覆させたい。
そこに喜びを見出すようになる。


本来政治家とは、国会議員とは、法律を作るものだ。

この世の中を少しでも良くするために、世の中を変えるためにルールを作る。
そのルールとは法律である。法律作りに関与するために、
選挙に出て国会議員になっているはずだ。

しかし野党では法律作りに関与はできない

法律は与党が主導してつくられる。
それは当然で、法律は国会で可決しなければならない。
そのためには国会で過半数を持っている政党が法律を作り、それを通していく。

与党は自身の望む法律を作り、好きなところへ予算を配分する。
しかし野党にはそれができない。

そこで野党がやることは反対することだ。

与党が作った、政府が作った法律や予算に反対し、否決していく。
もちろん多数を持っている与党は数の力で可決することができるが、
それをできる限り遅らせようとする。

そういう嫌がらせに力を注ぐようになるのだ。


野党の仕事とは政府与党の仕事のチェックだ。
確かにそうであれば、政府与党が出す法律や予算をチェックするのは正しい行動である。

しかし日本の場合は万年野党であり、彼らは本来の仕事=法律作りをすることができない。それ故に政府与党の反対をすることに喜びを見出し、成果を競うことになる。


だから韓国などの外国が日本政府批判をすると、外国と一緒になって日本批判に勤しむ。
そこで日本批判とは、決して日本政府批判ではなく、「日本批判」なのだ。

つまり反日になる。


 ここで「リベラル」という言葉を説明しておく。

 元々「リベラル」とは自由主義のことだ。
それ故に本来は野党のことでもないし、社会主義者共産主義者のことでもない。

 本来彼らは進歩」「革新と言っていた。

 世界の歴史は「原始共産制」→「奴隷制」→「封建制」と移り変わってきて、
 現在は資本主義の下にある。

 この歴史的な進歩は奴隷制下では「奴隷」と「奴隷主」が争い、
奴隷が解放される。そして封建制では「封建領主」と「農奴」が戦い、身分制が無くなる。

 このように対立する階級が戦って、抑圧されていた階級が勝利し、
それ故に歴史は進歩してきた。そして革新されてきた。

 現在の状況は資本主義であり、この時代は表向き身分制が無くなっているが、
金持ち(資本家)とそうじゃない人(労働者)の間には格差があり、
それが固定化しているので、その格差は壊さなければならない。

 つまり資本家と労働者の戦いである。

 そして必ず労働者の勝利に終わる。
 それが歴史的必然であり、それが進歩なのだ。


 そのような進歩をひっくり返すのが、保守的な人間だ。
 彼らは歴史の必然的な流れを逆行させようとする「反動」であり、進歩勢力のである。

 歴史は必ず社会主義共産主義の時代になり、それを逆行させようとする保守反動は敗れ去るのだ。


 こういう風に考えていたのが進歩革新勢力だった。


 しかし実際には敗れ去ったのは進歩革新勢力であり、
社会主義国共産主義国などは軒並み貧しい国になっていた。


 昔の彼らは自信をもって「進歩」「革新」と言っていたが、
「革新」などというと左翼と呼ばれるようになってきた。

 それ故に進歩革新と言っていた連中が、「リベラル」を自称するようになったのだ。





政府与党批判としての戦前批判!
 戦後の社会主義のイデオローグである安東仁兵衛氏によると、
進歩革新政党自民党を批判するときにネタは4つあったという
日本社会党社会民主主義)。

 それは
(1) 独占資本による民衆の搾取
(2) 保守反動政権による民主主義の否定
(3) 対米従属
(4) 憲法9条に基づく平和主義

 この4つが終戦後の選挙時に、国民に訴えるべきネタだった。
因みに「(3)対米従属」とは現在では外交や安全保障の問題となっているが、
当時は「経済問題」だった。
 アメリカの支配下で民衆が搾取されているということだ。

 このようなことを主張して、自民党批判をし、自民党の足を引っ張ることを繰り返していた。
それが野党、特に野党第一党社会党のやっていたことだった。


 しかしそのほとんどは60年代になると怪しくなる。
 独占資本などどこにも無いし、保守反動である自民党政権は民主主義を守っている。
むしろソ連のような共産国の方がハンガリー事件を起し、ハンガリー民衆を弾圧していた。
 さらにアメリカ支配のもとに搾取されるどころか、アメリカとは経済摩擦を繰り返し、
むしろアメリカ側が「日本に搾取されている」と訴えるほどであった。

 つまり4つのうち、3つは早々にネタ切れだった。


 そこで進歩革新が求めたのが憲法9条による平和主義だ。
 当時日本では戦争により傷ついた人が大勢いたほとんどの家族では
 男性は戦場に連れていかれた。

 夫が、父親が、息子が、多く戦場に連れていかれ、戦場の藻屑と消えた。
その悲しみは決して他人事ではなかった。

 さらに当時は自身が戦場に行った人も大勢いた。
 彼らは軍に、政府に命令されて戦場で戦った。それ故に二度とそんな思いをしたくないという意識があり、
二度と戦争を起こさないという「憲法9条の思考」は多くの日本人の心に響いた。

 それ故に進歩革新勢力は、「独占資本」や「保守反動」という「どこにあるのかわからない」ものではなく、
二度と息子を戦場に送らない、というストレートな主張を好んで使うようになった。


 ここから出てくるのが戦前の否定である。
 戦前はダメだった。だから無謀な戦争を引き起こした。それ故に戦前は否定しなければならない。
そして戦前を一部でも肯定する輩は「軍国主義者である」として、厳しい非難を下されることとなった。

 政府与党を批判するネタとしての憲法9条、そのための戦前の否定、
そして政府与党を「戦前の引継ぎ」であると見做して、
そしてレッテルを貼って攻撃することを進歩革新勢力は繰り返すことになる。





手段としての憲法9条
 ここで問題なのは、「憲法9条による平和主義」とはあくまで手段だったということだ。
進歩革新勢力は選挙によって議席を増やそうと考える。
 その時に必要な手段なのだ。

 「二度と戦争を起こさない」と言えば、そしてそのために憲法9条が必要だといえば、
多くの人に支持された。そして選挙に勝つことができた。
 それ故にそのような主張をしていたのだ。

 しかし決して進歩革新勢力は憲法9条など支持していなかった

その証拠に社会党が政権をとると、あっさり自衛隊を合憲と認める。
社会党憲法9条とは「一茶の戦力を持たない」と解釈していた。
それ故に自衛隊違憲であるという立場だった。

しかし政権をとるとそういう訳にはいかない。
なぜなら違憲の存在を政府が認める訳にはいかないからだ。
自衛隊違憲なら、予算もつけることはできない。
自衛隊員に給料を払うこともできないのだ。
それ故に社会党自衛隊=憲法違反という主張を投げ捨てて、
自衛隊を認めるようになった。これは憲法9条を蔑ろにする行為だった。

一切の戦力を持たない憲法9条を捨て、骨抜きにすることで自衛隊を擁護したのだ。



 このように進歩革新勢力は、憲法9条戦争放棄=平和主義という主張を繰り返し、
それにより、国民の支持を獲得していった。



 ここで付言しておくと、実は社会党など進歩革新勢力は「選挙で勝とうとは思っていかなった」。
 少し語弊があるが、少なくとも早々に政権交代を望んでいなかった。

 それはどういうことかというと、彼ら進歩派の人は自身の考えが「歴史的必然」だと考えていた。
 それ故に時間が経てばたつほど自身に有利になると考えていた。

 資本主義は、資本家が労働者を搾取するシステムだ。
それ故に時間が経つほど、搾取された人は増え、それによって労働者側の勢力は増える。
そうすれば労働者側は有利になる。

 だから時間は労働者の味方であり、資本家側は肥え太っていくが、
最後には労働者側が勝つと思っていた。

 ではなぜ選挙に勝とうと思っていたのかというと、
それは政権与党の側の政策を邪魔するためだ。
 いずれ自分たちが勝つとわかっていても、その期間は短い方がいい。
30年後に革命が起きるのと半年後では、半年後の方がいい。

 更に国会議員の議席をたくさん取ると、政府与党の邪魔をすることがたくさんできる。
委員会で委員長を出せば、採決を妨害することができる。それに官僚からの情報も手に入る。

 このように「邪魔をする」には選挙で多くの議席をとれば選択肢が増える。
そのために選挙で多くの議席を獲得することが必要となった。





政治的「主義主張」と「勢力」の関係!

 ところでこのリベラルは政治的存在なので政治的主張を持っている。
そしてそれに基づいて選挙を行い、政治勢力が確定する。

 この政治勢力の増減が自身の主張が支持されたかどうかのバロメーターになる。
実際は必ずしも主義主張と、選挙の勝ち負けはリンクしないのだが、
そのようにとられるのが民主主義である。

 つまり自身が選挙に勝った。つまり自身の主義主張が支持された

 ということだ。


 つまり「主義主張」と「勢力」により、その時々の政党の位置付けが変わってくる。

 その「主義主張」と「勢力」に先程の「反日」を加えて検討する。
それは戦後の野党(=現在のリベラル)は政府与党を否定することが目的だからだ。


 自身の主義主張を通すためなら、必ずしも「反日」である必要はない。
選挙に勝てばいいのだ。故に当初の社会党などは必ずしも反日一辺倒ではなかった。

 しかも自身の主張が国民に支持されて、勢力を増やしている時なら反日をする必要はない。
むしろ自分達が政権を獲得した時に不利にならないように、反日をセーブしようとするだろう。
 しかし勢力が減少して、国民に支持されないようなら、
むしろ政府与党への嫌がらせを優先させて、反日に勤しむことになる。



 ここで筆者は以下のように検討してみた。
 リベラルの「主義主張」と「勢力」の関係はどうなっているのだろうか?
ここでの勢力はリベラルの代表として50~80年代は社会党共産党民社党を、
90年代以降は民主党を俎上に検討する。

 筆者は戦後のリベラルをつの段階でとらえる。それは以下の分類だ。
              (リベラル勢力)  (反日の動向)
 第1段階(50~60年代)  勢力拡大     戦争反対
 第2段階(60~70年代)  勢力停滞から縮小 反日の萌芽
 第3段階(80~90年代)  勢力減退     反日シフト
 第4段階(2010年代)   勢力減退     反日への疑念


 この第1段階はリベラル勢力の勢力が拡大している時だ。
 特に50年代は伸長が激しく、他方の共産党衆議院
議席程度しか取れないのを尻目に、急拡大した。
 例えば1949年の総選挙では49議席だったが、
58年には166議席まで増加していた。

 当時の社会党は一時「右派」と「左派」に分裂していたが、
1955年には再統一した。この時に「自由党」と「民主党」も統合して
現在の「自由民主党」になったが、これは社会党が統一することへの危機意識が大きかった。
 それほどまでに当時の社会党は勢いがあった。


 第1段階では勢力拡大することで、社会党は自身の主義主張が
「支持された」と言える状況になった。なぜなら選挙に勝っているから。
 そしてその時の主張の一つが戦争反対であった。

 先程書いたように、当時の国民は戦争被害に遭った人が多かった。
それ故に二度と戦争を起こさない。そのためには憲法9条が必要だ。
なぜなら戦力を持たないから。戦力を持たなければ戦争を起こしようがない。
つまり9条を守れば戦争は起きないのだ。

 こういう主張は支持されていった。
ただしここでは日本国民は戦争の被害者であり、
決して加害者として位置づけられてはいなかった。

 
 
 
 次の第2段階ではリベラル勢力が停滞から減少するときだ。
60年代前半は140程度の議席で停滞した。そして後半(69年)には激減し、二けたの議席になった。
 70年代末には100議席そこそこが定番となった。

 この時にリベラルは反日シフトをする。
 つまり日本人を戦争被害者ではなく、加害者と位置付ける。
そして真摯な謝罪こそが、日韓日中関係を改善すると主張し出すのもこの頃だ。

 事実、60年安保頃は「日本は加害者」というスローガンはほとんど出てこない。
むしろ「また戦争が起きて、息子が戦場にやられる」という主張が支持された。

 当時は戦争被害家族が多かったのだから、それが有効な訴えだった。
しかし時間が経つとそれだけでは支持されない。
そこで日本は加害者であるという主張を強めることになる。

 これは戦後生まれ(一部は戦中派)の人を惹きつけるには、その方が良かったからだ。
戦前の人は自身(もしくは家族)が戦争に関わってきたので、
加害者と言われるのは抵抗がある。しかし戦後派の人は関係していない。

 それ故に加害者を強調することで、世代間の対立を煽り、
一方の支持を獲得しようとしたのだ。


 もう一つあるのは中国の支持を獲得する事。当時の社会党は中国シフトをしていたので、
日本=加害者を煽ることで、中国の支持を得ようとした。
 このため加害者を強調することをした。



 第3段階では更なる勢力減退が見られる。
 一部では政権交代があり、なおかつ民主党の躍進があるので、
リベラル勢力はむしろ勢力を拡大したと思われるかもしれない。

 しかし「主義主張」からいうと非常な減退である。
彼らは社会主義をかなぐり捨て、自衛隊を合憲とし、日米安保も認めた。

 つまり主義主張をてたのだ

 それ故にリベラルは益々主義主張から離れ、反日シフトを加速することになる。
前段階で既に日本人を被害者から加害者と位置付けていた。


 第3段階ではそれをさらに加速することになる。
 社会党や進歩革新系の活動家はこの時に自身の主義主張ではなく、
歴史問題による反日によりシフトすることになる。

 反日には、当時はリスクが無かった。日本国内世論も韓国や中国には同情的だったし、
自民党内でもタカ派は主流派ではなかった。自民党の主流派は経世会(田中・竹下派)であり、
宏池会(大平・鈴木・宮沢派)であった。

 彼らはイデオロギーを持っていない。経世会は利権で動く派閥だし、宏池会は官僚集団だ。
それ故に中韓反日=歴史攻勢にも「無難に処理する」ことを旨としていた。

 中韓の歴史攻勢を目の当たりにして、喜ぶ野党リベラル(進歩革新)勢力。
無難に終らそうとする自民党主流派。そして戦後の自虐教育から中韓に同情的な国民世論。

こういう状況が中韓の歴史攻勢に迎合する心理となった。



 第4段階は現在である。これは反日への疑念が起きているのだ。
 第3段階と違い、世論は中韓反日に反発している。そのため第3段階ほど反日にシフトできない。
 さらにリベラル勢力自身も反日への疑念が起きている。

 中韓との歴史問題があると、むしろ外国側に立ち、政府与党を攻撃することを繰り返した野党。
彼らの言い分は日本が真摯に反省すれば日韓日中関係が改善するはずだが、まったくそうなっていない。
反日(当然だがリベラルは「反日」だと思っていない)は、
中韓との関係を改善するはずだが、むしろ悪化しているように見える。
それに対して疑念があるのだ。

 それは当たり前で反日とは差別なのである。
それ故に韓国の反日に迎合することは、反日を過激化させる。現にそうなっている。


 この第4段階は主義主張をかなぐり捨て、
反日に活路を見出してきたリベラルの最終段階である。



つまり元々は共産主義社会主義の国を作るための政府与党攻撃だったし、
それには効果もあった。事実勢力は拡大していた(第1段階)。


しかしその後、勢力は停滞(もしくは減退)しているが、自分たちの考えは間違っていないとし、
実際の政治的敗北を「俺は間違っていない」という主義に逃げることで、リベラル自身の現実逃避が行われた。
そしてその際に行われたのは現状を打開するための「日本人は加害者である」という考えだ。
それによって、新たな戦後世代の支持を獲得しようとした(第2段階)。


その後、一時的な政治的勝利をすることはあっても益々勢力は減少する。
そして遂に「主義は間違っていない」ということも言えなくなった。
その象徴的な事象は、社会党の「自衛隊合憲化である」。

あれだけ声高に主張していた自衛隊違憲だ、ということをあっさり捨てたのだ。
これはこれまで国民を騙していたことを意味する。

つまり勢力が減少するだけではなく、主義も間違っていたと認めざるを得なくなり、
彼らはさらに政府与党批判を激しくし、
自身の政治的敗北およびイデオロギー的敗北を糊塗しようとした。
そしてより反日シフトを進めることになった(第3段階)。


 そして現在ではその反日も難しくなっている。
 反日に日本国民が反発するようになったからだ。

 元々自虐教育を受けた日本人は中韓に同情的だった。
しかし度重なる反日行為に対して疑問を呈しているのが実情なのだ。

 これまで行ってきたリベラル(進歩革新)勢力の反日行為に対しても、
批判的な言説が増えてきている。

 リベラルは反日をすることが自身の選挙に勝てることではなくなった。
しかし自分たちの政治的敗北やイデオロギー的敗北を糊塗するために、反日シフトをしている。
これが第4段階だ。


 リベラルは最終段階にある。
 その断末魔が聞こえているのが現在の状況なのだ。

1939年の福岡県検察資料に記されたコリアンの実態


1939年 福岡県の検察会議
当時のコリアンの状況について話している
会議の抜粋を提示する

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1939年福岡県で行われた検察会議資料

まだ太平洋戦争も始まっていない1939年(昭和14年)。
福岡地方裁判所である会議が行われた。

目的は、朝鮮人と日本人のトラブルを無くすため、
うまく両者が協和している箇所の責任者を呼んで、
そのケーススタディヒアリングすることだった。

会議には福岡県の特高警察や県の職員、工場、農村、
小学校の校長などが参加した。
この参加者は福岡では比較的、朝鮮人と関係の深い人たちで、
特に民間人は日鮮の融和ができている箇所の人たちだった。

会議は朝の10時半から夕方4時半まで、休憩を挟んで行われた。
その中には当時の日本にいる朝鮮人の言動が、
日本側関係者の証言として取り上げられており、非常に興味深い。

特に民間人は日常から朝鮮人と接しているので、
参考になる話がたくさん含まれている。


先に福岡県のことを書くと福岡県は朝鮮半島から来日する朝鮮人の入口で、
1939年当時の朝鮮人人口は60,105名。全国で5番目に多い県だった。

そこでは多くの朝鮮人と日本人が共生しており、成功例も多々あった

この中には現在では意外な話も多々ある。
現在の日韓関係を鑑みるに、当時のことを知っておくことは有益だろう。
そこで当時の検察資料を抜粋して提供する。

基本的に報告書の抜粋を重視するが、
説明が必要な場合はコメントを付け加える。



会議の日時、場所及び出席者

日 時  昭和十四年三月二十三日 午前十時三十分~午後四時三十分
会 場  福岡地方裁判所
出席者  
福岡県特高課長       後藤吉五郎
同   警 部       河野小次郎
同   警部補       西依吉造
八幡警察署特高係巡査部長  田嶋 廿
福岡県社会課        熊谷治生
福岡県社会課        熊谷治生
県社会事業協会主事     進藤政太郎
八幡協和会館長       木戸重光
麻生商店労務係長      大森林太郎
八幡製鉄所
構内運搬請負業共同組合   山内鹿郎
若松仲仕小頭組合長     玉井金五郎
遠賀郡農会主事       向防熊寿
糸島郡古物商組合長     吉積末吉
西小倉小学校        清川守雄
貝島鉱業所大ノ浦出張所   羽田野重徳
産業セメント鉄道株式会社  岩代実政

福岡地方裁判所  所長   大原利文
同        部長   衛藤 顕
同        部長   星子広記
同        判事   宮崎隆蔵
同        判事   小野謙次郎
同        判事   森 静雄
同        判事   相島一之
同        判事   後藤師郎
同        判事   青木亮忠
同        判事   江崎太郎
同        判事   仁分百合人
同        判事   奥野義兼
同        判事   吉田信孝
同        判事   鈴木重光
同      予備判事   石井正生

福岡地方裁判所検事局
        検事正   水田正之
同      次席検事   大島染吉
同        検事   森山 良
同        検事   古賀俊郎         
同        検事   古賀俊郎  
同        検事   棚橋靏一
同      予備検事   富岡 誠

福岡区裁判所 監督判事   水町新三
         判事   桑原国朝
         判事   鈴木 泰
         判事   大沢龍夫
       予備判事   佐藤 秀

福岡区裁判所検事局
       上席検事   松井善太郎
         検事   竹内次郎
         検事   尾上実男


福岡県下在住朝鮮人の動向に就て

文字の強調および赤字は筆者
旧仮名遣いは現代仮名遣いに修正する場合がある。
記事の縦書きは横書きに変換している。
長い文章は見やすくするため、適宜句読点を加え、改行している。
見やすくするため、漢数字を算用数字に変更する場合がある。




福岡県のコリアンの状況及び性質

後藤氏
 本件に来住して居りますものは昭和十三年末に六万百五名で、
全国の第五位と云ふ状況であります。
昭和十二年末の本県に於ける在住来県人の数は五〇,五六五名でありまして、
昭和十三年末の六〇,一〇五名と比べますと一年間に一万と云ふ増加を示して居るのであります。

 そして之等在住者の多くは、北九州の労働都市並に筑豊鉱山地区に居住して居ります。
職業の内最も多いのは鉱抗夫、仲仕、沖仲仕であります。
そして殆んど全部が下級労働に従事して居るのでありますが、
大体朝鮮人本質的に移動性を持って居り
一定の所に永く居住し一定の職業に従事することは少いのであります。

 私共は不思議に思ふのでありますが、全く経済観念を抜に致しまして、
例へば極端な例を取りますと、本県より北海道の方が一日五銭高いと聞きますと、
家族を連れて北海道迄も歩いて行くと云ふ様な点が可成りありまして、
或は単に労働賃金の高低だけでなく或る山は働きいい、或山は働き悪い、
或は遂道工事に致しますと危険性が多い、と云ふ様な事を考慮に入れるのであります。

 斯様に非常によく稼働する性質が多いのであります。
で現在厚生省を中心に致しまして内務省警保局が協力し、
朝鮮人の内地人化と云ふ所謂協和運動を進めて居りますが、之を進めて行く上に、
斯様に朝鮮人の移動性の多いと云ふことが非常に障害になって居るのであります。

当時の在日コリアンの傾向

木戸氏
 概括的に申しますと、最近は非常に良い傾向に向って居る様に承って居ります。
又大したて困ると云ふ者はそうない様に観察して居ります<<。

大森氏
 今八幡の御方の御話がありましたが、私の方では全く反対の見方を持って居ります。
 ~略~
  之は本日の御説明になった御趣旨から見ましても、根本的に考へ直す必要があると思ひます。
今地方の実情から見ますと非常に宜しくない、益々悪くなりつつある許りであって、
今の儘で行ったら一層悪くなると云ふ事が考へられるのであります。


1939年当時の在日コリアンの傾向は割れている
八幡協和会の木戸氏は「良い傾向に向って居る」と述べているが、
商店会の大森氏は「全く反対の見方」と述べている。
箇所によって違いがある様だ。





コリアンの稼働状況

後藤氏
 稼働状況でありますが、一般的に見まして内地人に比較して、
勤労奉仕と云ふ観念が欠けて居りまして、作業効率が非常に悪いのであります。

 大体之は朝鮮に於ける昔の長い間の圧制政の結果だと聞き及んで居るのでありますが、
朝鮮人が少しでも金を貯めると政府に取上げられると云ふ圧制政が続いた結果、
一日働いて三日食へるだけの収入があれば後の
二日は遊んで暮らすと云ふ様な風習が多いのであります。

ここではよく働くかどうかを「稼働状況」という言葉で表現している。
その稼働状況から見るとコリアンは「勤勉さに欠ける」と評価されている。また

 即ち港では、船が入りますと直ぐ荷揚げしなければならず、
非常に急ぐものですから其の足下を見透し、五円呉れとか十円呉れとか云って働かないのであります。
仕方がないので之をやりますと、金が入ったと云ふので当分は働かないと云ふ
拙い結果が生じているのであります。此の稼働率を上げると云ふ事は大きな問題であります。


などと、相手の足元を見て「サボタージュをする」という傾向もある様だ。


因みに賃金(賃銀)に関しては、
日本人とコリアンではあまり変わりがないようだ。

水田検事正
 そうすると労働者階級に於ては
内地人と朝鮮人との間に賃銀の高下はありませんか?

山内氏
 大体に於てそう云ふことはありません
仕事の差はありますが人種別の差はして居りません。

一方古物商では、コリアンはよく働くという評価もある。

吉積氏
 私は古物商組合の会長を五、六年やって居りますが、
鮮人は非常に良い成績を挙げて居ります
と云ふのは今の時勢が廃物を回収しなければならないと云ふ事からして、
回収致しますと利益が上がるし一方軍需の方面にも都合が良いと云ふことで
仲々良く働きます。

住宅問題!

河野氏
 鮮人の住宅問題は非常に大きな問題として五、六年前迄は
極めて重要視されて居ったのでありますが、
最近鮮人の生活状態の好転するにつれて幾分愁眉を開くことが
出来る様になった様であります。

 鮮人で自分の住家を持って居るものは殆んどいないと云っていい位で、
大部分は借家に入って居るのであります。
借家に入る時など家主は鮮人と云へば頭から問題にせず、
如何に徳望のある人でも鮮人と云ふ丈で一言の下にはねつけられるるのだそうであります。

 で内地の人に頼んで家を借りて貰ひ、入って居る様であります。
そうした関係から借入れの手段其のものから借家争議が起きるのであります。

 次に小さい家賃十円位の家に三家族も四家族も入るし、
家主には何等の応答もしない為に、家主には嫌はれる。
家主に嫌はれる丈でなく、近所近辺に迷惑を掛ける。品物が無くなる。
衛生状態が悪くなる、其の結果、家賃が下ると云った様な状態であったのでありますが、
最近は非常に良くなってそう云ふ傾向が少くなった様であります。


コリアン家を貸すと、「汚くしたり」「大勢で住んだり」
「金銭上のトラブル」になるケースが多く、家主は貸したがらなかった。
これを借家問題と言って、当時の大きな社会問題となっていた。



食事の問題
吉積氏
 処が朝鮮人としては大蒜などは一種の薬として食って居る様であります。
大蒜をやめよと云ふことは、極端に云へば、
病人に薬をやめよと云ふことになりはせぬでせうか?

大森氏
 向ふは非常な粗食です。
私の行って居りました処は、江原道の金剛山の下の処です。
行きました当時は驚いたのですが、粟食です。それも粟だけです。
米は少しもない。それに赤い胡椒と味噌が副産物です。
刺激がなければ食欲がつかぬ訳です。

 従って栄養物がないから大蒜などに依ってそれを補って行かねばなりません
粗食をする為に止むを得ず、ああ云ふ結果になったのじゃないかと思ひます。
又大根なども山の中に出来る小さいので味も何もない、
少しも甘くないものです。之に大蒜などを入れて味をつける訳です。


 コリアンがよく食べる大蒜などは、
朝鮮が粗食だったので発達したと考えて居ります。
これも面白いモノの見方です。なおこの大蒜食は、
当時の日本でコリアンが嫌われる理由となっていました。



教育問題!
清川氏
さう云ふ様に向学心は非常に強いのでありまして、
私も市に来て、朝鮮の人達のさう云ふ気持に驚いた訳であります。
男子も女子もよく就学させます。
小学校はさう云ふ風でありますが、中等学校に上げる者は未だ少い様です。
けれ共段々と多くなる様な状態に向って居る様であります。

それから子供の成績でありますが、内地の子供と少しも劣らない。
言語の不備もあるのに先づ中位には行く、朝鮮の子供は成績は悪くない。
中には学校で一、二を争ふ様な者もありますから、
どの先生も朝鮮の子供の成績は悪くないと申します。


 コリアンの向学心は高いし、成績も悪くないが、
これまで教育を受けることが出来なかったので、伸びしろがあると考えているようだ。




コリアンの宗教!

大森氏
 私の体験から申しますと、殆んど無宗教と云ふても過言ではないかと思ひます。
私はあちらに居ります時は、金剛山のユーケン寺と云ふお寺を借りて、
お寺の庫裡に数か月間居住して居ったのでありますが、其の時つくづく感じましたのは、
あちらでは宗教が極度に迫害されて坊さんは段々金剛山の麓に追ひ込められたのでありまして、
例へば寺院でお祭りの様なことをやってもお参りに来るのではなく見物に来る。

 皆真宗ばかりですが、お寺と云ふものは、皆山の中などに追ひ込められて居ります。
殆んど布教などと云ふことはなく、只人が死んだ時だけ形式的に葬式をやると云った状態です。
さう云う訳でありますから、私の処に居ります鮮人も二千何百人の内、
宗教を持って居る者は殆んど居りません

このようにコリアンは無宗教であると考えられている。



結婚問題!

進藤氏
 現在に於きましては或る特殊の部門に行はれて居る程度で、
先決問題は矢張り或る程度朝鮮人の文化の程度と云ふ様なものを引上げて行く
と云ふことが先決問題ではないかと思ひます。

 それは内地人同志の結婚にしても、
教育の程度或は富の程度が或る程度均衡が取れて居ると云ふことが必要であります。
まして朝鮮人と内地人が結婚すると云ふことは、それ以上困難な問題ではないかと思ひます。

吉積氏
 内地人を家内に持つと云ふことを誇りにして居る様に思ひます。
私の処に一人内地人の女を妻にして居る者が居りますが、
酒でも飲んだ時には、そのことを話して自慢の一つにして居る様です。

朝鮮人」という言葉に就いて

羽田野氏
 内地同化の問題に就きまして、
幹部の者に内地人が使ふ言葉で一番癪に障る言葉は何かと聞いた処が、
朝鮮人」「半島人」と云はれるのが一番癪に障ると云ふ。
では一体どう云へばいいかと云へば、その間に「の」を入れればいい。

 内地人でも朝鮮人でも同じ陛下の赤子である。
我々を呼ぶのに何か異国人の様に「朝鮮人」「半島人」と云はれることは一番癪に障る。
この間に「の」と云ふ字を入れて「朝鮮の人」「半島の人」と云って呉れれば
いい感じを持つと云ふことを聞かされたのであります。
そこで我々の部落では「朝鮮の人」「半島の人」と呼ぶことにして居ります。
それで非常に喜ばれて居ります。



社会運動の傾向について

後藤氏
 本県に居ります朝鮮人は労働者が多い結果と致しまして、
一般に思想的にも頭脳の程度が低く、従って思想運動、社会運動と言ふが如きものは
殆んどないだらうと思ひます。
極めて例外的に民族運動などに引っ掛った者が無きにしも非らずでありますが、
一般には殆んど問題になる程度のものはありません。
其の他は朝鮮人の起す労働争議がチョイチョイありまして、
一昨年が三件、昨年が七件と言ふことに名て居ります。

河野氏
 県下で三十余名です。併し最近は思想運動は殆んどなくなった様です。
一般に時局に対する積極的な参加と言ふ様な、例へば国防献金などが非常に起って、
大体今回の事変を契機として、その思想も相当好転したと言ふことが言へると思ひます。

戦争協力について

後藤氏
話は少し脱線致しますけれ共、私の前任地でありました長野県の福島地方でありますが、
国防献金を募りました処内地人は一戸平均十銭とか二十銭であったのに、
朝鮮人は一戸平均一円位になってゐる。
或は高等官の人で五十銭出して居た処が、後で朝鮮人献金が一円、二円、
大きいのになると五円、十円と言ふのがあって
恥かしい思ひがしたと言ふことを言って居たのを聞きました。

それから志願兵制度が施かれましたことは県内在住朝鮮人に非常な感激を与へまして、
同化政策上非常にいい結果を斉して居る様であります。
本県からは十六名応募して其の内一名は採用されて居りますが、
入営の時など各地から鮮人が集って非常に盛大な見送り振りだったと承って居ります。




政治運動について

西依氏
 県下一般に於ける政治運動と申しましても、
先程からお話がありました様に本県在住の鮮人の殆んど全部が労働者でありまして、
而も無智文盲の者が多いような関係から、
政治問題に対する批判力と言ふものは殆んどないのであります
従って政治運動と言ふ様なものは従来あまり見られなかったのであります。

 処が昭和七年に朴春琴代議士が当選しましたのが、
あれが非常に県下在住の鮮人に刺激を与へまして、
そうして矢張り朝鮮人も内地に来れば選挙権が与へられて居るのだから、
之を利用して朝鮮人の生活の向上を図らねばならぬと言ふことから、
政治運動に乗り出す者が非常に多くなって参ったのであります。

 其の結果、昭和八年の四月本県の全県下に於ける
町村会議員の選挙が施行せられましたのに、
町村別にハッキリ記憶致しませんが、全部で十六名の立候補を出して居ります。
そしてその内三名が当選したのであります。斯う言ふ本県下の事実が出ました結果、
一般鮮人の政治に対する理解或は時事問題と言ふものを
非常に重要視すると云った様な結果になりました。


内鮮融和について

清川氏
 私の処の学校で、県の社会事業会の御指定で
五十名六十名の男女を集めて夜間学校をやったのであります。
私が校長である関係上三つの学校から各一名づつ三人の先生を
選抜しましてやって貰ったのですが、
其の三人が揃ひも揃って熱心な人でありました。

 朝鮮の事情もよく知らない人でありましたが、
三時間づつ二十六日間熱心に日本人らしい様に
協和同化せしむる様にやったのでありますが、
別かれる時など女子の先生にはすがり合って泣いたそうです

 又男子の先生も之ほど意義のある仕事をしたことはないと云って居りました。
さう云ふ点から考へましても、我々指導者の立場に居る者は彼等の短所欠点を見ず、
大きい広い心で指導せねばならぬのじゃないかと私共は教育者として考へるのであります。
斯う云ふことから考へましても、最も大切なことは差別感をなくして
彼等を指導して行くと云ふことは、廻り遠いことであると云ふ様なことを感じました。

羽田野氏
 其の結果非常にいい成績を挙げたのでありますが、
それと同時に指導者が朝鮮から参りました者が大分居りまして
朝鮮の一角の部落を其のままこちらに移した様な実情になって居ります。
其の上に其の人が七、八年指導して参った為に、
其の人に対する敬慕の念と云ふものは非常に深いものであります。

 そして其の人が退職する時など何とかして恩に報ひ度いと云ふので、
其の人に対する彰徳碑を建設することになったのであります。
其の建設に就きましては官庁の許可が要る為に嘆願書を出した処、
県では最初生存者に対する彰徳碑の建設は出来ないと云ふことだったのでありますが、
是非と云ふ一同の願ひに依って之は内鮮融和事業に取って最も良い事であるからと云ふので、
特別に許可して頂いたのであります。

 
以上です。御参考までに!


 

 

なぜ戦前のコリアンは河原に住んでいたか?


◎なぜ戦前のコリアンは河原に住んでいたのか?
◎その理由は家を借りられなかったから。
◎それではなぜ家を借りられなかったのだろうか?

――――――――――――――――――――――――――




河原に住んでいた戦前のコリアン
 
筆者はもう生まれてから半世紀になる。しかし当然戦前のことは知らない。
しかし筆者の両親はまだ健在であり、それ故に戦前のことを知っている。

特に筆者の父は東京生まれであり、
一時疎開の時を除いて、子供の頃から東京に住んでいる。
また多摩川周辺でアルバイトをしていたこともあり、
当時の多摩川のことを話してくれた。

その父が良く話してくれたのは
「当時の多摩川には、
 朝鮮人バラックを立てて住んでいた。」

ということだった。

この話は昔から話してくれたのだが、
当時はほとんど興味もなかったので、全く聞いていなかった。
しかし戦後に編集された在日朝鮮人に関係する資料を読んでいる時に、
その父の言っていたことを思い出した。


河原に住んでいたコリアン

実は彼らが河原で住んでいたのには理由がある。
それは戦前の日本人とコリアンの間の、大きな問題が横たわっていた


以下の資料は言及しない限り、朴慶植(パクキョンシク)編集の
在日朝鮮人関係資料集成」より抜粋した資料である。
以下赤字は筆者



なぜ河原に住んでいたのか?

ところで戦前のコリアンはなぜ河原で住んでいたのだろうか?
それは簡単な話で、住む場所が無かったからだ。

ではどうして住む場所が
無かったのだろうか?

戦後の我々が考えるに、コリアンは差別されていたので、
住む場所を貸してもらえなかったと思うかもしれない。

事実、当時の朝鮮人もこう言っている。

一視同仁とか、何とか、いって表面は実に結構ですが、
一般人の間に、朝鮮人が同一人格視されて居ないてふ事は、
内地人が朝鮮人労働者に家を貸して呉れない一事によっても明らかである。

 と述べている。
※大正13年 大阪市社会部調査課 朝鮮人労働問題
※「在日朝鮮人関係資料集成第1巻 P380より抜粋

このようにコリアン側からは
「日本人が差別して家を貸してくれない」と思っていたようだ。

事実、そのようなケースもあり、
朝鮮人には家を貸したくない」という証言もある。

では日本人側はどうしてコリアンには
家を貸さなかったのだろうか?
本当に差別心から家を貸さなかったのだろうか?



">◎日本人が家を貸さない理由!

日本人がコリアンに家を貸さなかったのは事実だが、それには理由がある。
例えば大正15年12月、警保局保安課の資料「在留朝鮮人の状況」の
P208には以下のように書いてある。

朝鮮人ノ借家紛議
在留朝鮮人ノ借家紛議ハ大正十三年始メテ大阪市ニ於テ
発生シテヨリ漸次多キヲ加ヘ 


このように日本人とコリアンの間で、
大正13年ごろから大阪で、借家問題が起こっていた。
つまり家の貸し借りの問題である。

その理由はコリアンの経済的困窮があるが、
それはものの一面であり、他にも大きな理由があった。

それが先の文章の後半に書いてある。

一面朝鮮人ハ既ニ内地人ト民情風俗ヲ異ニシ又日常生活ハ
不潔無節制ニシテ家屋を汚損スルコト甚シク
多数雑居シ喧騒スル性癖アル等近隣ノ反感ヲ買フコト多キニ基クモノノ如ク、
自然一般家主ニ於テモ朝鮮人ニ家屋貸与スルヲ嫌忌スルニ至リ、 ~略~

このように当時の朝鮮人は日本人から家を借りても
 ・不潔に使い、家屋を毀損させる
 ・大勢で雑居して、大騒ぎする。
 ・家賃などを払わない。

といった傾向があり、
それ故に日本人は朝鮮人に課さないようになっていったのだ。



◎立退料に味をしめる!
 
このような状況から内地人はコリアンに家を貸さなくなったが、
それに対してコリアンは「日本人名義で」家を借りようとする。
その名義貸しをする日本人も現れたのだ。

そのような場合は、相手がコリアンと分かると、
日本人は契約を解除して明渡しを要求するが、
その際に「立ち退き料を請求するケース」もある。

家主ニシテ朝鮮人ナリト判明スルヤ直ニ家屋ノ明渡ヲ要求スルヲ以テ
朝鮮人ハ之ニ対シ常ニ不当ノ立退料ヲ要求シ有利ニ解決スルコト多キカ為メ
益々紛議ヲ馴致スルノ傾向アリ。


さらにその立退料を要求する傾向は強まっている。

然ルニ本年ニ入リ大阪市ニ於テハ斯ル趨勢ヲ奇貨トシ
不良分子等ハ之ニ介在シテ事案ヲ一層紛糾セシムルノミナラス
立退料領得ノ目的ヲ以テ詐欺的借家ヲ為スモノ続出スルニ至レリ。

このように「立退料目的で」家を借りるコリアンも出てきている。


戦前の日本に渡って来たコリアンは、日本の状況に不慣れな面もあっただろう。
それ故に日本人とコリアンの間での意思疎通がうまくいかないケースもみられる。

ただしこのような借り家に関する問題は特に大阪や東京などでは頻発しており、
「借家問題」として社会問題化していた。

そうしてコリアン相手に家を貸すと、
・金を払わない
・家を汚く使われて、家屋が汚損する
・集団で住んで、騒ぎを起こす

といったことが見られ、日本人は家を貸すのを敬遠するようになった。
大阪のケースでは一部家主が同盟を作って
朝鮮人には家を貸さない」といった決議までしているところもあった。



また貸しする!

これ以外にも問題になっていたのは、また貸しのケースである。
コリアンは日本人から家を借りると、それを元に下宿屋を開業するケースがあった。
もちろん契約違反である。

しかし契約観念が薄い当時の(現在でもそうだが)コリアンは
下宿屋をやって金儲けをする。

大正13年の大阪市社会部調査課作成の「朝鮮人労働者問題」によると、

来住朝鮮人労働者の中でも、唯、単に家を借り得たてふ一事で、
成金になったといふ話もある位である。即ち家を借り得たものは、早速下宿屋をやる
さうすると千客万来で、下宿人げ増えるといったようなものであったのである。

というように、勝手に借りた家で、下宿屋を開業して大儲けする者もあらわれた。
先に書いたように、当時のコリアンに関しては家を貸してくれる人が少なかった
それ故に家を借りたコリアンが、下宿をやってまた貸しをすると、
それだけで大儲けできたのである。



大勢で雑居!

ところで先に書いたように、コリアンは家を借りると、大勢で雑居する傾向がある。そして大勢集まることで、騒ぎを起こし、周辺に迷惑をかける。

ところでどの程度の混雑度合いかというと、
大正13年の大阪市の調査だと、一戸当たり17人強で生活している。
また畳に換算すると、1畳当たり2.17となる。

1畳に2人以上生活しているとは、まさに雑居というに相応しい。
このような状態が少なくとも大阪では行われていたのだ。

このような雑居をしたうえで、どのような状態だったのかというと、
これはもう少し後年の大阪市の調査「1930年 本市に於ける朝鮮人住居問題」によると、

家賃の支払いはおろか雨戸、襖、天井板などまでも燃料として焚く乱暴さを平気でやってゐる。
その上一般に文化的意識の低い彼等は殆んど例外なく
家屋の清潔に対する感受性を持たないために
彼等の家屋は常に不潔な雰囲気内に放任され、
朝鮮人街といへば不衛生地帯なる悪感を想ひ起こさす風がある。

というような状況だった。



このようなことが重なって、河原で生活するまでになったのである。

例えば1934年(昭和9年)の内務省鶏歩局の
「社会運動の状況」によると、「土地立退紛議」の項で、

鮮人の借家難に照応して、最近都市に於ける公私有の空地に
バラック」を建設居住するもの漸次其数を増加しつつあり、


とあって、彼らの借家難が公私有地へのバラック建設につながっていることを示唆している。
これらはコリアンが借りた家を粗末に扱うことから家主が敬遠した結果である。


また家主とトラブルになった場合、大勢を集めて執拗に家主に対して、圧力を開けることもあった。

一度紛争議の発生するに於ては不良分子等介在し、執拗に家主に対抗し、立退料を要求するを常とす。


さらに、元々家賃の支払い意志の全くないケースがあり、それどころか立退料目的で契約するケースもある。

而して之が解決条件は比較的鮮人側に有利に展開しつつあるを以て不良鮮人等は当初より家賃支払の意思なく、
甚だしきは立退料取得の目的にて借家し、居住後紛争議手段に愬ふるもの頻出するの傾向あり。

このような状況の中で、行政においては
コリアンが絡む借家問題を詐欺罪で訴えていた。
なおかつこのような処理を推奨していた。

各庁府県に於ては斯る不正手段に基く借家紛争議を絶滅すべく、
昭和七年十二月十二日大審院判例(れ)第一四八六号(真実の借家人を秘して家屋を賃借したる場合と詐欺罪)
其他借家紛争に関する刑事判決例に基き、詐欺、住居侵入、恐喝、横領等の各種犯罪事件として処理しつつあり。


このようにコリアンとの間では、家の貸し借りを通して、多くのトラブルが発生しており、
それ故に、日本人はコリアンへの家の貸し出しに消極的になり、そのため住宅難になったコリアンは、
空地(実際には空地ではなく、当然土地の所有者は存在する)や河原にバラックを建てて生活することとなった。



筆者はコリアンの傾向に、何でも「他人のせいにする」というのがあると思う。
これは韓国で現在でも尊敬されている独立運動家の安昌浩(アンチャンホ)が述べた言葉である。

彼はコリアンには2つの悪い癖があり、1つは「嘘をつくこと」、
もう1つは「他人のせいにすること」と言った。


この戦前の借家問題を見るに、何でも人のせいにするという傾向が色濃く見える。
日本人も最初から家を貸さない訳ではなかった。
しかし家を汚く使われたり、大勢で住み着いて大騒ぎしたり、金を払わなかったり、
挙句の果てに立ち退き料を請求したりすれば、敬遠されても仕方がないだろう。

コリアンが住宅難になったのも、
彼らの自己中心的な生活により、家を粗末に扱ったからだろう。
彼らが粗末に扱わず、他の方と同様にちゃんとしていれば、
コリアンへの借家問題などは起きなかったのだ。


戦前のコリアンの借家問題
これはコリアンの自業自得である。
 

戦前の警察官の証言!朝鮮人は○○○○である。


◎韓国を信用できない日本
◎その理由は韓国が約束を守らないから
◎実は戦前の警察もそう認識していた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



朝鮮人に対する認識!
 最近の日韓関係は非常に悪い。
筆者はその理由を韓国の反日教育にあると思う。
反日教育を受けた韓国人が反日行為をし、その反日行為を見た日本が嫌韓になる。
その繰り返しで日韓関係は悪化し続けている。

 本来なら韓国が反日行為をすると、日本もそれに反発し、日韓関係は悪化する。
確かに最近でこそ、日本側にそのような動きがみられるが、
これまでは韓国の反日に対して反発する動きをみせなかった。

 その理由は、日本の自虐教育にある。

 日本では「日本を否定する」自虐教育が行われてきた。
自虐教育により、殊更日本を否定することが正しいという風潮が一般に根付いた。

 この自虐教育は「戦前の否定」からきている。
 日本では戦前を否定し、その戦前を反省することが正しいという考えから、
その被害者である中国及び韓国に対して、過剰に気を使う雰囲気が見られる。

 つまり自虐教育により、日本を必要以上に否定し、
戦前日本の“犠牲者”である中国や韓国に過剰に迎合する。
 そして韓国の反日行為に積極的に迎合するようになる。


 ところで最近、日本でも韓国へ反発する動きが起きている。
 これは韓国の度重なる反日行為に対して、日本国内で痺れを切らしてきたのが実情だろう。
何度も繰り返し反日活動をし、反日を繰り返す様は、
日本国民をして「韓国疲れ」を引き起こし、日韓関係の改善を絶望視させている。

 このような状況から、日本でも韓国への反発を生んでいる。


 さらにその反日行為の一環であるが、
韓国が繰り返す約束違反も問題だろう。
韓国は約束したことを守らない。
 1965年の日韓基本条約及び日韓請求権協定において、
「完全かつ最終的に解決した」と約束したにもかかわらず、
それを反故にして、日本に対して要求を繰り返す。

 彼ら韓国人は約束を守らない。
 こういう意識が日本人の中に蔓延するのも無理からぬことである。


 ところで戦後の韓国人は、戦前は朝鮮人といった。
その朝鮮人はどのような人たちだったのだろう。

 先に書いたように、戦後は「戦前を否定することが正しい」。
それ故に韓国人および朝鮮人のことを、否定的に書くことが憚れた

 もしそういうことを書こうとすると「ヘイト」と言われ、言論弾圧の対象になった。
韓国人が日本人を嘘つき呼ばわりすることは許されるが、その逆は許されない。

 このようなアンフェアな対応が許されてきたのだ。


 それ故に韓国人や朝鮮人への否定的な見方を提示知ることは許されない。
しかしそれでは事実を捻じ曲げることになりかねない。
 相手に対する悪意に基づく議論は良くないが、
良い面悪い面両方を検討するには、悪い面も指摘する必要がある

 戦後の韓国の約束違反送り返しは、韓国人および朝鮮人の特有のモノか

 それを検討するために、戦前の朝鮮人に対する警察のモノの見方を提示する。





特高警察資料!

 この資料は1939年の特高関係の資料である。
特高警察は「特別高等警察」といい、戦前に存在した政治警察であり、
共産主義や右翼、無政府主義者などを取り締まりの対象にしていた。

 その中にあった組織で内鮮課と部署がある。
 「内鮮課」とは日本列島(当時は「内地」)に存在する朝鮮人を対象とする。
彼らは犯罪が多く、なおかつ独立運動なども起こす輩がいたので、
特高警察の取り締まり対象となっていた。

 その中で特高警察と検察が合同の会議を行った。
 1939年7月3日のことである。

 その中で取締りを行っている特高警察官が、
(当時の)朝鮮人についての感想を述べている。それを引用しよう。

 彼らの共通認識は朝鮮人嘘つきだということだ。 


 以下は朴慶植(パク=キョンシク)監修の
在日朝鮮人関係資料集成」よりの抜粋である。
朴慶植は1965年に「朝鮮人強制連行の記録」という本を書き、
在日コリアンは日本に強制連行された子孫である」というデマを吹聴した人物である。

 しかしこの資料集は非常に詳しく、かつ分厚いものだ。
この資料を読みながらもあのようなデタラメをかけるというのは、
在日コリアンへの信用を疑わせるものだが、ここではこのことについて言及しない。

 この資料集はその名の通り「資料集成」なので、ただ資料が提示してあり、
前書き部分を除き解説もないが、興味ある人は見て欲しい

 因みに筆者は一通り目を通した。




※文字の強調および赤字は筆者
※旧仮名遣いは現代仮名遣いに修正する場合がある。
※記事の縦書きは横書きに変換している。
※長い文章は見やすくするため、適宜句読点を加え、改行している。
※見やすくするため、漢数字を算用数字に変更する場合がある。
※個人名については伏せ字にする場合がある。
現代では不適当な表現があるが、特別な場合を除き、そのままにした。


以下は引用である。
少々注意が必要なのは、このコメントは「朝鮮人の犯罪者」を対象にしている。
そのため一般の朝鮮人とはもちろん違う
 ただし彼らはもちろん他の日本人犯罪者(政治犯も含む)の取り調べもしている。
その彼ら警察官が比較してのコメントである。


まず特高課長のコメントを見て欲しい。


特高警察内鮮課
榎本三郎 課長
 私も朝鮮人の世話を大分致しましたが、満足にいったのが殆どありません
これ等もその一例ですが、慶応の学生で要視察になって居るのを善導して見やうと思って、
ちょうど私の家の二階に三畳間があったので、

其処に置いて昼は芝浦製作所に通勤さして日給五十銭を得させ、
夜は慶応商業の夜学に通はして居ました処、
なかなか成績もよく心掛けもいいので信用して
仕舞には一人で留守番さへさせる様になりました処、

或日留守居をさせて帰宅して見ると居ない
二階に上がって見ると私の机の抽斗が壊されて居る。
よく調べて見ると十何円か入って居た金、時計と私の一番良い洋服がなくなっている
私の一装用の洋服を着て時計と金を持って午後二時出掛けたらしいのです。 ~略~

 此の様な具合で全く我々内地人の常識とは全然違った考へですから
鮮人を見る時は内地人の考へ方や常識では全く違ってくるのです

ここでは特高警察内鮮課長の話が載っている。

これだけでも朝鮮人の欺瞞さが理解できる。
お世話になって、職や学校の面倒までみてもらった人に対して、このような仕打ちができる。

 彼らはいつも「騙してやろう」という意識でいるのだろう。
それ故に、信用を獲得したら、それを逆手にとって悪さするのだ。

 こういう人たちに対して信用をすることはバカを見ることになる。
このような経験をたくさんすると、やはり彼ら朝鮮人は信じられないと思うのだろう

 事実、榎本内鮮課長は「朝鮮人の世話を大分致し」た、と述べている。
このような経験を経て、榎本課長はこのような感想を持ったのだろう。



 次に引用するのは、朝鮮人は信用ならないと主張する渋谷氏である。
彼は朝鮮人が涙を流しても信用してはならないと主張する。

渋谷孝吉 警部補
鮮人の通習として何んなに詫っても、涙を流して詫って供述したから間違いないと思っていると、
大きな間違いで其の積りで調書を作って居ると他の関係者を調べて新事実が発見される。

其処でお前ははっきり涙迄流して清算すると云ひ乍ら
是れ是れの点に就て隠しているのではないかと詰まりますと、
其の点はあなたから聞かれなかったから云はなかったのだと云う様な風で
全く措信出来ないので困ります。


 渋谷警部補は取り調べで何人もの朝鮮人を尋問した。
 彼ら朝鮮人は、日本人の場合とは違って、
「涙迄流して」供述しても、どんなに「詫って」も全く信用ならない。
 こう主張している。

 これらも多くの関係者が指摘している。
 同様なこのような意見もある。

吉田常盛 警部補
 鮮人の嘘はお話になりません
取調中でも実証を突き付ける迄は決して本音を吐きません。
然かも其の事丈は白状するが其他は一切云はぬと云ふ風で
其の場逃れの御都合で転向した等といつても本心から転向する者など決して居ないと信じます。

 私の体験談を申上げますが
嘘をつく事は鮮人の国民性とでも申しませうか之れは前科二犯もある奴ですが、

帝大の研究生で元横浜の判事していた事もある等と嘘を並べて某未亡人の家に間借りして、
結局其の家の娘を孕まして仕舞ひ子供ができると俺の子ではない等と無態を言って取合はず、
結局裁判迄仕様と云ふ事になったのですが、

本籍の判らない朝鮮人と云ふ事が判って泣寝入になりましたが、
此の様に始末の仕様がない有様で判らぬことは
徹頭徹尾隠して平気ですから鮮人には転向等無いと思ふのであります。

之れも其一例ですが特高へも始終顔出もするし、今度こそ転向しました。
今は自動車運転手をして真面目に働いて居ります等と申して参りますので、
信じて途中で会ったりした場合、夕食位奢ってやって激励していました処

共産主義者団の大久保静子の検挙によって吉田いせ等と
自動車連絡をやっていた事が判ったので、
私が西神田署に引っ張ったのですが、同署の特高係では彼奴はもう転向して真面目だし
間違ではないか等と云って疑った位です。

引っ張って見ると矢張り自分の自動車で街頭連絡をやって居ったので
本人の云ふには「旦那済みませんでした。
実は転向は偽装して、私は情勢を見て居たのです」
と云ふ有様で全く鮮人の云ふ事は皆嘘と思って調べにかからないと失敗します。

 全く信じられないほどの嘘つきだ。
 「徹頭徹尾隠して平気」とは、彼らの本性を現していると言えるだろう。

 また刑務所や留置場などが彼らに対する罰則になっていないというコメントもある。

菅原太一郎 警部
 留置場や刑務所に行く事も余り苦痛にしないで、
留置場あたりでも刑務所を出れば保護観察所があって
宿の世話から職がなければ世話もして呉れるし、
病気になれば医者にかけてくれて良いもんだ等と云って居る者もあります。
 だから都合のよい時には転向を利用するといふ風で彼等は
自分等は何んな事があっても民族的独立を思ひ止まることは無い等と
豪語して居るのもあります。


 このように日本人と違い、むしろ保護されると考えているようだ。


 さらに朝鮮人は嘘をつくので、取り調べの手間がかかるという証言もある。

村山実蔵 警部補
 内地人一ヶ月の調は朝鮮人ならば三ヶ月を要する
更に証拠品が少ないに拘らず、それがあっても嘘を平気で誤魔化さうとするので
更に取調が手数を要し、日子を要する場合がありますので、
心証から丈で送る場合もある程度已むを得ないのであります。


彼らの嘘により、それも徹底的に嘘をつくので、捜査に困っているということである。
これなども日本人とは全く違う性格だろう。


また先の話にも関係するが、朝鮮人は留置場が罰にはならない。
それは先の保護されるというのとは別に、普段汚いところに住んでいるので
留置場の方がキレイだというのだ。

川野弘之 警部補
 内地人なら留置場に入れられると三日位で参って仕舞ひますが、
朝鮮人は一ヶ月でも半年でも平気で居るのです
これは鮮人の生活程度の低い為め、寧ろ留置場に居る方が自分の家庭に於けるよりも
楽に思ふ様な場合があるので留置場に居るのは只自由に遊びに出られないのが辛い位のもので
安楽な生活位に思って居るのがあります。


 このような状況なので、刑務所や留置場などは全く罰にならない。


 また同じ川野警部補のコメントにはこのような話もある。

 又東京市内に於てカフェーの数軒も経営して大森で家賃百五十円位の生活をして居り乍ら、
掛け買の支払等は決して満足に払はうとしないで、平気で居ると云ふのがありました。

尤も之れは以前パンの行商等していたのが、カフェーの経営を手伝ひ乍ら、
法螺と欺罔で其の家を乗り取ると云ふ遣り方で発展さして行ったもので、
契約しても履行しない位は当り前と考へて居り、前田という偽名を使って居て手形を出したり、
悪辣な事をするので遂に訴訟になって東京に居られなくなったのですが、
全く鮮人は法螺と欺罔の天才といっていい位です。
 それ丈取調の困難がある訳であります。


 これなどは完全な乗っ取りであり、詐欺である
 金があっても払おうとせず、平気で居座るなどは始末に困る。
こういうことをやっていれば、日本人から信用させないのも当たり前だろう。

 警部補は「法螺と欺罔の天才」と述べているが、
これと反比例して、信用を失っていくのだろう。


 このように1939年当時、担当する警察は朝鮮人取締りの中で、
彼らの嘘に手を焼いていた。彼らは嘘をつくことが
「国民性(吉田警部補の表現)」であると指摘されている。

 このように考えると、
なぜ韓国政府は約束しても守らず、嘘を平気でつくのだろうかというのは、
これは一時的なものではなく、長年の風習によるものかもしれない。

つまり昨今の韓国政府の一連の行動は、彼らの国民性所以といえるのかもしれない。
この特高警察内鮮課の担当者たちのコメントを見るにつけ、そう思わざるを得ないと思うのである。


しかし現在ではこのようなことを言うことはできない。
それは「ヘイト」と言われるから。
たとえ事実であっても、彼ら韓国人が何度も嘘をついても、何度も約束を破っても、
それを「嘘つき呼ばわり」するのは、差別であり、ヘイトなのだ。


ところで疑問がある。

そのような嘘つきを、
我々は何と呼べばいいのだろうか?

日本で行われている自虐史観の”洗脳”!それを払拭する方法とは?


◎日本人は洗脳されている
◎洗脳のキーワードは“加害者”
◎それを解消する方法

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




韓国の無礼を怒らない日本人

例えば、韓国人が日本人のあなたに対して「真摯な謝罪をしろ」という。
あなたはどういう反応をしますか?

1「申し訳ない」と真摯に反省する
2「いつまで謝るんだ?」と反発する

 どちらですか?



日韓関係が良くない。

このことについて異論がある人はいないでしょう。
戦後、70年以上たち、多くの交流を重ねてきている日韓が、
いまだに良くない関係であることは、両国にとって不幸なことです。

これまで両国の関係者は多くの努力を重ねてきました。
そして多くの約束をしてきました。
しかしその中には全く顧みられずに、反故同然となっているものもあります。


2015年日韓で約束されたのは、慰安婦の日韓合意です。
日韓間の懸案事項である慰安婦問題で、日韓両国政府が合意して、
今後この問題で相手を非難しないという約束をしました。


しかしその後にできた文在寅政権では、実質上その約束は反故にされました。
建前上、文大統領は「日韓合意は破棄しない」と明言していますが、現実は違います。

反故にされているのも同然です



また今から20年ほど前、1998年には当時の小渕首相と金大中大統領との間で、
日韓パートナシップ宣言(日韓共同宣言)が行われ、日本の謝罪および、
それを受け入れるとの金大中大統領の言葉が書き込まれました。

それに対して、新しい教科書をつくる会(つくる)の教科書が
検定を通ったことへの抗議として、韓国国会は全会一致で
共同宣言の破棄を求めました(韓国政府は破棄せず)。


またそれに先立ち、1965年に結ばれた日韓基本条約では、
初めて日韓で国交正常化が成し遂げられましたが、
その中では「完全かつ最終的に」解決したものとすると謳われています。

しかし実際にはその後に何度も蒸し返しが起き、そして現在に至っています。
このようなことが繰り返されているのが現状だといえましょう。


ところでこのようなことが繰り返されているのに、
あまり日本では反発が起きていません。
今回の慰安婦の日韓合意こそ、ある程度の反発がありましたが、
その前の日韓パートナシップ宣言などではほとんど問題になっていません。

それどころか、繰り返される韓国側の約束違反、嘘、デタラメといった
裏切り行為に、政治家や官僚だけでなく、国民一般にも
それほど多くの反発は起きていません。

それはどうしてでしょうか?

その理由は洗脳です



洗脳による自虐史観の植え付け

私たちは日本国内で洗脳されているのです。
そして韓国に「反発してはいけない」と教えられるのです。

これは日本で生活していると、普通に起きていることで、
誰でも自然に洗脳されています。
その上で洗脳されている事実は本人にも理解されていません。

洗脳とはそういうもので、洗脳されていると思えば、
それは洗脳ではありません。
洗脳されている自覚症状がないまま、
自分の意思で行動していると思わされているのです。


そして当然…
あなたも洗脳されている。
自覚の無いままに!


戦後、日本においては洗脳が行われていました。
その中で何が日本人に植え付けられたのかというと、
自虐史観です。

つまり日本を殊更悪く言う教育、
悪く考える教育が行われていたのです。

それ故に韓国側の、
日本に対する約束違反や無礼な行動の数々に反発しないで、
むしろ積極的に迎合するようになっているのです。


「戦後の洗脳」と言われると、
あなたはウォーギルトインフォメーションプログラム(WGIP)
ことかと思うかもしれない。

しかし…それは違う!
決してWGIPではない。

WGIPとは、保守系の評論家である江藤淳氏が最初に発表したもので、
GHQが日本を占領していた時代に行っていた
「日本国民に罪の意識を植え付けさせるための宣伝計画」です。

現在の保守系の人の中には、このWGIPによって、
日本人に罪の意識が植え付けられ、自虐的な教育が行われ、
殊更、日本の悪口を言う人たちが出てきている、と主張する人もいます。
そして自虐史観を克服するため、WGIPの呪縛を断ち切ることが必要だという。


確かにWGIPはあった。
GHQ時代ではそのようなラジオ放送が流されていたこともある。
しかしそれが洗脳における決定的な役割を果たした訳ではない。


例えばGHQは1952年にはその役割を終えて日本で権限を失った。
その後、日本は66年(2018年現在)にわたり、
自主的な政府が政治を行っています。

その政府は、日本国民が選んだ国会議員が総理大臣を指名して、
その総理大臣が組閣をして内閣を作り、
その内閣が全ての行政府を取り仕切っています。

つまり日本国民の意思が政府に反映されている。

その日本政府がGHQ時代の影響力を維持しているとは無理がある。
その後、66年間の活動で如何様にでもリカバリーができるのです。


日本人が自虐史観を認識して、
それを克服するように努力することができるのなら、
60年も待たずに早々に克服が可能だったでしょう。
しかしその間でも自虐史観が維持されており、
現在でもその状況は変わりません。


つまりGHQによるWGIPの責任ではなく、
戦後日本の意識によって、自虐教育が維持されてきたのです。

その際に行われていたのが洗脳なのです。

では戦後の日本における洗脳とはいったい何だったのか?

そのことを記す前に、洗脳とは何だろうか?





洗脳とは?

洗脳とは外的な力を用いて、ある人の思想や主義を根本的に変えさせること。
本来は暴力的な力を使っていたが、のちには薬物や映像等を使って、
本人にも気が付かないうちに考えを変えさせることをいう。

洗脳をする場合はいくつか方法があるが、
その意味する段階は2段階に分けられる。
それは脳の抵抗の弱体化教化です。


例えば洗脳について書かれた古典的名著である
「洗脳の科学(リチャード・キャメリアン)」によると、以下のように書いています。

洗脳は二つのプロセスから成り立っている。
第一は「抵抗を弱める」ための過程  ~略~  
第二は、教化の過程で、転向させる目的で使われる説得のメカニズムである。


この過程は必ずしも順番が決まっている訳ではない。
順番が逆になることもあれば、両方一緒に行われることもあります。


いずれにせよ、(洗脳する相手の)脳の抵抗を弱めて、
人の意見を聞きやすくして、そして説得・教化をするのです。
以下は脳の抵抗を弱めることを「条件付け」、
新たな考えを教えることを「教化」と言う言葉を使う。


洗脳をする際に「条件付け」を行い、脳の抵抗を弱めて、
「教化」をして、新たな価値観を教え込んでいく。
これが洗脳である。


そして「条件付け(脳の抵抗を弱める)」のためには、
対象に対して「精神を混乱させ、頭を興奮状態に置かせる」ことが必要となります。

これまで信じてきたことが信じられなくなる。これまでの価値観が崩壊して、
現実を受け止められなくなる。
これこそが洗脳の第一段階である。



例えばこれほど大掛かりでなくても、恋人に振られた時のことを考えてみる。

ある女性がいて、男性と付き合っていた。
その女性は男性が大好きで、結婚しようと思っていた。
そして男性も自分のことが好きだと感じていた。

しかしその男性は別の女性と結婚する。

女性としては受け止め難い。
これまで彼のことを信じて、結婚するものと思っていた。
確かにそんなことを、男性は言わないのだが、決して2人の間に問題はなかった。

それなのに女性はフラれた。

そこにあるのは精神を混乱させ、現実感を喪失させ、ある種の興奮状態になる。
そして頭の中にいろいろなことを考え、それでも考えはまとまらず、
悪いことばかり考えるようになります。

こういう状態の女性は、宗教に救いを持ちたがる。
つまり別の考えを受け入れやすくなるのだ。

これが「条件付け」です。


このような条件付けが終わると「教化」の段階に入ります。
ここで必要なのは評価者です。対象となった人物の言動を評価するのです。


先程書いたように、洗脳とは主義や思想を根本的に変えさせることです。
それまで考えてもいなかった価値観、考え方を「自らの意思で」転向したと思わせる。

その際に必要なのは、考えさせること。
決して「これが正解だ」と強制しない。

そうではなく、
あなたの力で正解まで到達しなければならない
と勧めるのだ。


中国の撫順戦犯管理所では旧日本軍の戦犯が収容されていた。
彼らは元々ソ連に抑留されていたのだが、中国に引き渡されました。

そこで中国による洗脳工作が行われた。

もちろん中国はそのようなことを言っていないし、戦犯側もそうは言っていない。
ただしその戦犯は日本に帰国した後は、中国の代弁者として、
中国寄りの発言を繰り返すようになる。

洗脳がうまく成功した事例と言える。


そこで行われたのはどういうことか?

中国側は一切の拷問や虐待をしなかった。むしろ日本人戦犯の待遇はすこぶるよかった。
これは将来的な日中関係を考え、中国寄りの考えの人を日本国内に送り込もうとした戦略だったという。
そういう意味では、中国はしたたかだった。


ところで日本人戦犯の待遇が良かったのにどうして洗脳が行われたといえるのか?
先に書いた洗脳の第一段階「条件付け」で、「脳の抵抗を弱める」というのがある。
つまり中国側に反発すれば洗脳はうまくいかない


日本人戦犯側は中国側から何をされるのか戦々恐々だった。
そして中国からひどい目に遭うと思っていたのだ。

しかしそうではなく、中国に厚遇された。
そこで日本人戦犯側は考えた。「どうしてだ?」


こういう状態が洗脳には望ましい。
脳の抵抗を弱め、新しい考えを受け入れやすくします。
これまでの価値観(中国人にひどい目に遭う)を揺るがされ、
何が正しいかわからなくなる。


こういう状態にした上で戦犯に考えさせる。
それが罪の告白だ!

そこではあなたが中国人民に対して行った罪を、正直に告白するように言われる。
そして罪を書いて管理者にもっていく。それを見ながら管理者は言葉を添える。

まだ素直になっていないのではないですか?


もう第一段階を終えて、脳の抵抗が弱まっている。
そのため管理者の意見に素直に従う。
それ以上に管理者の評価を気にするようになる。

彼は管理者に強要されない。それどころか自由に書いてよいといわれる。
しかし「自由に…」といわれながら、実際には自由ではない。

管理者の評価を気にしながら書いているのだ。

この管理者こそが、先に書いた評価者になります。

対象はこの評価者の顔色を伺って行動しているのだ。
どうすれば評価されるのか?どうすれば、より好まれるのか?
そしてこういう答えは気に入らないだろう。

こういうことを考えて、対象は自分の行動を“自由に”選んでいる。
これは“自由に”と言いながらも自由には選んでいない。

評価者の顔色で、行動で、自身の行動を制限しているのだ。
しかし外面的には制限されていないので、
“自由に”“自主的に”行動していると思っている。
それ故に洗脳されている自覚はないのです。




日本における洗脳、その正体とは?

では先の問いに戻ります。
日本ではどのような洗脳が行われていたのでしょうか?

それは加害者」意識を植え付けることです。


最初の洗脳は終戦とともにやってきました。
先程、洗脳の段階として
「条件付け(脳の抵抗を弱める)」と「教化」があると書きましたが、
そのうち「条件付け」の状況が生まれました。

敗戦によって、それまでの価値観が激変したのです。

「条件付け」は価値観を揺るがせ、脳の抵抗を弱めます。
何が正しいかわからなくして、新たな価値観を注入しやすくします。

敗戦によって旧来の価値観が崩壊しました。
「鬼畜米英」から「ギブミーチョコレート」へ、
「不倶戴天の敵」から「解放の救世主」へ180度評価が変わり、日本人の価値観を変えます。

これで条件付けに望ましい状況となります。


実はこの時に強調されたのは被害者意識です。
当時の日本人は被害に遭っていたのだから、
その旨強調することは正しい方策だったでしょう。
そして事実、進歩革新勢力、つまり政党でいえば、
社会党共産党などはそう主張していました。


彼らは戦前を否定し、戦後の保守政権=自民党を戦前の引継ぎと見做して、
それを攻撃することで票を獲得してきました。
実際に1950年代までは社会党は、選挙の度ごとに議席を増やしてきました。
その時に多くの支持を獲得したのが、「戦前の否定=平和の確保=憲法を守れ」ということでした。


戦前は軍国主義の日本でした。それにより多くの国民が犠牲になりました。
特に当時の女性は夫や父親、息子などが戦地で命を失い、二度と戻ってきませんでした。


そういう状況の中で「二度と戦争を起こさない」「息子を戦場へ送るな」というフレーズは
多くの国民の支持を獲得することができました。


しかしそれも段々難しくなりました。

それは戦争被害者が少なくなってきたからです。
もちろんまだまだ多くの被害者がいたのですが、
若い世代には直接被害を受けた人は少なくなりました。
特に1970年ごろには若い世代は戦争を直接知らない世代が台頭し、
被害者を訴えることがなかなか難しくなりました。

さらに自民党攻撃を加えても、自民党政権下で経済発展しており、
社会党などの左翼政党の求める政策に耳を貸す雰囲気ではなくなってきました。


そのような状況で強調されたのが加害者意識です。
つまり日本人は戦争の被害者ではなく、加害者であるというのです。


この加害者意識により、これまでと状況を一変します。
それは過去の…ではなく、現在の日本人を加害者とするものだったのです。


このような言葉を聞いたことは無いでしょうか?
「日本は加害者意識を忘れずに」とか、
「被害者はやられたことは忘れない」などといった言葉を…。

例えば2018年8月31日の朝日新聞社説余滴(12面の社説乱の下)でも、
このような言説があります。

一方で、私たち自身の意識の問題もある。
8月15日の安倍首相の戦没者追悼式の式辞は今年もまた、加害責任に触れなかった。
多くの日本人は悲惨な戦争を「被害者」として記憶するが、
侵略された側から見れば、あくまで「加害者」だ。
この現実をなぜ、もっと直視できないのか。


これは朝日新聞の記者の言説だが、ここに洗脳の端的な例が書かれている。
日本人は加害者であるという意識を持ちなさいというのです。

この加害者意識という言葉を、何度も聞いてきているはずです。
あなたも…!

この加害者意識の強調こそが、
洗脳の正体に他ならないのです。




加害者意識とは?

ではなぜ、加害者意識が問題なのでしょうか?

それは加害者の場合は、被害者がいるから
そして被害者とは評価者になるのです。


先の洗脳の話で、罪の告白の話を書きました。
正直に罪に告白をすると、許される。
これは洗脳の手段である。その時には評価者の存在が必要だと。


そして加害者になると、被害者がいる。彼らが評価者になる。
日本人が被害者だと日本人が評価者になり、戦前の指導者を許すかどうかは日本人が決められます。


しかし日本人が加害者だと、自分たちが許すかどうかは決められない。
決めるのは被害者になります。

そして被害者の顔色を伺って、被害者の評価に迎合するのです。
被害者は評価者であり、それに対する絶対的な価値を有するのです。
彼ら評価者に評価されるような行動を自らとるようになるのです。

撫順戦犯管理所の戦犯が
洗脳されていったように。


そういう面では、河野談話などは洗脳の賜物と言えるでしょう。
明らかにおかしい談話を出して、慰安婦問題で日本人が糾弾されているのに、
当の河野氏は未だに「間違いを認めない」のだから。




洗脳を解くために、やるべきこと!

最初の質問に戻りますと、
韓国人に「真摯な謝罪をしろ」と言われたら、
あなたはどういう反応をしますか?

1「申し訳ない」と真摯に反省する
2「いつまで謝るんだ?」と反発する

 どちらですか?


答えは両方とも間違いです。
前提として、加害者意識が前提になっているからです。


これはほとんどの日本人に起きていることで、
この加害者意識が贖罪意識を生み、贖罪意識を解消するために、
積極的に迎合する心理を生んでいるのです。

この加害者意識を持たせる教育・報道こそが“洗脳の肝”なのです。


これを解消しなければ、いつまでたっても同じことの繰り返しです。

ではどうすればいいのでしょうか?
どうすれば加害者意識を解消できるのでしょうか?

加害者意識を解消するには、被害者のことを知るべきです。
被害者のことを知れば、被害者が実は被害に遭っていないこと、
悲しんでいないこと、それに傷ついていないことが理解できるでしょう。


つまりそれは韓国の反日カニズムを知ることに繋がります。

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というように、
相手のことを知らなければうまくいきません。
そして日韓で行われている反日カニズムを知り、
何をすればいいのかを知れば、どのような行動が、必要かがわかるでしょう。


それが贖罪意識の解消にもつながり、
韓国の反日に反発する状況を作ります。


韓国の反日を招いているのは、
我々の心構えであり、加害者意識なのです

これを知ることで、日韓関係を劇的に改善できるのです。



その反日カニズムとは何か?
それを動画にしました。



自虐史観を払拭する動画についてはこちら



これをご覧になれば、
・韓国はなぜ反日をするか?
・日本はなぜそれに迎合するか?
・我々はどうすればいいのかがわかるでしょう。


我々はもう我慢することはありません。
謂れのない罪を押し付けられる必要もありません。

韓国の反日に反発しましょう。
積極的に反発しましょう。

我々は加害者ではない。
彼ら韓国人も被害者ではない。


ただし冷静に反対すべきです。
感情的になって反発しても仕方がありません。

感情的な反発はむしろ事態を悪化します。
それよりも冷静に理性的に、彼らの行動を理解した上で
やるべきことをやるべきです。


スポーツ選手でも
ハートは熱く、頭はクールに!
という言葉がありますが、より良い結果を出すためにも、
そして日本のためにも熱い気持ちは心に秘めて、冷静に行動しましょう。



一連の動画は10本ほどの動画ですが、各動画は15~20分ほどです。
1日1本として10日ほどで学べます。



これはご覧になれば理解できるようになっていますが、
もしかして理解できない部分があるかもしれません。

その時にはメールで問い合わせいただけます

動画を購入いただいた方には、
その内容であれば、どんなことでも質問できます。

購入後に問い合わせのアドレスを教えますので、そのアドレスで質問してください。
質問は24時間以内に返答します。



自虐史観を払拭する動画についてはこちら





また韓国関連でネット上で議論になることもあるでしょう。
その際に反論できないケース、もしくは反論の根拠、出典がわからないケースがあると思います。
そういう時にサポートをします。

どう反論すればよいか?その根拠はあるのか?
そういうことに関して私、沈丁花がお手伝いします

ツイッターやブログにも書きましたが、
私は1950年代から80年代までの朝日新聞の韓国関連の記事を“全て”目を通しました。
その私が直接サポートいたします。

ただし基本的に韓国関係のことに限らせていただきます。
故に中国のケースなどは対象外です。

また無理な反論も対象外とします。
例えば「慰安婦は存在しなかった」ということなら、
根拠を提示することはできないので、お手伝いすることはできません。

あくまで可能な反論に限らせていただきます。
それから調べる都合もありますので、返答は3~4日頂くこともあります




自虐史観を払拭する動画についてはこちら





またこれは別売りしているものですが、今回はおまけにつけます。
それは過去の新聞記事です。

先に書いたように、私は過去の朝日新聞で韓国関連の記事を全て読みました。
そのために韓国人は日本人を恨んでいなかったという確信を得ました。

これは私自身が図書館で、新聞の縮刷版をめくって得てきた知識です。
例えば1950年代の記事などはそのような記事がたくさんあります。

しかしそれを図書館で探すとなると、非常に時間がかかります。

そこで私がまとめました。

実際に過去記事を読んだ私が、
特別にセレクトした記事約50本以上を、まとめて提供します。

この記事はその日付と記事内容(本文全て)はもとより、
その記事の「三行まとめ」と当時の状況を含めた解説もつけてあります。
記事は昔のモノなので、現在の知識では認識できないものもあります。
それ故に解説を付けたので、記事内容を読んでも理解できるようになっています。

これは単体で販売しているものですが、それをおまけにつけます。



まとめます

今回の動画を手に入れると、
・24時間いつでも動画の質問メール受付(30日間分)
・日韓関係の反論サポート(30日間分)
・1950~80年代の朝日新聞記事 全57選

これらをおまけにつけます。


日韓関係を改善するには、韓国が反日をやめること。
そのためには韓国の反日に反発すること。
そのためには嫌韓意識を持つこと。
そしてそのためには日本人の加害者意識を解消すること。


そのためには被害者と称している韓国の反日カニズムを理解すること必要です。

この動画にはそのインパクトがあります。
そして目から鱗が落ちること請け合いです
ぜひこの機会に、加害者意識払拭をしてください。


sinjitsu.thebase.in

日本の自虐史観を支える洗脳!そのキーワードとは?

◎日韓関係を悪化させているのは、韓国の反日
◎それは韓国人による、日本人差別である。
◎戦後日本では洗脳があった

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


<目 次>
1. なぜ日本では反日をする人が多いのか
2. 日本人は洗脳されている
3. 洗脳とは何か?
4. 日本における洗脳の状況
5. 被害者と加害者
6.日本人は加害者という差別構造!




1.なぜ日本人は反日をする人が多いのか?

どうして日本の悪口ばかり言う日本人がいるのか?
民主国家の場合、言論の自由が認められている。
それ故に日本の悪口を言うことも認められる。
だからといって、自国の悪口を執拗に言う態度は理解できない。


彼らは言うだろう。
「日本の悪口を言っているのではなく、批判をしているのだ。」
「それも日本のためを思うがこそ、言っているのだ」…と。


筆者は、それはデタラメだと思う。
彼らは日本の悪口を言うのが「面白い」からやっているのだ。


例えば、日韓であれば過去に何度も条約や協定、
それに約束をしてきた。慰安婦の「日韓合意」などはその典型である。


しかし悉く韓国は日本との約束を守らない。
それに対して彼らは韓国を批判せず、むしろ日本を攻撃する。


本当に「日本のため」の日本批判なら、
あからさまに韓国が悪い場合は、韓国を批判するだろう。
しかし彼らはそうではない。



例えば、自分の息子を愛している親がいる(ほとんどの親はそうだが)。
その息子が万引きをしたとする。


息子を愛しているのなら、そこで厳しく怒るべきだ。
そして店に対して謝罪をすべきだ。なぜなら愛する息子は道を間違えた。
それを正しい道に戻すためには、「こういうことはいけないことだ」と
教えなければならないからだ。


しかしそれが間違いだったらどうだろう?


例えば、店の勘違いであり、息子は万引きをしていない。
息子は「していない」と言っており、なおかつ親本人も
それを確信しているケースではどうだろう?


つまり息子は冤罪なのだ。


その時に親はどうするか?店に抗議するのではないか?
当たり前の話で、息子がやってもいない罪を着せられたのだ。
それなら店に対して怒るのが当たり前だろう。
逆に息子が万引きをしていたのなら、息子に怒るべきで、
そうじゃなく冤罪なら息子を庇うべきなのだ。


それは息子を愛しているからだ。


愛しているからこそ、
息子のためになることを最優先で行うのだ。
 

このように考えると、韓国が一方的に悪い場合には何も言わず、
日本の否定的な面がある時には居丈高になって日本を攻撃する。
まさに日本の悪口を言うことが目的ではないかと勘繰ってしまうくらいだ。


この人たちはどうして日本の悪口を言うのだろうか?





2.日本人は洗脳されている

筆者は先に「彼ら」と書いた。
彼らとは誰なのか?


筆者は「彼ら」を良心的日本人と言っている。
これは特に韓国などでも言われていることだが、
“韓国側から見て”良心的な日本人である。


歴史問題、外交問題では日本人でありながらも、
相手側に立って、相手側の代弁者になる。
元々進歩革新と言われる社会主義共産主義的な人たちが多いのだが、
自民党的な人たちの中にも一定規模が存在する。


彼らの意見を代弁すると、日韓関係を改善することは、
隣国日本のためになる。
そしてそのためには日本が韓国に誠意を示さなければならないのだ。


なぜなら日本は韓国や中国に対して悪いことをやったのだから。
だからその罪を悔い改め、真摯に反省して、謝罪することで、
日韓、日中関係は良くなるのだ。そのため韓国に誠意を尽くしている。

ということだろう。



しかし筆者は言う。
これは洗脳の結果なのだ…と。


つまり戦前の日本に対して、悪いイメージを刷り込まれ、
加害者意識を持つように教育されているのだ。


ウォーギルトインフォメーションではなく…
日本で歴史問題に対する“洗脳”と言われると、
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(以下「WGIP」)のことと思うかもしれない。


WGIPとは、
保守系の評論家である江藤淳氏が最初に発表したもので、
GHQが日本を占領していた時代に行っていた
「日本国民に罪の意識を植え付けさせるための宣伝計画」である。


現在の保守系の人の中には、
このWGIPによって、日本人に罪の意識が植え付けられたので、
自虐史観が形成され、殊更、日本の悪口を言う人たちが出ている、と言うのだ。
そして自虐史観を克服するため、WGIPの呪縛から逃れることが必要だと。


 しかし筆者の言う洗脳とはそういうことではない。
 そして現在の自虐史観はWGIPのせいでもない。



確かにWGIPの効果はあっただろう。
ラジオや新聞で日本軍の残虐行為が連日伝えられ、
それに伴い、日本人の中の意識が変わったのは事実である。


しかしGHQは1952年にはいなくなっていた。
なおかつその途中からWGIP自身が、
逆コースの影響であまり行われなくなっていた。


それ故にWGIP自体が存在したこと、ある一定の影響があったこと、
日本国民の意識に変化があったとは間違いないが、それだけではない。
筆者の言う洗脳とは別の意味なのだ。


因みに筆者は何でも他人のせいにはしたくない。
もちろんGHQのせいにも。何より事実関係として、
GHQ支配が終わってから
60年以上もその効力が残っているのも理解できない。


つまりキッカケはWGIPであっても、
その効果を維持し、促進する別の力が戦後働いていたのだ。


筆者はそれが日本の自虐教育であり、洗脳だと思う。
 そしてそれは今も続いているのだ。 





3.洗脳とは何か?

洗脳とは外的な力を用いて、ある人の思想や主義を根本的に変えさせること。
本人にも気が付かないうちに考えを変えさせることをいう。

つまり洗脳されていることは本人も気が付かないのだ。
だから「洗脳されている」といわれた時には、
ムキになって否定したりする。

洗脳をする場合はいくつか方法があるが、
大きく段階に分けられる。
それは「脳の抵抗の弱体化」と「教化」である。


例えば洗脳について書かれた古典的名著である
「洗脳の科学(リチャード・キャメリアン)」によると、
以下のように書いてある。

洗脳は二つのプロセスから成り立っている。
第一は「抵抗を弱める」ための過程  ~略~  
第二は、教化の過程で、転向させる目的で使われる説得のメカニズムである。

「洗脳の科学」 P42


つまり(洗脳する相手の)脳の抵抗を弱めて、
人の意見を聞きやすくして、そして説得教化をするのである。


この脳の抵抗を弱めることを「条件付け」、
そして教え込むことを「教化」という。


洗脳をする際に、「条件付け」を行い、脳の抵抗を弱めて、
「教化」をして、新たな価値観を教え込んでいく。
これが洗脳である。


以下は条件付け教化と言う言葉を使う。
まず「条件付け(脳の抵抗を弱める)」をすると、
これまで信じてきたことが信じられなくなる。
これまでの価値観が崩壊して、現実を受け止められなくなる。
これこそが洗脳の第一段階である。


例えば恋人に振られた時のことを考える。
大好きな彼にフラれると、精神が混乱して、現実感が喪失し、
色々な考えが噴出するが、考えはまとまらない。


こういう状態の女性は、何か別のモノにすがりたい。
つまり別の考えを受け入れやすくなるのだ。これが「条件付け」である。


このような条件付けが終わると教化の段階に入る。
ここで必要なのは評価者である。


評価者もしくは採点者と言ってよいが、
対象となった人物の言動を評価するのだ。


先程書いたように、洗脳とは新たな価値観を植え付ける。
それまで考えてなかった価値観、考え方を「自らの意思で」転向したと思わせる。


その際に必要なのは、考えさせることだ。


洗脳時には、相手に価値観を押し付けない。自ら考えさせるように仕向ける。
例えば、どうしてこうなったのかと思うか?と対象に問うて、考えさせる。
その答えが望ましければ褒めて、望ましくなければ再考するように促す。


決して「これが正解だ」と強制しない。
そうではなく、「あなたの力で正解まで到達しなければならない」と勧めるのだ。



因みに矛盾することを書くが、
この教化の目的は考えさせることではない
そうではなく、望む方向に誘導することなのだ。


つまり評価者は「自分で考えなさい」というが、
実際にはその対象は評価者の顔色を伺う。
そして評価者の対応によって、正解を知るのだ。


評価者が「もう少し考えよう」と言えば不正解だし、
「よく考えているね」と言えば正解なのだ。


中国の撫順戦犯管理所では旧日本軍の戦犯が収容されていた。
彼らは元々ソ連に抑留されていたのだが、中国に引き渡されたのだ。


そこで中国による洗脳工作が行われた。


そこで行われたのはどういうことか?
中国側は一切の拷問や虐待をしなかった
むしろ日本人戦犯の待遇は非常に良かった。
しかし先の第一段階「条件付け(脳の抵抗を弱める)」はうまくいった。


日本人戦犯側は中国側から何をされるのか戦々恐々だった。
そして中国からひどい目に遭うと思っていたのだ。


しかしそうではなく、中国に厚遇された。
そこで日本人戦犯側は考えた。どうしてだ?」


こういう状態が洗脳には望ましいのだ。
脳の抵抗を弱め、新しい考えを受け入れやすくする。
これまでの価値観(中国人にひどい目に遭う)を揺るがされ、
何が正しいかわからなくなる。


こういう状態に持ち込んだ上で、次の方法に移る。
罪の告白だ!


そこではあなたが中国人民に対して行った罪を、
正直に告白するように言われる。
そして罪を書いて管理者にもっていく。
それを見ながら管理者は言葉を添える。


「まだ素直になっていないのではないですか?」


もう脳の抵抗が弱まっている。そのため管理者の意見に素直に従う。
それ以上に管理者の評価を気にするようになる。


彼は管理者に強要されない。それどころか自由に書いてよいといわれる。
しかし「自由に…」といわれながら、実際には自由ではない。

管理者の評価を気にしながら書いているのだ。


評価者の顔色で、行動で、自身の行動を制限しているのだ。
しかし外面的には制限されていないので、
自由に”“自主的に行動していると思っている。
それ故に洗脳されている自覚はない。


これが洗脳の恐ろしさだ。




4.戦後日本における洗脳の状況

筆者は反日に積極的に反日をする日本人がいるのは、
洗脳の効果だと言った。
しかし日本では共産圏などと違い、
成熟した民主国家であり、「言論の自由」がある。
その中で多様な言説が容認されている。


このような状況で、洗脳などは可能なのだろうか?
それも大勢の国民に対して!


筆者はそれが可能だと思う!
以下では日本における洗脳の状況を説明しよう。


先に説明したように、洗脳には二つの段階が必要である。
「条件付け」「教化」である。


「条件付け」は脳の抵抗を弱めること。
これまで信じてきた価値観を否定すること。


日本においてそれは敗戦だった。


敗戦の結果、多くの人たちが価値観の転換を余儀なくされた。
それまでは鬼畜米英と言って、アメリカを敵視していたのが、
マッカーサーを神と崇め、「ギブミーチョコレート」の時代となった。
敗戦は多くの日本人に価値観の喪失をもたらした。


つまり洗脳における第一段階の「条件付け」が成立。
そして脳の抵抗が弱められ、日本を信じていた価値観が喪失し、
新たな価値観を受け入れられる基盤ができた。


その時に入ってきた考えが、
社会主義共産主義といった左翼イデオロギーだった。


戦後の価値観の転換により、
特に大学などでは左翼イデオロギーが蔓延することとなる。
大学は元々左翼イデオロギーの強いところであったが、
戦前は軍国主義の影響もあり、取り締まられていた。


しかし戦後は左翼活動の制限が無くなった。
このような状況は戦後の大学、特に国立大学を左翼に染めていった。
そして多くの学生がその影響を受けるようになる。
そして左翼の影響を受けた卒業生が、多く社会に出ていく。


そのような中で、特にマスコミ教育界では
左翼の影響が強く出るようになる。


なぜその2分野で左翼の影響が強いのかと言うと、あまり競争が無いからだ。
つまり競争のある分野では左翼活動がしにくい。
例えば組合などに入り、ストなどを行うことがあるが、競争があるとやりにくい。
自社の売り上げが落ちるからだ。


他方、大手テレビや新聞社など(雑誌社などは別)では競争がほとんどない。
確かに視聴率競争や部数競争などは激しいが、経営レベルではあまりない。
大体、新規参入がほとんどないので、寡占状態を維持することができる。


そのため左翼活動を行っても、売り上げを落とす心配がない。
ただし最近はネットTVなどができたので、状況が変わるかもしれない。


教育界なども全く競争はない。
最近のように学生が少なくなれば別だが、昔は子供の数は増えていた。
それ故に特に国立大学では経営を考える必要はなかった。


また両者とも政治活動と自分の仕事との垣根が低いことも影響している。
一般企業ではできないことも、番組作りに託けて、
自身の応援する団体のプロパガンダをすることも可能となる。
大学教授なども政権批判をすることは、自身の仕事と重なる部分もある。


このように戦後ではマスコミと教育界(特に大学教授)などが、
左翼の影響を受けて、世論を誘導することが可能となった。


そこで敗戦を受けて、「条件付け」をされ、脳の抵抗が弱まった状態に、
左翼活動の「教化」が加えられる。
本来、左翼活動自体は、反日活動に対して直接関係はない。
しかし日本の場合は少々異なる傾向を示す。
それは「戦前の否定」があるからだ。


実は戦後の左翼活動を推進する上で大きな武器となったのは、
戦前の否定と言う価値観だった。
日本は壊滅的な敗戦をしたことにより、国民は多くのショックを受けた。
このショックこそが「条件付け」となったのだが、
その際、左翼主義者が訴えたのが「戦前の否定」だった。

これは非常に効果があった。


なぜなら日本国内で多くの人が傷つき、
家族や友人を失った戦争は絶対の悪となっていた。
そしてそれを遂行していた軍部も怨嗟の的となっていた。


戦後の左翼は、この世論に便乗する形で軍国主義批判、
そしてそれの引継ぎと見做して保守系批判を強めていた。


つまり敗戦ショックを受けて、
価値観が揺るぎ、条件付けが行われた日本国民に、
戦後の教育とマスコミを支配した左翼は、
「戦前の否定」と言う価値観を植え付けていった。
それもマスメディアや大学教授などの権威が行ったのだ。


これらが戦後の日本で行われたことだった。




5.被害者と加害者

ところで戦後の初期の段階では、
多くの日本人に対して戦前の否定をすることは効果があった。


なぜなら多くの人たちが被害に遭っていたからだ。
父親や夫、息子などが兵隊として戦場に連れて行かれ、
自身も空襲や飢餓、貧困などと戦った経験を持つ当時の人たちに、
戦前を肯定することこそ難しいことだった。
それ故に「戦前を否定」することは容易いことで、
なおかつ多くの共感を得る事柄だった。


しかしそれも段々難しくなる。


なぜなら世代が経過してくると、
戦争の記憶が薄れてくるからだ。そのため戦争のことを訴えて、
憲法9条を守れ」「息子を戦場に送るな」「いつか来た道」等訴えても、
徐々に支持を得られなくなっていった。


つまり「戦前の否定」だけでは難しくなったのだ


例えば戦前を否定し、
戦前と保守政党自民党を結びつけることで支持を獲得してきた社会党
1950年代までは勢力が伸長するが、60年代に入ると横ばいになり、
60年代末ごろになると議席を急減させる。


例えば1969年の衆議院選挙(小沢一郎土井たか子が初当選した時の総選挙)では、
自民党が圧勝する中で、社会党は約140→約90議席と激減している


その時の総括の中でリーダーの一人だった江田三郎は、
「9条改正反対ばかり言い過ぎた」と反省していた。
当時は終戦から25年。若者には戦後生まれも目立ち始め、
「いつまでやってんの?」という雰囲気が出てきた。
まさにジェネレーションギャップである。


また60年代には景気が良くなっていることも見逃せない。
50年代から始まった高度経済成長は、日本を経済大国に押し上げた。
そして国民は飢え苦しんでいた状態から解放され、
豊かな生活を謳歌しつつあった。


左翼のイデオロギーでは資本主義は行き詰まり、
社会主義共産主義の時代が来ることになっているが、
むしろ東側の国家の方が行き詰まり、資本主義国の日本は益々繁栄している。


こういう中で戦前を否定し、
自民党をその引継ぎと見做して攻撃しても、選挙に勝てない。
逆に自民党は選挙に勝つことで、自身の政策の正当性を誇示できた。


豊かになる日本の中で、戦前を否定し、被害者を煽り、
強調するだけでは自民党を倒すことはできない。
むしろ顰蹙をかうだけであった。


つまり被害者一辺倒では難しくなったのだ


そこで出てきたのが加害者意識だった。
日本人は被害者ではなく、加害者である。
こういう図式が出てきたのが60~70年代だった。
例えば朝日新聞が「中国の旅」を連載するのが1971年である。


左翼は、政権批判をするのに、自民党を「戦前の引継ぎ」と見做し、
それで攻撃することで選挙に勝ってきた。
ところが60年代以降は、それだけだと支持を獲得することができない。
そこで日本人を加害者と位置付け、外国を煽って日本を攻撃することで、
自民党政権の批判をしようとする動きが活発となった。


実はここに問題がある。
加害者意識とは洗脳の重要な要素なのだ。



加害者意識とは自己批判

実は加害者意識とは自己批判につながるのだ。

先程書いたように、
洗脳には「条件付け(脳の抵抗を弱める)」と「教化」が必要である。

そこで「罪の告白」が重要となる。


罪を告白すること、自己批判をすることは、自分を否定することだ。
自分を否定することとは、相手(評価者)にすべてを委ねることを意味する。


日本人を加害者とし、韓国人を被害者とすることは韓国人を一方的な評価者とし、
日本人を評価される側にする。


これこそが洗脳の構図なのだ。



先程の中国撫順戦犯管理所において、
評価者である中国人は、日本人に“自主的に”考えさせたという。


それと同じことがこの構図で起きる。
つまり韓国側の顔色を伺って、
彼らの評価を気にして迎合することが正しいことだと思うのだ。

 それも“自主的”に!





6.日本人は加害者という差別構造!

日本人を加害者とし、韓国人を被害者とし、
それによって一方的に日本人を攻撃する構図を作るのが差別構造である。


その差別構造を支えているのが、
日本人に対する洗脳の構図であり、それが益々差別を固定化しているのだ。


この価値観を維持し続けることが、日本人を洗脳するツールとなるのだ。
そしてそれは現在でも維持されている。


日本人は加害者というと、そうかな?と思われる。
それは我々日本人が洗脳されているからだ。


この考えに抵抗できないのは、長年にわたる洗脳の成果と言える。


罪はあくまで個人のモノであり、日本民族の罪ではない。
ましてや当時の日本人ならわかるが、その後に生まれた我々の罪ではない。

ユダヤ人を妻に持ったドイツ人のカールヤスパースは「罪を4つ」に分けている。
・刑法上の罪:法律違反をした罪。裁くのは裁判所
・政治上の罪:政治体が罪を犯し、誤った行為をした場合、
       その政治体に所属していたことの罪。裁くのは戦勝国
・道徳上の罪:例えば命令によって罪を犯しても、
       その個人は、刑法上は罪に問われないかもしれないが、
       実行した本人に存在する罪。裁くのは自分の良心
・形而上の罪:犯罪に対して、それを阻止する行動しなかったことに対する罪
       裁くのは神


このようになっており、
ヤスパースは「道徳上の罪」と「形而上の罪」を他人が裁くものはないと言っている。
さらに「刑法上の罪」は裁判所、「政治上に罪」は戦勝国が裁くという。
つまり韓国が裁くものではないのだ。


さらにヤスパースは「当時のドイツ人の罪」と明言している。
つまりのちのドイツ人ではなく、ナチスドイツ当時のドイツ人の罪があるとしているのだ。
「政治上の罪」の部分でヤスパースはこう書いている。


すべての人間がどのような支配を受けるかは、本人の責任でもある


つまり「支配を受けた」ことを罪の根拠にしているのだから、
戦後のドイツ人(ナチの支配は受けていない)には罪はないということになる。


この言説から言うと、
例え昔の日本人には罪があっても、戦後生まれの日本人には罪はないのだ。
因みに筆者は戦前の日本人にも、こと韓国に対しては全く罪がないと思う。


日本人の持つ「自分のせい」という意識はとても良い考えだと思う。
日本人同士の場合は相手とのトラブルを無くし、円滑に進めるための潤滑油となるだろう。
しかし違う考えの民族との間ではトラブルを作ることになりかねない。
実際に韓国との間では争いが絶えない。


このような日本人への加害者意識こそが、洗脳のツールであり、
その洗脳によって贖罪意識を植え付けられている。
この贖罪意識が韓国の反日を容認して、より韓国の反日を煽る。
それに日本人が反発して日韓関係を悪化させている。


この加害者意識こそ、我々が克服すべきものなのだ。


加害者…というキーワード。
これを我々が克服しない限り、日韓関係の改善はない。
日韓関係の改善のためには、我々の加害者意識こそ克服すべきなのだ。

日本人は差別されている!その差別者の正体とは…?


◎日韓関係を悪化させているのは、韓国の反日
◎それは韓国人による、日本人差別である。
◎実は日本人差別の主体は、別にある

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元ブログの記事はこちら


1.日本人は差別されている
2.差別の定義
3.韓国による日本人差別
4.戦後日本の状況
5.左翼による保守系叩き
6.日本人への差別構造
7.ネット右翼の怒り



1.日本人は差別されている

 日本人は差別されている。
 こう聞くと驚くだろうか?


 日本人を差別しているのは韓国や中国なのだ。
 多くの日本人が日本は韓国人を差別していると思うかもしれない。
というより、そう思っているであろう。また韓国人もそう思っている。
 

 日本人には多くの思想の人がいるが、
大きく分けて右派的な保守思想と左派的な進歩革新思想があり、
後者はリベラルとも言われるが、
昔、進歩革新と言われた人達は現在では
リベラルを公言することが多いようだ。


実はこの構図が日本人差別を作っている。




2.差別の定義

 ここから先は「韓国」に限定して話を進める。
同じような構造は中国にも当てはまるが、
話を分かりやすくするために韓国に限定して進める。


 「日本人が、韓国人に差別されている」という話を進めるにあたって、
はじめに「差別の定義」が必要となる。


つまり「差別とは何か?」である。


一般的に使われるのは、国際的な条約である「人種差別撤廃条約」の定義だ。
人種差別撤廃条約とは正式には
「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」といい、
その名の通りあらゆる人種差別の撤廃を働きかける条約をいう。

この条約は1965年に国連総会で採択され、1969年に発効。
日本は1995年に加入している。


その第1条第1項には人種差別の定義として、

この条約において、「人種差別」とは、
人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは
種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、
政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における
平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、
享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。


つまり「人種」や「肌の色」「民族」などで「区別」をしてはいけない、
と定義している。


このような定義は正当なものである。しかし筆者には不満もある。

それはどうして「差別をするのか?」といった部分が無いからだ。
そう考えると、この定義では不十分だ。故に人種差別以外の差別も抱合し、
その動機及び目的まで含めた定義を必要とする。



そこで筆者の定義だが、

現実上もしくは架空上の差異に決定的な意味づけを行う。
その意味付けに則って、相手を攻撃する構図を作り、利益を得ること。

ここで重要なことは「意味づけ」である。
これはいわゆるレッテル貼りで、それによって相手を攻撃する構図を作るのだ。
目的は相手を攻撃すること。それによって利益を得ること。
この利益とは金銭だけではなく、相手を攻撃する面白さや楽しさなども含む


一例をあげよう。肌の白い人がいる。肌の黒い人がいる。
この2人は明確な差異がある。肌の色という差異が。
しかしそれには意味は無い。だが差別主義者はこれに意味づけを行うのだ。
それも「決定的な」意味付けを。


「決定的な」とは、
それによって相手を一方的に攻撃できるような意味付けである。

先程の繰り返しになるが、それに意味は無い。
肌が黒くても白くてもそこに意味は無いのだ。
しかし「肌の白い=高級」「肌の黒い=野蛮」という構図を作る。
そして肌の色で人間の質が決まるという「決定的な意味づけ」を行うのだ。





3.韓国による日本人差別!

韓国は日本人を差別しているとはどういうことか?
それは先の差別の定義からわかる。

 つまりレッテル貼りだ!


韓国は自分たちを被害国、日本を加害国とレッテルを貼る。
そして相手(つまり加害国日本)を一方的に攻撃する図式を作るのだ。


これには事実でなくても良い。
筆者は日本の朝鮮統治時代は、現地の朝鮮人にとって良い時代だったと思う。
人口が激増(つまり生存しやすい)して、経済成長をし、
戦争にも巻き込まれず(末期は除く)、飢餓もほとんどなかった。

日本の統治する前の約100年間で、
4回も大きな飢饉があったことを考えると、隔世の感がある。


 それ故に朝鮮半島では少数の例外を除いて、
反乱が起きなかったのだ。


しかしそのような歴史は都合が悪いと偽造する。
日本統治時代を悪い時代とし、それ故に日本人を加害者とする。
対する韓国人を被害者とし、日本人を一方的に攻撃する構図を作り出す。


 これが差別の構図だ!


これによる韓国の得る利益とは何か?
それは日本人を侮辱する、差別する、悪口を言うことによる面白さや楽しさ、
また日本からの批判や反論への防波堤、そして交渉をより有利にすることなどだ。
対日本交渉においては、より有利になるのだ。


このようなメリットがあるのが、韓国の反日である。
こういう状況では日韓関係の改善は見られないだろう。


筆者は日韓関係を悪化させているのは、韓国の反日が唯一の理由だと思う。
 

それに日本側が反発することで、日韓関係が悪化しているのである。
その点では日本に責任はない。しかし日本側には全く責任はないのだろうか?


実は日本側にはより根深い問題がある。
それは戦後日本の価値観に関する事柄だ。
 




4.戦後日本の状況
戦後日本を語る時に欠かせることができないのは「戦前の否定」である。
これが戦後の価値観を重要な部分を占めていた。


戦前の日本は軍国主義であった。
日本は、アメリカをはじめ世界中を敵に回して戦争を行い、そして敗北する。
後に残ったのは焼け野原の日本と、GHQによる支配であった。


 つまり日本はコテンパンに敗けたのだ。


この状況は戦後、「戦前の否定」となって現れる。
戦前を肯定するものは「反動」「軍国主義者」と呼ばれて、非難された。
当時は戦争で家族を失ったものが多数おり、戦前を肯定することは、
その犠牲者に対する冒とくと考えられた。


そして国民を守るための軍事力が、実は日本人への禍になったと評される。
日本が侵略戦争をしたこと、国民を守らなかったこと、
むしろ戦争に強制的に参画させたことなどをもって、
日本人に敵視される状態になった。


このような状態は戦前=軍国主義と位置付け、
その肯定を許さないという雰囲気を作り上げていった。


「戦前の否定」から、戦後新調した勢力がある。
それが左翼だった。左翼は右翼との対比で使われるが、
ここでは「社会主義共産主義、またはそれを心棒する人」という意味で使う。
また彼らは当時「進歩」「革新」と言っていたので、
「進歩革新勢力」という言葉も使用する。


これは戦後の特徴でもあるが、経済では成長より分配に力点を置き、
生産手段の国有化や共有化を求め、外交ではソ連や中国、
北朝鮮などの東側との関係を重視し、憲法9条を守れという考えである。


このような人々は戦前には弾圧されていた。


このような経歴から戦後になって、「戦前が否定」されると、
むしろ支持が集まった。特に大学などは左翼の巣窟となった。
そして左翼学生が毎年社会に排出されていった。


彼らの中には社会人になってもそのイデオロギーは変わらないが、
社会人では利益を追求することが求められる。
これは左翼主義者とは相反する考えだ。
そのため労働組合などでは過激な思想からストが乱発されることになったが、
一般会社では徐々に左翼活動が下火になっていった。


その中で例外的なのが2つの業界だ。それはマスコミと教育界だ。
その共通点は競争が無いことだ。



つまり利益を追わず、競争が少なく、顧客の要望に右往左往する必要がない。
一般企業ならストなどをやれば顧客離れが起きるが、彼らはそうではない。
テレビも番組間では激しい競争があるが、会社間ではそうではない。
大体、新規参入がほとんどない。
ただし最近はネットの参入により、状況が変わってきているといえるだろう。


また彼らの特徴としては、政治活動と自分の仕事の垣根が低い。
マスコミは政治批判が仕事だし、教育も政治からの独立を求められる。
それ故に政治批判が常態化しているのが実情だ。


そういう意味では競争が無いことと、仕事と政治活動の垣根が無いことが、
彼らの中の左翼人脈を維持することに役立ったと言える。





5.左翼による保守系叩き

彼らは社会主義共産主義社会に憧れを持ち、そういう社会を作ろうとした。
しかしそういう社会はできなかった。逆に社会主義共産主義の国家が行き詰まりを見せて、崩壊していった。


先に書いたように戦後日本では「戦前の否定」が一般的だった。
それ故に戦前のレッテルを貼られることは戦後の世論において致命的になった。


野党=左翼はそこに目を付けた。
自民党を戦前の引継ぎとレッテルを貼ったのだ。


そしてそれは自民党を下野させるためだった。


それまでも左翼は保守を叩いていた。
それは自民党という保守政権が君臨していると、
国民が社会主義の恩恵に浴することができないから。
そのために自民党を下野させなければいけない。
そうすれば国民の生活は良くなる。

それが左翼文化人の考えだった。


つまり左翼も国民のことを考えていたのだ。


しかしその考えが破れた。社会主義国になっても、
共産主義国になっても、決して国民を幸せにできない。
しかしこれまで左翼は自民党叩きしかやっていなかった。
これまではより良き国民生活を実現するための社会主義共産主義だった。
しかしそれができなくなった今、彼ら左翼は意見を修正するのだろうか?


しかしそうはならなかった。
彼らは手段としての反自民党を目的化したのだ。


つまり自民党攻撃そのものを目的に、そこに喜びを見出すようになるのだ。
人は賽の河原に石を積み上げるような仕事に喜びを見出せない。
そこに別の意味を見出す。

彼ら左翼文化人には、自民党攻撃しか喜びを見出すものはなかったのだ。
そして歴史問題で攻撃することが、左翼が一番効果的な方法となった。


よく彼らはネット右翼を称して、
リアルな生活が充実せず、下層な生活をしている。
その憂さを「韓国」や「在日コリアン」を攻撃することで晴らしている、
と述べる。


しかし実は日本の左翼こそが、
自身の理想が破れたことを自民党叩きで憂さ晴らししているのだ。
語るに落ちるとはまさにこのことなのだ。






6.日本人への差別構造!

実は先に筆者は、韓国人による日本人差別と主張した(「3」を参照)。
実はこのことは全くその通りである。
しかし実はもっと根深い問題がある。
これを指摘している人はほとんどいないが、これこそが事の真相なのだ。


実は日本人による日本人差別こそが、戦後日本の真実なのだ。


先に書いたように戦後の日本は「戦前の否定」が正しい価値観だった。
戦前を肯定することはタブーとなった。
そして「戦前の否定」から、
戦後の国民は被害者意識から加害者意識を強調されるようになった。
これは「世代交代」と「進歩革新勢力の低迷」が拍車をかけた。


こういった風潮の中で、よく言われるのが「歴史“認識”」だ。
「正しい歴史認識」などという文脈でよく使われる。
これは中韓などがよく使っているが、国内でも進歩革新勢力でよく使う。


この“認識”とはおかしくないだろうか?

“認識”とは何か?辞書によると、こうある

ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること。また、そういう心の働き


平たく言うと、「モノの見方」のことだろう。
例えば、現在の日本の首相は安倍晋三である。彼をどう評価するか?
良い首相だろうか?悪い首相だろうか?


この評価は人それぞれだろう。そして正解はないのだ。
「安倍首相は良い首相だ。なぜなら…」
「安倍首相はヒドイ首相だ。なぜなら…」。
このようにここに理由があって、評価がある。
その理由の妥当性をもって議論になるのだが、
その評価は多様であっても良い。


しかし「正しい…認識」とは、多様な意見を圧殺してしまう。
例えば日本の朝鮮支配は良い時代なのか悪い時代なのか?
「良い時代」という意見があっても良いのだ。
他方悪い時代という意見があっても良いのだ。


そこで議論が生まれる。
しかし「正しい…認識」と言った段階で、他の意見は言えないのだ。



実はこの「正しい…認識」とは、戦後日本では決まっている。
それは「戦前を否定」することだ。つまり戦前を肯定してはいけない。

戦前=悪」という考えから、
「戦前を否定する=善」「戦前を肯定=悪」となる。


そして論争相手や政敵に対して、「戦前を肯定する」という
レッテルを貼り付けることは非常に効果的な作用を生んだ。
それによって相手を一方的に攻撃できるのだ。


 そしてこれが差別の構図なのだ!


つまりこういうことだ。
先の差別の定義で言うと、日本人の中に
「戦前を肯定する日本人」と「戦前を否定する日本人」に分ける。
そして戦前を肯定する日本人=悪、戦前を否定する日本人=善として、
戦前を肯定する日本人を一方的に攻撃する構図を作るのだ。


戦後の価値観は、「戦前の否定」である。
つまり肯定するのはいけないのだ。
こういう構図の下に生きてきた人々は、その価値観が絶対に正しいと思う。


ナチ時代に生まれた若者もナチを肯定するようになるように。
戦前に軍国少年だったように。それは自然なことなのだ。
当時は当たり前なのだから。


こういう差別の構図を「戦前を否定する」人々は維持したいのだ。
だから日本人こそが、歴史を見直そうという人々を
「ヘイト」とレッテルを貼って攻撃するのだ。




8.ネット右翼の怒り

ここでハッキリと書いておくが、
筆者は在特会などのヘイト団体を積極的に批判する。


彼らの活動は単なる暴力である。
それによって本当に韓国批判をするものとしては大変迷惑だ。
おかげで韓国批判=ヘイトという図式が作られてしまう。


ただしそれはネット右翼=ヘイトという図式は我慢できない。
ネット右翼とはネットで右寄りの発言をする人たちだ。
 右寄りの発言がダメで、左寄りなら良いのか?


それ故に筆者はネット右翼という言葉を普通に使う。
この言葉自体は肯定も否定もしていない。



しかしここで言及する必要がある。
ネット右翼何を怒っているのだろうか


よく言われるのはネット右翼とは実生活が充実していない人で、
それ故に韓国や在日コリアンを攻撃して、
日頃のストレスを解消しようとする人たちだという。


 しかし実際はそうではない。
ネット右翼の研究もしている古谷経衡氏によると、
ネット右翼は平均年収が451万円で、
一般の母集団とほぼ同程度かやや高いという。
また学歴は一般の最終学歴より、相当程度高いという(ネット右翼の逆襲)。



ところで先の問いに戻ろう。
ネット右翼何に怒っているのだろうか


ネット右翼の怒りとは、韓国の反日に対する怒りであり、
在日コリアンへの不当な優遇の怒りと言われる。


例えば先の古谷氏の著書では「ネット右翼の3必須」として
嫌韓嫌中感情」「在日コリアンへの嫌悪感情」「大手メディア(産経新聞を除く)への敵愾心」の
3つを挙げている(ネット右翼の終わり)。

このほかに7原則(先に「3必須」を含む)を挙げている。
この条件は確かの多くのネット右翼の共通点を挙げているように思う。

しかし少々異論がある。
それはこの3必須は、より共通の意味合いがあるからだ。


それは「反日」だ。


嫌韓嫌中」も「在日コリアン」も「大手メディア」も反日の存在だ。
こういう共通点があるからだ。筆者は日韓関係の悪化は、
韓国の反日が唯一の理由だと言ったが、この3者も反日の存在だ。


筆者はよく書くのだが、日本では在日コリアンへの批判はあるが、
在日中国人への批判は少ない。
これは在日中国人が、反日行為をしないからだ。


このように反日をするかどうかで、ネット右翼の対応は決まってくる。
そして反日をするのなら日本人から反発を喰らっても仕方がないだろう。



そして筆者は怒りの正体を発見する

それは日本人差別へのりである。


日本国内において、日本人が尊重されず、外国人、
特に韓国人や中国人、在日コリアンが優遇されているように思える。
これが問題なのだ。
そしてそういう取り扱いをしているのは、日本人なのだ。


日本人でありながら、在日コリアンのような外国人を優遇している。
これはアンフェアな態度ではないのか?


結局、ネット右翼が怒っているのは、日本人のアンフェアな対応なのだ。


アンフェアな対応とは何か?
それはダブルスタンダードな対応だ。


同じ基準でやってくれるのなら、人は我慢できる。
基準に納得できなくても、みんな同じ基準でやっているのだから。
でもダブルスタンダードはそうではない。
彼らは自分が裁かれる基準と、他人を裁く基準が違うことに気が付いている。


例えば日本で国旗や国歌の反対をする人がいる。
それはまあいい。
じゃあ中国や韓国の国旗や国歌に敬意を表せない人がいても、
お前は支持するのだな?


沖縄で機動隊員が、反基地闘争の人を「土人」といって批判された。
しかし他方で、反基地闘争の連中も機動隊員に暴力をふるっている。
それに対し、地元メディアも、沖縄県の人も、本土のマスコミも取り上げない。


こういうように、挙げた実例が支持できるというのなら、
それは問題ではないが、そうではないのなら、結局ダブルスタンダードとなる。


結局、日本のネット右翼が怒っているのは韓国の対応ではない。
もちろん韓国の対応を怒っているのだが、
日本人の、そしてネット右翼の多くは
日本人へのアンフェアな取り扱いに怒っているのだ。


ところでどうしてこういうアンフェアな取り上げ方しかしないのかというと、
それはネット右翼という言葉に秘密が隠されている。


ネット右翼とは、偏った団体であり、ヘイト団体であり、
まともに取り上げる団体ではないという言い訳ができる。
それがネット右翼の主張は捻じ曲げて構わないという風潮になる。


これがネット右翼の怒っている風潮である。
ただ単に「右翼」と言われていることではない。
公平に扱ってくれればいいのだ。

しかしメディアでは左翼が多いので、
右寄りの発言は蔑ろにされる割合が多い。


戦後の日本では、「戦前を否定」するのが一般的だった。
そのような状況に異議申し立てをしたのがネット右翼だ。
先に書いたように、「戦前を否定=善」というのは、勝手なレッテル貼りに過ぎない。
それを一般的に正しいという風潮にして、他の意見は封殺する



ネット右翼は戦後日本で行われていた、
戦前を否定するという価値観に対して異議申し立てをしたのだ。
彼らは自身の言葉で言語化することはできなかった
つまり自分の言葉に置き換えることはできなかった。


しかし漠然としたものであっても不正不平は感じていた。
それは政治にはなくてはならないものだ。
それが決定的に蔑ろにされていたのだから、気が付くのも仕方がない。
ただしほとんどの日本人は気が付かないことだった。


なぜネット右翼はそのことに気が付いたのか?


戦後日本で行われていた差別構造。
戦前を否定し、戦後の進歩革新勢力が、
保守政党を攻撃するために使った戦前の日本は悪く、
戦後のお前たち政党も同様に悪いという図式を、
そのまま維持することが正しいという状況に対してどうして気が付いたのか?


それはやはり不公平な扱いが多かったからだ。


アンフェアなダブルスタンダードから、不平を感じたのがネット右翼であり、
それが韓国や在日への批判となっている。
ネット右翼の行動にはとても受け入れられないものもある。
しかし彼らが日本で行われている歴史問題の「不平不正」に敏感に感じて、
怒りを噴出させたこともまた無理からぬことだろう。


韓国の反日は差別である。しかしそれ以上に、
(戦前を否定する)日本人による、(戦後を肯定もする)日本人に対する差別の方が深刻である。


これはまだ差別として意識されていないのだから。
差別は、差別と認識されていない方が深刻なのだ

目を通すのは過去の新聞記事!

ご覧頂きましてありがとうございます。
沈丁花(ちんちょうげ)と申します。

私の詳しいプロフィールは
こちらの動画をごらんください。


日韓関係はどうしてこうなった?



最初は韓国にムカついていないか?
という話を書きました。


それに対して、

韓国がなぜ反日なのか?
それを言語化しなければならない

と書きました。
最初の記事に関してはこちらをご覧ください

そして2回目は
韓国にムカついても、
ヘイトはダメだと書きました。

2回目に関してはこちらをご覧ください



そして3回目は
我々の中にある贖罪意識=マインドブロックを解除する
必要性について書きました。

前々回についてはこちらをご覧ください。


そして前回の記事についてはこちらをご覧ください。


我々のやることは
日本人の名誉を守ること

そのためには
多くの日本人を説得しなければならない。

そのためには
説得力のある言葉を言語化しなくてはならない。

そのためには
知識と論理力が必要である。

そのためには
自身の贖罪意識というマインドブロック
解消しなければならない。

こういうことを書きました。

そして正しい知識を入れることで、
マインドブロック=日本統治時代は良かった
という認識が生まれるでしょう。

その正しい知識を入れるにはどうするか?

それは終戦
韓国人の対応や意見を知ることです。

なぜなら日本の統治時代は良かったのなら、
そこには必ず韓国人の反応があるからです。


事実、日本が戦争に負けそうになっている時、
当時の朝鮮人は反乱を起こしませんでした。

これは朝鮮人が、
日本人に協力的だからでしょう。

ちょっと考えて欲しいのです。

日本時代が本当に弾圧された時代だったら、
日本人の協力的になるでしょうか?


日本人に弾圧されて、
協力したいと思うでしょうか?

むしろ日本人の足を引っ張ろうとするでしょ。

1944年6月 ノルマンディ上陸作戦から2カ月
8月にパリは解放された。

この時、パリではストライキによるサボタージュ
またレジスタンスの蜂起が行われた。


このように本当に抵抗する意思があれば、
抵抗をするのです。

しかし朝鮮半島では最後まで、
組織的な抵抗運動はありませんでした。

つまり日本の統治時代に対して
朝鮮人は憎しんでいなかった

こういうことでしょう。




もしかしたら
こう考えるかもしれません。

その時は弾圧されていたので、
反対運動ができなかったんだ。

そうかもしれません。


ではこういう記事はどうでしょう。
これは195312月の新聞記事の抜粋です。

たとえば街の店に入る。
日本人ということがわかると主人が
「まあ奥に入って座りなさい」といった調子で
温かい空気を感じる 

これは日本の新聞記者が韓国に駐在し、
そこでの体験を書いています。

この記者は行政は日本に厳しいと書いていますが、
一般の民衆は非常に温かいと書いています。


これは1953年です。
終戦8年後ですよ。

店の店主がどういう経歴かわかりませんが、
間違いなく日本統治時代を知っているでしょう。

その人が日本人を温かく迎えている。

これは終戦前ではなく、です。


先程書いたように、
終戦前なら日本人に反抗できないこともあります。

しかし終戦後です。
それも終戦8年後という時期に、
日本人を温かく迎えるとはどういうことか?

それは日本時代が
悪い時代では無かった証拠ではないか?


我々は日本人が悪いことをやったと
思い込んでいます。

きっとあなたも思っているでしょ。


しかしそれが違うとすれば、
まったく嘘だとすればどうでしょう。


違う世界が見えてきませんか?



以前は私も

韓国人が怒っているのは
真摯に謝罪しないからだ。

こう思っていました。


その私がどうして意見をえたのか?


山崎豊子という作家がいます。
有名な作家なので、名前はご存知でしょう。

山崎豊子の代表作と言えば「不毛地帯」です。

この作品はシベリアに抑留された
日本軍人をモデルにしています。
そのモデルは伊藤忠商事
瀬島龍三さんだと言われています。

彼は戦前、参謀本部に所属して作戦を立てていました。

その瀬島さんは戦後はシベリアに抑留されました。
そして11年間の抑留後に日本に帰ってきます。

彼が帰ってきた時はまさに浦島太郎状態でした。

そりゃそうでしょう。
戦前戦後と激変する世の中で、
11年間も外国で抑留されていたのですから。

いくら頭脳明晰な瀬島氏でも
戸惑うことが多かったと思います。

そして瀬島氏が現状を理解するためにやったことが、
新聞を読むことでした。

それも戦後の新聞を
全部読むことでした。

彼は新聞の縮刷版のページをめくって、
この11年間に日本で起きていたことを知るのです。

そして11年間の空白を埋めたのです。

新聞はいい加減というイメージもありますが、
その当時書かれたものなので、
現在ではわからない雰囲気を伝えているものです。

当時の状況を知るのなら、
新聞を読むことが一番理解できます。


その話を知った私は…
戦後の新聞を読むようにしました。

その中にある記事を読んで、
その当時の雰囲気を知ろうとしたのです。


新聞記事を読むこと、
新聞の縮刷版を読むことを
長年続けていったのです。

その中で私の目を見開かされる記事に出会いました。




韓国への贖罪意識=マインドブロックを打破する昔の記事57選はこちら




それが先程の記事です。

1953年12月4日の朝日新聞の記事で、
日本人記者と韓国人記者の対談でした。

1953年なので終戦から8年後です。
その時の韓国人が日本人を温かく迎えている。
それについて韓国人記者も問題視していません。

当時としては当たり前の認識でした。



このような記事に接することで、
これまでの自虐史観は間違いだと確信できました。

この記事と接したことを境に、色々な記事を、
特に1950年代中心に漁っていきました。

そうすると、全く違った風景が見えてきました。

・韓国の民衆は決して反日ではなかったこと、
・むしろ親日だったこと、
・日本の文化に接したいと強烈に思っていたこと、
・むしろ他国の反日が激しいこと、
・韓国政府が積極的に反日教育をしていたこと

などがわかってきます。


結局、戦後日本の歴史教育
嘘だらけだったのです。


それが昔の新聞記事を
読むことで理解できたのです。


 
私はその後1945年から80年代までの朝日新聞で、
韓国関係の記事はすべて目を通しました。


すべてです。

記事はもちろん、コラムや特集、社説なども含めてです。
(ただし読者投書欄は除く)。

その中で分かったことが、戦後の嘘だったのです。





韓国への贖罪意識=マインドブロックを打破する昔の記事57選はこちら




韓国に対して反発する気持ちはわかります。

私がそうだったように、
彼らに対してムカついているでしょう。

でも、ただムカついているだけではダメなのです。

そんなこと何の役にも立たない、むしろ有害です。
感情に任せた行動は他人の共感を得ることができず、
また反感を買うだけです。

必要なのは正しい知識です。

その正しい知識を得て、
それをしっかり言語化することで、
多くの日本人を説得できます。


正しい知識を入れる方法は多々あります。
しかし確実に当時の新聞記事を読むことで
あなたのマインドブロックは崩れるでしょう。

そして贖罪意識を
解消することができます。


それに基づく正しい批判こそが韓国には有効なのです。
もちろん韓国は根拠を挙げた反論を無視します。

しかし周りで見ている人は
どうでしょうか?

周りで見ている多くの日本人は、
自虐教育による贖罪意識にまみれています。

彼らは知らないのです。
日本の統治時代の朝鮮半島が善政だったことを。


しかし私は知っています。
それも当時の新聞を読みこんだからです。
長い時間をかけて読み込んだからです。

どのくらいの時間をかけたのかというと、
トータルで年以上の時間をかけて、
縮刷版と取り組んできました。

そして確信しました。
この方法は非常に使える…と。

そのためにぜひ皆様にも
この方法を推薦したいと思います。

当時の…特に50年代の記事を読み込むことで、
自虐史観から完全脱出することができるでしょう。




韓国への贖罪意識=マインドブロックを打破する昔の記事57選はこちら




しかし忙しいあなたが、時間をかけて、
新聞の縮刷版を読み込むことは無理でしょう。

それは私が身に染みて理解しています。

縮刷版は厚いので、1日籠って読み込んでも
数冊ということもザラなのです。

つまり土日使ってやっと1年分しか読めない
ということも普通にあります。

そういうことを忙しい皆様に
やれということは無理でしょう。

大体、休日は遊びたいものです。
もしくは寝ていたいものです。

特にデスクワークの人たちに、
毎日、資料とにらめっこしている人たちに、
土日も新聞と向き合えとは言えません。


そこでその手間を省きました。
私がピックアップしたのです。

多数の記事の中から必要と思われる記事を57ほど抽出しました。

もちろんこの記事はほんの一部です。
もっと紹介したい記事はたくさんあります。
しかしそんなことをしていればキリがありません。
それ故に57程度に絞らせてもらいました。

この記事を読めば、
◎韓国民衆が日本に反発していなかったこと
◎韓国政府が反日世論を形成していったこと
◎歴史問題など、後付けで作られたこと
在日コリアンが、どれほど危険だったか
◎韓国には誠意は不要である

ことなどがわかります。


そして記事だけ読んでも
その当時の状況がわからないと思い、
記事毎に解説をつけています

この記事は50年代を中心にしていますが、
当時の状況は今とかなり違っています。

そのために理解しにくいところもありますが、
当時の状況を理解するため説明文を付けました。

これを読めば、当時の状況が理解できるでしょう。

現代から60年以上前の状況を想像しつつ、
正確な知識を得ることが可能になります。


この資料から学んで欲しいことは、
何よりマインドブロックを解除して欲しい。

マインドブロックとは心理的な壁です。
日本が韓国に悪いことをやった
という壁があると何を言っても無駄になります。

そして結局
「とにかく謝ればいい
となるのです。

そうではなく日本の朝鮮統治は善政だったと、
はっきり理解することです。

善政であるがゆえに、
終戦後の韓国人が反日ではなく、
むしろ日本人に優しかったのです。

当時の記事を読んで、
自分の心を解放してください。

ところでこの記事は
ほとんど朝日新聞(一部日経新聞)です。

なぜ朝日新聞かというと、
現在全国紙で一番自虐的な新聞だからです。

その朝日新聞が昔は全く別のことを書いていました。

先に引用した津島特派員の報告もそうです。
「韓国人が日本人を温かく迎える」
という報道をしているのです。
 
あの朝日新聞が…です

そういう面で朝日新聞の記事を取り上げることで
マインドブロックを壊すのに役立つでしょう。

これが産経新聞では
「右翼新聞だから当然」と解釈されてしまいます。

だから朝日新聞の過去記事を
参考にするのが一番いいのです。


ただしこの記事をピックアップするには
かなりの時間がかかっています。

また入力作業も馬鹿になりません。

そのような労力と時間をかけて提供するので、
その分、金銭的な援助はお願いしたい。



韓国への贖罪意識=マインドブロックを打破する昔の記事57選はこちら



ただし購入していただいた方には
ガッカリさせません

それだけの自信があるものですが、
記事を購入して頂いた方に、
サポートをつけさせていただきます。

記事を読んで頂くだけで
理解できるようには書きましたが、
それでも理解できない場合は、
その旨、質問してください。

購入から1か月
記事関係の質問にはすべて答えます


それから沈丁花
過去記事を全て目を通したので、
それなりに知識があります

そのため韓国関係の質問には
それなりに答えられると思います。

記事を購入して頂いた方には
購入から同じく1か月
韓国関係の質問には何でも答えます。

ただしこれは「答えられる範囲で」と
させていただきます。


先程の記事関係は、
沈丁花自身がセレクトし、読み込んだ記事ですので
答えることは可能ですが、

他の質問は内容によっては難しいかもしれません。
ただしほとんどの質問に答える自信はあります

いつでもメールで質問してください。




またほかにもあります。

あなたは他人と韓国関係のことで
議論になったことがありませんか?

その時にヤバかったことはありませんか?

「根拠を出せ」と言われて、
根拠を出せなかったことが。

それで論破されそうになったことが。

それは悔しいでしょう。

そのような時には連絡をください。

沈丁花が資料を調べて、
あなたに提示します。


ただし○○の何ページと指定するだけですよ。

コピーなどしたら、
かなり時間がかかるし、
お金もかかります。

そのようなことはできませんが、
どこにこのような記述があるというだけなら、
沈丁花が調べて、あなたをサポートします。


※できるだけ早く返答はしますが、
 調べる時間を3日ほど頂きます。
※必ず提示できるわけではありません。
※「慰安婦はいなかった」のような
 不可能な反論には資料を提示できません。
 その際はお断りします。



韓国への贖罪意識=マインドブロックを打破する昔の記事57選はこちら



ところで正しい知識については分かった。
説得する言葉の言語化はどうなった?

こう思いませんでした?
もちろん忘れていないですよ。

前回のメールでは
他人の真似するのが一番と書きました。

その他人とは、
私、沈丁花です。

沈丁花は20年近くに渡って
韓国の反日を見てきました。

そして考えてきました。

そしてその内容を発表してきました。
それは以下です。

こちらがブログです。
そしてツイッターです。
YOUTUBEです。
※もうすぐ消されそうですが。


この内容から学んでください。

しかしブログでも300記事以上
動画も100動画以上あります。

もちろん全部見ていただければ、
嬉しいのですが、そうはいかないでしょう。

だからその考えをまとめて10ほどの動画にしました。

もしよろしければ、
このうちの1つの動画だけでも、
無料送らせていただきます。


下記メールアドレスから、
「動画希望」と書いて、送っていただきましたら、
この動画だけを無料で送ります。

chiezo04252016@yahoo.co.jp


そして動画をご覧になって気に入ったら、
ぜひメールをください。
ほかの動画と合わせて別途ご購入いただけます

この動画群をご覧になれば、
頭の整理ができて、
・韓国が反日の理由
・韓国の反日が差別である理由
・なぜ日本人が反日をするのかという理由
・韓国と反日日本字を道理化すべきか?
・そして日本人の真の敵とは?

これらが理解できるでしょう。




最後にまとめます。

正しい知識と説得の言語化をするには、
過去記事で勉強するのが一番。

この記事のサポートとして、
・1カ月間の記事質問受付
・1カ月間の何でも質問受付。
・1か月間の反論サポート

これらをつけさせていただきます。

反論サポートは3日ほど時間がかかりますが、
それ以外は24時間以内に返答を予定しています。
※予定が遅れそうならその旨連絡します


それから動画を購入希望される方は、
上記の3点のサポートにプラスして、
スカイプでの指導も行います。

希望時に30分程度を考えております。




また最後に、

沈丁花に直接話を聞きたいという人は、
その旨連絡ください。

メールアドレスは
chiezo04252016@yahoo.co.jp まで

「直接対話希望」と書いて、送ってください。

出張およびスカイプで、
話をすることを考えます。

ただしこれらは別料金となっています。
メールでの連絡の際に相談させてください。

因みに沈丁花は東京在住ですので
その旨ご了解ください。


以上です。

今後ともよろしくお願いします。


韓国への贖罪意識を克服するための過去記事57選はこちらsinjitsu.thebase.in

1921年 日本人16人を死傷させた朝鮮人 李判能事件

関東大震災の2年前に起こった事件
日本人16人を死傷させた朝鮮人 李判能事件


<ポイント>
関東大震災時の朝鮮人虐殺のキッカケ
李判能事件を知っているか?
・日本人16人を死傷した朝鮮人


文字数:4,985文字
――――――――――――――――――――――――――――――――



関東大震災朝鮮人虐殺のキッカケ「李判能事件」


1923年9月1日 東京を巨大地震が襲った。関東大震災である。
この地震では多くの被害が出たが、
それにもまして恐ろしかったのは行政機関が一時的にマヒしたことだ。
そのため治安が一時的に乱れることになった。


この時に起きたのが朝鮮人虐殺である。


これは治安秩序が乱れた中で、「朝鮮人が犯罪行為をしている」という噂が立ち、
それに対して民衆が作った自警団が暴走して、朝鮮人を殺害したという事件だ。


この被害者について韓国方面からは約6千人が殺されたという説があるが、
これは多すぎるだろう。しかし数百人規模にはなるというのが実情のようだ。


巷ではこの朝鮮人虐殺はデマであるという説もあるが、これは反日メディアだけではなく、
当時の資料にも、目撃者の証言にも書いてある、間違いのない事実である。
韓国方面が約6千人の被害者というのと同様に、
虐殺自体が無かったというのは悪質なデマとしか言いようがない。



しかしこの事件を巡っては現代においても釈然としないものがある。


というのはどうしてこのような事件が起きたのかということを指摘するのではなく、
ただ単に「日本が悪い」という文脈“のみ”で使われているように思うからだ。


その証拠に「朝鮮人虐殺」を否定する言説には一部新聞社が社説を使ってまで攻撃するのに、
そのキッカケになったと思われる事件には、ほとんど言及しないからだ。
むしろそういう事件には目を背けようとしているようにさえ思う。


そこで今回日本人が朝鮮人に対して警戒するキッカケとなった
16人もの日本人を死傷した事件「李判能事件」について記す。





関東大震災前夜の朝鮮人の状況!

1910年、日本は朝鮮半島を併合した。
これによって日本と朝鮮半島は同じ国となり、
そのため朝鮮人は大挙して来日することになる。


現在のアメリトランプ大統領やEUの極右政党ではないが、
外国人(法的には外国人ではない)が大量に増加することは、
そこに元から住んでいた人に警戒感を引起す。
当時日本で起きていることも同じだった。



日本に来日した朝鮮人が急増したことで、日本人の中に警戒感が起こっていた。
その数は関東大震災の直前の10年間で20倍(3,635→80,415)
にもなる急増ぶりを示している。

<参考:日本国内における在日朝鮮人数>
     (在日朝鮮人数) (増減)
 1913年   3,635人
   14年   3,542人(   ▲93)
   15年   3,917人(   375)
   16年   5,624人( 1,707)
   17年  14,502人( 8,878)
   18年  22,411人( 7,909)
   19年  26,605人( 4,194)
   20年  30,189人( 3,584)
   21年  38,651人( 8,462)
   22年  59,722人(21,071)
   23年  80,415人(20,693)
   24年 118,152人(37,737)
   25年 129,870人(11,718)
   26年 148,015人(18,145) 



さらに朝鮮人を警戒する2つの理由があった。
1つは彼らの犯罪数の多さだ。もう一つは彼らが定住しなかったことだ。


彼らの犯罪数と言っても殺人などではなく、窃盗が多い。
彼らは日本に来ても仕事がないケースもあり、
食うや食わずの身で犯罪に手を染めることもある。


それからもう一つの定住者が少ないというのはどういうことかというと、
彼ら朝鮮人朝鮮半島から日本に来たばかりだった。
そこで良い職場があればすぐに異動する。
彼らは定住する場所がまだできていないため、そういうことができるのだが、
日本人からすると、隣に得体のしれない人物が住み着くことになるので、警戒感が高まった。


そこで関東大震災の2年前、朝鮮人が起こした犯罪が李判能事件だった。





李判能事件!


関東大震災が起きた時の警視総監は赤池濃であったが、
彼によると朝鮮人虐殺が起きた背景として、この李判能事件があるという

 東京人は李判能が卒然兇器を揮て十六人を惨殺せることを想起する。
之が為めに朝鮮人と云えば無性に恐怖するのである。

赤字は筆者


 この李判能事件は、朝鮮人李判能が凶器をもって、
16人を死傷(8人殺害、8人ケガ)させた事件である。


 では李判能事件とはどういう事件か?


 1921年6月3日午前0時10分ごろ、
市電の運転手をしている朝鮮人李判能(35)が突然、
同居していた日本人家族4人(夫32、妻30、長男9、次男5)を金鎚と短刀で惨殺した。


 李はそれだけでは納まらず、会社の上司宅に行き、上司を殺害することを決意。
それを自分の妻に止められたことから、妻(27)を金鎚で頭部を叩き、短刀で刺した。


 上司宅に向かう途中に、通行人(43)を襲い、大けがをさせた。
 さらに上司宅では上司と妻(37)を惨殺、
一緒にいた次男(6)、三男(3)も殺し、長男(10)は大けがをした。


 その後一時自宅へ引き返した。
 自宅では瀕死の重傷を負っていた自分の妻を再度刺し、「まだ殺す奴がある」と再び飛び出し、
その途中で通行中のS(52)とM(19)を襲撃して重傷を負わせた。
 この時の「殺す奴」とは結局不明である。


 Mは驚いて、近くの自宅に逃げ込んだが、
李はこれを追ってM家に乱入、父親(58)が取り押さえようとすると、
父親を殴りつけ重傷を負わせて家から飛び出した。


 その後も通行中の2名に重傷を負わせるなど凶行は続いた。


 この事件を聞きつけた警察官が駆け付けると、李は慌てて逃げだした。
そして警察官が追いかけるが、もう少しというところで市電の線路に足をとられて転倒をした。
したたか腰を打って立ち上がれないのを見ると、李は戻ってきて警察官を襲撃した。


 李は警察官の頭部をめがけて金鎚を振り下ろしたが、警察官は頭を避け、肩に一撃を喰らった。
肩甲骨を砕かれながらも警察官は李を投げ飛ばし、立ち上がると抜刀して
「手向かうと切り殺すぞ」と叫ぶと、李は気迫に押されて、凶器を捨てて御用となった。


 これが李判能事件のあらましである






なぜ事件は起きたのか?


 ところでこのような凶行に及んだ李判能はどのような精神状態だったのか。
李の行動から正常ではないと思われたが、彼は正常であった
 現在のような精神鑑定はもちろん行われなかったが、
裁判中も何らおかしなところはなかった。


 先程書いたように李は市電の運転手だった。そして殺された日本人も職場の同僚だった。
この2人が同居したキッカケは、家賃が高かったために、同居して分担するためだった。
お互いに一つ屋根の下で生活することで、生活費を節約しようということになった。


元々住んでいたのは李で、日本人家族は李に誘われて同居している。
同居を始めたのは事件の2か月前からだ。もちろんお互いに顔見知りであるし、
仕事関係とは言え付き合いもある。
このような理由から、職場関係としては元々朝鮮人の李と
殺された日本人の間では問題が無かった


 しかし家族同士で住みつくと、色々なトラブルが起きた。
特に民族が違う2家族が同じ屋根の下で暮らすと問題も大きくなった。
 最初関係が悪化したのは妻同士だった。
共同生活が始まって1カ月もたつと些細なことから反目するようになり、
トラブルも続出した。


 そして事件のキッカケとなる事柄が起きる。


 5月29日、李の妻が、手拭いが無くなったと言い出したのだ。
それもあたかも日本人妻が盗んだような口ぶりでわめきだしたのだ。
 日本人妻も黙っておらず、言い合って喧嘩となり、双方ともに口汚く罵り合った。
ついに両方の夫が大立ち回りを演じるほどになった。


 この時は近所の人が仲裁に入り、何とか納まったが、翌日もその次も言い合いを続け、
31日には李が同僚を泥棒呼ばわりするようになった。
そこでまた立ち回ったことで、李は同僚を警察に告訴した。容疑は窃盗と傷害である。


しかし警察が調べたところ李の申告場所に外傷が無かった。
そのため傷害事件としては立件ができない旨伝えた。
なおかつ手拭いの窃盗も確たる証拠がない。
それに古手拭い一本で家宅捜索をする訳にもいかず、結局、李をなだめて帰した。


それに対して李は

俺が朝鮮人だから、警察は日本人の肩を持った

と逆恨みをした。そして復讐することを考えた。


一方このことを伝え聞いた市電の職場上司は関係を仲裁しようと動いた。
両者を仲直りさせるべく6月2日の夜に2人を呼んで説諭した上、
酒を3人で飲んでケリをつけた。


ハズだった!



しかし李判能はそう考えていなかった


その夜に自宅に帰った李は冷酒を飲みながら、だんだん腹を立てていた。
妻の酌で飲んでいた李。酔いが回るに従って興奮していった彼は、
感情が高ぶるのを抑えられなくなっていった。
そして金鎚と短刀を持ち出して、妻が止めるのも聞かずに
隣室に飛び込んで日本人家族を襲撃したのだった。




キッカケになったのは古手拭い一本。
しかし同居して2カ月でそこまで関係が悪化するとは信じがたい。

裁判で李判能はこう言っている。

内地人は皆自分達を馬鹿にしている。
頼りに思う警察までも、訴えても受け付けなかった。
自分たち朝鮮人は、この世では誰にも頼ることができない。
地獄に行って仏に頼るより仕方がない。
この期に及んでは恨みになる奴を殺して、自分も死ぬつもりだった。

と声を震わして号泣した。


李は酒を飲んで発作的に犯行をしたのではなく、
犯行をするために酒を飲んだことを裁判で認めた。つまり確信犯だったのだ。


因みにこれだけの犯罪を実行した李判能は、裁判では死刑にならず、無期懲役になった。
身勝手な理由で職場の同僚を逆恨みし、罪のない子供まで惨殺し、
さらに見ず知らずの通行人までも襲撃してけがをさせた李に対しても、
当時は死刑にならなかったのだ。




知られていない李判能事件!


 この事件の影響は警視総監赤池濃によると絶大だったようだ。
これにより、朝鮮人への恐怖が日本人に植え付けられた。


先に書いた、朝鮮人が急激に増加していること、
その朝鮮人の犯罪数が多かった(但し窃盗が多い)こと、さらに定住せず移動が多く、
日本人とのコミュニケーションが少なかったことなどが重なり、
得体のしれないというイメージが蔓延し、この事件がダメ押しになった。


この事件は当時の豊多摩郡で起きた。
豊多摩郡とは現在の東京都渋谷区や新宿区、杉並区などにあたる場所で、
そういう意味では東京近辺に住む人に大いなるショックを与えた。



筆者は李判能事件をもって、「関東大震災における朝鮮人虐殺」を
肯定しようとも正当化しようとも思わない


しかしこのような事件があったことを
ほとんどの日本人は知らない


それでは結局、朝鮮人虐殺事件が起きた背景や
当時の日本人の恐怖心が理解できないだろう。
ましてや巨大地震により、突然行政機関が無くなり、治安が維持できなくなった時、
当時の日本人がどのような気持ちだったのかを理解することはできない。


戦後の日本では戦前の否定をすることが正しかった。
つまり理由はともあれ、「日本が悪かった」ということだけを言っていれば良かった。


それ故に当時の被害者?である朝鮮人や中国人を「過度に持ち上げる癖」がある。
日韓や日中で歴史問題が起きた時に、積極的に日本否定をする風潮がある。


李判能事件を取り上げることは朝鮮人への批判につながり、
ひいては「日本が悪い」という戦後日本の風潮に逆行する報道となる。
それはむしろ積極的に「日本が悪い」という報道を続けてきた
マスメディアにとって都合が悪いからなのかもしれない。


日本を否定すること、それが正しいのだ!



しかしそれは韓国や中国への迎合する心理を生む。
とにかく日本を否定して、中韓を持ち上げればいい、という安易な考えになる。
この両者がトラブルになると、日本を否定し、
韓国や中国に迎合する報道が続くのはその一環である。
これこそが一般的に反日と言われるものではないのか?


歴史の学ぶためには、正しい事実を知らなければならない。
しかし「日本下げ」を企図している人は、日本を殊更否定する“事実”のみを繰り返し提示して、
そうじゃない事実(例えば李判能事件のようなコリアンにとって都合の悪い)には目を瞑るのだ。


これが多くの人たちに、メディアに対する不信感を持たれる所以であろう。
そしてネットに対して真実性を持たれる理由であろう。


「マスコミは偏向している。頼れるのはネットだけだ」
こういう意見が真実性をもって理解されるのは、
マスコミ自身の責任である。

日韓の不毛の元凶!「歴史に学べ」日本と韓国の意味の違い!


・「歴史に学べ」日本と韓国の違い
・日本と韓国は歴史の考え方が違う
・日韓の歴史論争など不毛

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日本と韓国は歴史問題により長年対立してきた。
それはどうしてだろうか?

日本が歴史を真摯に反省しないから?
韓国人の気持ちを理解しようとしないから?
そうではありません。

日本と韓国では歴史に対する考えが違うのだ。



<目 次>
1. 日韓歴史対立
2. 韓国の反日に対する日本の考え方
3. 「歴史に学べ」とはどういう意味か?
4. 日本における「歴史に学べ」の意味
5. 韓国における「歴史に学べ」の意味
6. 日本の歴史と韓国の歴史
7. まとめ



1.日韓歴史対立
日本と韓国では長い間に歴史問題で対立してきた。
それは現在でも続いている。
それはどうしてだろう?

過去、日本は朝鮮半島を支配した。 
日本は江戸時代の末期に、黒船が来航し、強制的に開国を迫られ、開国した。
その前にアヘン戦争で欧米に敗北する清国の状況を見ており、
欧米列強国に脅威を感じた日本は、封建的な国から近代的に
国に作り替えていった。

幕藩体制から中央集権国家になり、工業化を進めて富国強兵政策を行い、
国を強化して、日清日露戦争を経て、世界一等国の地位を獲得した。

そして帝国主義国となった日本は、朝鮮半島を併合し、
35年間支配して日本の敗戦とともに解放されることとになる


その後、独立国となった韓国は、
日本とたびたび歴史問題で衝突することになる。
例えば日本との国交正常化が終戦後20年もたった
1965年になったのもそれが一つの理由でした。

1953年、まだ国交正常化交渉の初期の時、
日本の代表だった外交官の久保田氏は、
韓国との交渉中に「日本の統治は良いこともやった」と述べた。
それに対して韓国側が態度を硬化させ、
正常化交渉を4年間にわたって停滞するということになります。


また1982年の教科書問題、85年の靖国参拝問題、
90年代以降の慰安婦問題など節目節目に歴史問題が顔を出す。


昨今の日韓では、まさに歴史問題というのが
最大の問題として横たわっている。
互いの国民が相手国を批判し、関係は悪化している。
以前は韓国側が日本を批判しても、日本側はそうではなかった。
しかし最近は日本側も積極的に反発するようになっている。


これが最近の日韓対立の特徴である。
これはどうしてでしょうか?

その理由は日本と韓国の「歴史」の対する考え方の違いがある。




2.韓国の反日に対する日本の考え方
韓国と日本の「歴史」に対する考え方の違いを検討する前に、
日本側が韓国の反発をどのように考えていたのかを検討してみる。


李承晩の存在
日本はもちろん韓国と国交正常化をしたかった。
韓国は反共国であり、東陣営の北朝鮮と対立している。
北朝鮮の背後には共産国の盟主ソ連と中国がいる。
日本としては韓国を後押しするために、
国交を正常化する必要があった。

しかしそれがなかなか進まない。

戦後は日本も韓国も大変な状況だった。
故に交渉が進まないのも仕方がない。
しかしアメリカの後押しもあり、
1951年から予備交渉をするようになった。
そして国交正常化するのは1965年。
つまり足掛け14年もかかった長い交渉だった。

それを阻害していたのは韓国の李承晩大統領だ。

李承晩大統領は反日の闘士としての経歴を持っていた。
1919年に作られた大韓民国臨時政府
(最初、中国の上海に置かれたことから「上海臨時政府」と言われる)の
初代リーダーに選出され、その後解任されるもののアメリカで
独立運動を行っていた。

また彼は韓国人で初めてアメリカの大学を出た人物であり、
さらに日本統治時代の朝鮮半島にほとんどいなかったため、
手が汚れていない(日本と妥協していない)人物としても知られている。

李承晩大統領にとっては反日というのは、
韓国人の支持を集めるための武器だったのだ。

このような状況のために、日本では李承晩大統領がいるうちは、
国交正常化は進まないという考えがあった。


貧しさゆえに
 因みに李承晩大統領は1960年に韓国国民の反発を受けて失脚する。
その後は民主的な政権ができる。さらに1年後には朴正煕のクーデターがあり、
再び韓国は独裁的な政権(一応、選挙はある)が握ることになる。

 李承晩と違い、朴正煕は日本統治時代に生まれ、
日本の教育を受け、日本語がペラペラの人である。
さらに士官学校を出て、満州国の軍人として終戦を迎えている。

 このような中でも韓国では反日意識があった。
それが爆発したのは1974年であった。
 当時、韓国では文世光事件があった。

 1974年8月15日。
この日は韓国では光復の日(日本統治から解放された日)であった。
その光復の式典に参加していた在日コリアンがいた。
彼の名は文世光
彼は北朝鮮側の唆しによって、日本の派出所から拳銃を盗み、
韓国に渡航して、朴正煕大統領を射殺しようとしていた。

 事件は朴正煕大統領には当たらなかったが、
朴正煕夫人に当たり、夫人はのちに死亡した。
これが日本の警察から盗まれた銃ということで、韓国政府と韓国国民は激高した。

 翌9月には日本大使館襲撃されるまでになった。

 当時の日本の考えは、大統領夫人が射殺されたショッキングな出来事と
いうこととともに韓国が貧しいから不満を逸らすために、
反日を煽っているという考えがあった。

 実は信じられないかもしれないが、1960年当時(つまり文世光事件の14年前)には
一人当たりのGNP(当時はGDPをあまり使わず)では、北朝鮮が多かったのだ。
つまり韓国はそれほどまでに貧しい国だった。

 それ故に韓国国民は貧しいから韓国政府の反日扇動に影響を受けるので、
韓国が経済発展して豊かな国になれば、韓国は反日をしなくなると考えた。

 そして経済援助などを多くして、
なおかつ技術供与及び経営ノウハウなどを提供していった。
韓国の経済発展に多大な貢献をしていったのだ。

 しかし経済発展をしても反日はおさまらない。
どころかむしろ悪化しているのが現状なのだ。


真摯な反省
 そして「貧しさ」と並列で言われてきたのが、日本の真摯な反省の不足である。

日本が昔韓国を併合し、彼らは塗炭の苦しみに喘いだ。
それに対する反省が必要なのだが、日本は真摯に取り組んでこなかった。

確かに総理大臣が謝罪したことはある。
しかしその後にA級戦犯が合祀されている
靖国神社に参拝するなどとても反省したとは思えない。

日本が歴史に対する真摯な反省をしないから、韓国は日本を許さないのだ。

 という考えだ。

 これは主に左翼系の人が主張することで、
保守的なおよび右寄りな考えを批判するときに使うのだが、
日本国内でもある一定の支持がある考えだ。

 歴史教科書問題、靖国問題慰安婦問題などの問題が
こじれると必ず韓国側だけではなく、日本側からも主張されるのだ。
ある面、定番と言っても良い主張だ



最近の状況
この3つというのが、戦後の日韓関係がギクシャクするときに言われる理屈だった。
戦後の日本では日韓関係を改善する必要性を感じてはいたが、
韓国政府および韓国国民の反発を見て、

どのように理解すべきか?

ということを考えてきたが、戦後の日本ではこの3つの考え及びそのミックスだった。
とくに近年では3番目、つまり「真摯な反省」のみがよく言われている。
なぜなら李承晩はずっと前に失脚しているし、韓国が貧しい時代はかなり前になっているからだ。


「日本が真摯に反省しないから日韓関係が悪いのだ」というのが唯一の考えになっている。

しかしそれが最近揺らいでいる。


本当に日本が真摯に反省しないから歴史問題があるのだろうか?…と。

実はここに問題がある
その理由は日本と韓国では歴史に対する考え方が違うからだ。




3.「歴史に学べ」とはどういう意味か?

「歴史に学べ」とはプロイセンの宰相ビスマルクの言葉である。
このほかにも多くの人が西洋東洋問わずに同様な発言をしているが、
日本で取り上げられるのはビスマルクの言葉だ。

実は彼自身は「歴史に学べ」とは言っていない

彼が言っているのは
「他人の経験から学べ」である。

自分の経験を絶対視することなく、より多くの他人の経験から、
特に他人の失敗から学ぶことで、将来の失敗を防ぐことができる。
自分の経験より他人の方がたくさん経験している。

その他人の経験を学ぶことで、
自分は失敗を未然に防ぐことができるのだ。

ただし他人の経験の集合体が「歴史」だと考えても不都合はないので、
「他人の経験」=「歴史」と読み替えても問題ない。
故にビスマルクの言葉を「歴史に学べ」と言ってもそれほど的外れではない

つまり巷間言われているように

「賢者は歴史(他人の経験)に学ぶ。 愚者は経験に学ぶ」

ということだ。





4.日本における「歴史に学べ」の意味
 
ところで先にビスマルクの言葉として「歴史に学べ」という言葉を書いた。
そしてその目的は「将来の失敗を未然に防ぐ」ということだ。

 実は日本の歴史というのもそれに近い。

日本で「歴史に学べ」というのは、歴史に学べば、
将来の失敗を未然に防ぐことができる、

という意味なのだ。

 「現在」とは、過去から見ると「将来」である。
過去の時点で考えていたこと、行動したことは現在からは自明である。
そして現在の結果もわかっている。

 そして「現在」も将来から見ると「過去」になり、将来は現在になる。

 つまり過去から現在起きたことを学べば、将来を予測することができる。
過去にこう考え、こう行動したが故に、現在の結果はこうなっている、というのなら、
現在こう考え行動したことは将来こうなる、と予測できる。

過去を学ぶことで、
将来の失敗を防ぐことができるのだ。

 そのためには必ずしなければいけないことは正しい事実である。

 過去にどう考え、どう行動したのか?
その正しい事実を収集しなければならない。
間違った事実を収集しても将来への教訓にはならない。

 炭素と酸素を混ぜても水はできない。
何度やっても二酸化炭素しかできないのだ。
それは「正しい事実」ではないからだ。

 酸素には水素を加えなければならない。
そうすると水ができるのだ。炭素と酸素という間違った事実を
前提にしては間違った結論にしかならない。
水素と酸素という「正しい事実」を把握することが重要になる。



つまり「正しい事実」とは「嘘はいけない」のだ。
「嘘」を前提にすると、将来、失敗をする。
将来の失敗をしないために「歴史(他人の経験)に学ぶ」のに、
「嘘」前提にすると当然、失敗を繰り返すことになる。

歴史に学んで将来の失敗を繰り返さないためにも「嘘」は厳禁なのだ





5.韓国における「歴史に学べ」の意味

ところで韓国も歴史を重視する。
「歴史に学べ」と声高に叫ぶのはむしろ韓国で、
そういう面で日本より歴史を重視しているように思われる。

しかし…そうではない。
日本と韓国では歴史に対する考え方が違うのだ。

どういうことかというと、
日本の「歴史に学べ」とは「将来の失敗をしないため」であり、
韓国の「歴史に学べ」は「現在の自分たちを擁護する」ものだからだ。


 韓国は儒教の国である。
 儒教とは神のいない宗教だ。キリスト教イスラム教は「唯一神」の宗教で、
神の言葉を重視する。神は全知全能で、不死で、永遠に存在する。
 故に神との契約はいつまでも続くことになる。

 聖書やコーランは神の言葉だ。それに逆らうことは許されない。
故にキリスト教イスラム教は解釈の幅は多少あるが、文言は絶対なのだ。


しかし儒教にはそれがない

 儒教は天という存在はある。
そこから天子(つまり中国皇帝)を遣わし、地上を治めることを認める。
 その天子がどうしてわかるのかというと、乱世の中で勝ち残るからである。
秦の始皇帝や漢の高祖は広い中国で戦い、勝ち残ることで天から遣わされた証拠となる。

 そして天子がその地位についたら、何をやってもよいのだ。

 当然、前政権のやったことをひっくり返しても、また継続しても良いのだ。
キリスト教イスラム教はそこが違う。
彼らは聖書やコーランに書いてあることを無視することはできない。
 これらは神との約束なのだから、一方的に破ることは神を裏切ることになる。

 故にどんな破天荒な奴が出てきてもイスラム教徒である限り、
コーランを無視する」
などとは言えない。


しかし儒教にはそのような聖典はない。
もちろん「大学」や「中庸」「春秋」「孟子」などの経典はある。
彼ら儒者もその経典を大事にしている。
 しかしそれらは事例集にすぎない。
儒教の世界ではそれらの経典を暗記して、
必要なことにその事例を引っ張り出せる人が偉いのである。

 昔の王様が「あれはどうすればよいと思うか?」と下達すると、
それに答えて

孟子によると、○○○○でございます。
主君としてはそのようにされるべきでしょう」

というのだ。

 しかし他方で別の者が口を挟み、

「いえいえ、春秋によると××××です。
王としてはそのようになさるべきです。」

と述べる。

 こういう事例を膨大に覚えておき、
必要に応じて、素早く主君に質問に答える人こそ出世するのだ


この儒教の国こそが韓国なのだ。
 韓国にとって歴史とは現在の自分(もしくは主君)を擁護し、
正当化するためのモノなのである。

彼らの歴史の議論を聞いていると決して認めない。
どんな根拠を提示されても、どんなに矛盾を指摘されても認めないのだ。
 それは認めると「現在の自分にとって都合が悪い」からである。
誤りを認めることで、自分の説得力が低下する、自分の信頼が低下することは都合が悪いのだ

 日本人的な感覚からすると、
「誤りは早く認めた方が傷は浅い」と思うのだが、彼ら韓国人はそう考えない。

 極端な話、韓国人にとって誤りを認めることは生死につながるのだ。

 先に書いたように、膨大な儒教の経典を暗記し、素早く適切に提示できる人が出世する。
そして出世すると、他のライバルを、権力を使って排除する。
 つまり出世に負けることは死を意味する場合もある。
それ故に「誤り」など認めていられない。むしろ誤りを認めることで、刑を執行されやすくなる。

 北朝鮮でも粛清される時には必ず“公平な”裁判がある。
そこで罪を認めることで、刑が確定して処刑される。

 彼らの考えでは事実などどうでも良いのだ!

 韓国の言う「歴史に学べ」とは、
「歴史を利用」して現在の自分を擁護する手段なのだ。、




6.日本の歴史と韓国の歴史

 日本の「歴史に学べ」が将来の失敗をしないためであるのに対して、
韓国の「歴史に学べ」は現在の自分を正当化するためである。

つまり両者は考え方が違うのだ。


 日本は将来失敗しないためにミスをミスと認める。
それを早く認めた方が誠実だと思われる。
しかし韓国は現在の自分を守るためにミスを隠ぺいする。

 そこで使われるのが「」なのだ。

 日本のように「将来失敗しないため」であれば、「嘘は厳禁」である。
嘘を事実のもとに教訓を得ても将来の失敗を避けられない。
 水を作るのには水素と酸素を混ぜるのだ。決して炭素と酸素ではない。
そうすると失敗する。水素と酸素を混ぜるという事実を後世に伝えていくことが必要なのだ。

 しかし韓国のように「現在の自分を擁護、正当化」するためなら「嘘」であっても構わない。

 と…いうより」の方が望ましい。

 「事実」は融通が利かないものだ。もう少し何とかしたいと思っても
「事実」は冷徹に存在する。そこは「過去」になっているので、特に手を出せないものだ。

 しかし「嘘」は融通無碍だ。

 如何様でもオーダーメイドができる。必要に応じて加えることも差し引くこともできる。
在日コリアンは強制連行された」「慰安婦は性奴隷だ」「靖国参拝は韓国人を傷つける」
みんな嘘だが、それによって現在の韓国人が日本人から搾取できるというメリットがある。


同じ「歴史に学べ」という言葉でも、
日本は将来の失敗をしないため、韓国は現在の自分たちを守るために使っている。

同じ言葉でも意味はまるで違う。
日本は過去の事実そのままに、韓国は過去を捻じ曲げ、嘘をつくことで「歴史に学んでいる」のである。


こういう両者が歴史議論などしても意味はない

韓国は自分たちの主張こそ「正しい歴史」なのであり、
それを認めない日本は「悪い国」なのだ。
日本にとって「正しい歴史」とは正しい事実に基づくものだ。
正しい事実に基づかなければ同じ失敗を繰り返す。
そうならないためにも正しい事実が重要なのだ。


日本と韓国で歴史論争をすると、日本人は根拠を挙げて相手を説得しようとする。
日本人の考えでは「正しい事実」が重要なので、「事実」を提示すれば、
相手がわかってくれると思う。

日本人は思う。
韓国人はただ誤解しているだけなんだ…と。

しかし韓国は根拠など求めていない
彼ら韓国自身を正当化するものが「正しい歴史」なのだ。
そして韓国の言う「正しい事実」を声高に主張して、
日本側の言い分に一切耳を傾けようとしない。

事実、テレビの討論会などでもそのようなことが繰り返されている。
彼らは日本側の主張に「一理ある」とは全く思わない。
認めたところで自身の正当化につながらない。
彼らが求めているのは「自身の正当化」である。

もう少し違う言い方をすると、韓国の「歴史に学べ」というのは、
自身の考え方を理解しろ、ということであり、

日本の「歴史に学べ」というのは、
自身が歴史から教訓を得ろ、と言っているのだ。

事実を提示して韓国の言い分に反論する日本人に、韓国人はこう言う。

韓国への愛はないのか?

韓国にとって歴史とは「自己弁護の手段」なのだ





7.まとめ
 まとめると、日本と韓国では「歴史」に対する考え方が違う。
日本は将来の失敗をしないために「歴史に学ぼう」とするのに対して、
韓国は現在の自分の正当化のために「歴史を利用」する。

 韓国の歴史に対する考えは儒教からきており、
彼らは歴史の事例を現在の自分を擁護するために使うことを常態化している。
 他方、日本ではそういう習慣はないのだ。

 歴史に対する考えの違い、それがあるが故に、
日韓で歴史問題を話し合っても解決しない。
日本と韓国では歴史に対する土壌が違うからだ。

 日本は事実を重視し、韓国は事実を軽視する。
それどころか「嘘」でも構わない。
そういうスタンスの違いこそが日韓関係を悪化させている元凶なのだ。


 「歴史」に対するスタンスが違う。
だから日韓間で歴史問題を話し合っても意味は無いのだ。