韓国の反日は差別だ!

韓国への反論をするための方法を提供

チケットキャンプ

日本統治時代を韓国人はどう感じていたのか?同時の記録から!

・日本の韓国統治は過酷だったのか?
・当時の記事から類推する
・韓国人は、日本を恨んでいなかった

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 戦後の我々日本人からすると、韓国人は日本を恨んでいたと思うかもしれない。


 そして韓国人が恨んでいるのは、日本が過酷な統治をしたからだと思うかもしれない。


 しかしそれはなのだ!


 日本統治時代は韓国人にも理解されていた。故に韓国では反乱が起きていなかったのだ。


 韓国では3.1独立運動を大げさに取り上げている。
それはなぜかと言うとそれ以外になかったからだ。


 しかし3.1独立運動は1919年に起きた。
その後26年間(日本から独立するまで)は何をやっていたのか?
当時の韓国人たちは日本統治をそれなりに受け入れていたのだ。





朝日新聞の日韓対談

 韓国人、特に韓国の一般民衆が日本人を恨んでいなかった根拠を提示しよう。


朝日新聞に「日韓会談を阻むもの」として韓国人の日本特派員と
日本人の韓国特派員の対談が載った。
その記事からリードの部分を引用する。

いくたびか決裂を見た日韓会談がふたたび開かれる機運にある。しかしこの会談によって直ちに両国間の懸案がことごとく円満に解決されるだろうと期待することは、これまでのいきさつからみても無理だろう。それでは一体日韓関係の円滑化を阻害する原因はどんなところにあるのか。 ~略~

そして
「互いにズレた国民感情」 「投合う“不自然な言葉”」 
「“親日派”を恐れる」 「韓国 表と裏と別の態度」

小見出しが続く。



この対談は最近の記事としても通用しそうである。しかしこの記事が載ったのは
1953年12月4日の朝日新聞である。


今から60年以上前から同じようなことをやっていたのである。





意外に温かい韓国民衆

 この対談は朝日新聞の津島朝鮮特派員とソウル新聞の金乙漢東京特派員との間で行われた。
年齢については不明であるが、金氏は日本の大学を卒業して大正十四年に朝鮮日報に入社と
書いているので、対談当時は50歳を越えているだろう。
また津島氏は年齢が分かる手がかりはないが、写真を見る限り30歳を越えていそうである。



つまり両者とも終戦の時には成人になっていたのである。
そして戦前の朝鮮半島の事をそれなりに理解している人物だろう。


その両者は何と言っているのか?



津島  たとえば街の店に入る。日本人ということがわかると主人が「まあ奥に入って座りなさい」といった調子で温かい空気を感じるが、われわれが官吏を訪問するとガラリと空気が変る。実に冷たい。日本に対しての声明でも非常にきつい。


 ここでは1953年当時に韓国へ行っていた特派員が「韓国民衆の温かさ」に触れている。
これは終戦年後である。


 当然、津島特派員も店の主人の韓国人も日本統治時代の事を知っているはずだ。
それなのに日本に対して非常に親切なのである。


 それはなぜか?




なぜ反乱が起きなかったか?

 私たちは気付かなければならない。
日本の統治がそんなに悲惨な搾取に満ち溢れたものであれば、
どうして大戦中に朝鮮半島で反乱が起きなかったのであろうか?


 確かに朝鮮半島満州の間の「間島地方」等では反乱部隊がいたが、
それはほとんど山賊馬賊の類と変わらない。
そして大韓民国臨時政府などは内紛ばかりでまともな活動ができていない。


 日本の支配が過酷であれば、朝鮮半島内に一番多くの朝鮮人がいるのだから、
反乱を起こさないわけはないだろう。
 事実、李承晩政権は韓国人が反乱を起こして打倒されている。
 朴正煕政権でも何度も民主化闘争を行っている。
 そして遂に1987年に韓国民衆の力で民主化を成し遂げたのではないか?



 朝鮮人が搾取されていれば、大人しくしているわけがない。



 つまり日本の統治は非常に良かったからである。
 だから日本人の統治を知っている韓国民衆は戦後も日本人を歓迎していた。


 しかし反日が売りの李承晩はそれでは困るわけである。
独立運動」しか能がないので、“独立運動は正しい”としなければならない。

それが独立をしたらもっと悪くなりましたでは、自分の正統性を主張できない。
だから日本統治時代は“暗黒時代”でなければならないのである。




作られた反日

 もう少し、記事から引用してみよう。

津島  ~略~ 私が感じるのは韓国の新聞を見ると日本が全然敵国扱いで、日本に関する記事は表現にしても実に最大級の表現でバトウしているし、政府声明も日本に対する友好の心は見当たらない。これは不幸なことだ。

金   そういうことは自然なことではないから日にちをかせげば落着くところへ落着くと思う。

津島記者が政府声明を「敵国扱い」と批判していることに対して、金記者は否定していない。
しかも金記者は「自然ではない」ので「時間がたてば落着く」と主張している。


この当時の韓国人からは反日声明は不自然なものなのだ。


津島  概して個人個人に当ると必ずしもそうではないが、改まった話になるとやはり反日という色彩を非常にはっきりさせてくる。しかしそれがいかにも苦しそうなのです。何か親日に見られることをこわがっているといった感じがするのです。

金   それには原因がある。というのは、日本の敗戦と同時に、韓国の政治の主導権を握ったのは、大多数の国内の人ではなくアメリカなり中国から入った政治亡命者たちだ。最近フランスから朝鮮に帰って来た人の話でも、商売がたきだとか、恨みがあると、あれはドイツと協力したなどと密告して監獄に入れてしまったりするといわれるが、それと全く同じく、あいつはちゃきちゃきの親日派だといわれることがこわいのです。


 つまり敗戦国日本と仲がいいと、批判されるだけでなく、監獄に入れられる。それなら「親日派」とは死んでも言えない。それどころか身を守るために、積極的に反日に勤しむ



 元々、朝鮮民族中華思想による日本人に対する蔑視思想を持っていた。だから「反日」に反応しやすい素地はあった。



 しかし現在の反日は戦後、李承晩が自分の政権の正統性をつくるためのものである。


 韓国大統領が自身の権威を高めるために反日を煽った。それを韓国民衆が面白さのために迎合した。それが事実なのである。


 戦後のマスコミの嘘に騙されてはならない。当時の意見こそが重要なのである。