韓国の反日は差別だ!

韓国への反論をするための方法を提供

チケットキャンプ

韓国の擁護をする良心的日本人 彼らを駆り立てる3つの理由とは?

・日本の悪口を言う良心的日本人
・彼らが悪口を言う3つの理由
・良心的日本人こそ、日韓関係悪化の原因

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


日本人でありながら、
韓国に迎合する人がいるのはどうしてか????

この文章は以下の目次に沿って進めます。

1.日本の謝罪
2.良心的日本人の存在
3.韓国寄りのスタンス
4-1.保守派を叩く面白さ
4-2.親の世代を叩く面白さ
5.贖罪意識の解消
6.惰性への迎合
7.まとめ






 戦争が終結した1945年。その後、日本と韓国は没交渉になる。
日韓が国交を正常化するのは、その20年後の1965年である。
その間、韓国大統領が来日することはあったが、日韓間は冬の時代だった。





1.日本の謝罪

 そして1965年に日韓基本条約が締結し、日韓の国交は正常化される。
しかし日韓関係は関係改善するどころか、むしろ悪化の一途を辿ったというのが実情ではないか?


 一例を挙げよう


 日韓関係が正常化する前の1950年代に朝日新聞が韓国で聞き取りした記事がある。
その記事は国交正常化に関して韓国の各界の人物にインタビューしている。
 そこで韓国人が求めるのは当時の吉田首相の謝罪だった。


 しかしその方法はそれほど拘っていない。
ある人物は「日本の国会で野党の質問に答える形でも良い」ので、
そこで謝罪の言葉を述べて欲しいと言っている。

 韓国に直接ではなく、日本の国会で野党の質問に答える形でいいから、
謝罪の言葉を言って欲しいというのが当時の韓国の要望だった。



 その後、1965年に国交正常化をするが、
その直前に日本の外務大臣椎名悦三郎訪韓する。
そこで外務大臣が韓国政府に謝罪の言葉を2回述べる。

 その時の韓国メディア、韓国政府の反応は

 「日本の謝罪が実現した」
 というものだった。



 その後1984年、韓国の全斗煥大統領が来日した。
実は有史以来、朝鮮半島のトップが公式訪問するのは初めてのことだった。
 当然、韓国の日本に対する公式訪問も初めてだった。


 その時に行われたのは昭和天皇による謝罪だった。陛下は遺憾の意を表した。

 天皇陛下は象徴なので政治的発言はできない。
しかし直接支配した天皇陛下として謝罪の言葉が欲しいという韓国側の要望。
そして韓国の全斗煥大統領と親しかった中曽根首相の意向もあり、陛下の謝罪となった。



 その後1990年、昭和天皇崩御により、現陛下に代わっていたが、
当時の盧泰愚大統領は天皇陛下の謝罪の言葉を求めた。
 

これは1984年の「遺憾の意」というものより強い言葉が欲しいという韓国側の意向があったからだ。
先に書いたように天皇陛下は政治的発言ができない。
それ故に踏み込んだ発言には抵抗もあったが、調整の結果「痛惜の念」と言う言葉が使われた。


当時の盧泰愚大統領は

天皇陛下が謝罪した。総理大臣も謝罪した。
衆議院議長も謝罪した。これ以上どうしろと言うのだ?」

と評価していた。




しかし現在の日韓関係は改善しているのだろうか?



2012年 李明博大統領は天皇陛下訪韓に触れて
「“痛惜の念”などと言うくらいなら訪韓しなくていい。
独立運動家に土下座しろ」と暴言を吐いた。


これまで日本が誠意を示して謝罪するたびに、
韓国は誠意を踏みにじってきた。それが歴史的な事実である。


韓国は日本に対して謝罪を求めているのではなく、
日本人を侮辱するのが面白いからやっているのだ。面白くて楽しいからやっているのだ。


その面では日韓関係が悪化しているのは、韓国側に大いに責任がある

しかし韓国だけの責任なのだろうか?


実は日本側にも大いに責任がある。
今回はそのことについて書いていきたい。






2.良心的日本人の存在

日韓関係を悪化させている日本側の要因とは「良心的日本人」の存在である。


 「良心的日本人」とは日本人でありながら、韓国や中国側の意見を代弁する人たちである。
その中にはむしろ日本の不利益になることを積極的に行う人たちがいる。
見ていて「なぜそんなに日本ばかりを批判するのか?」と思ってしまうが、
彼らにとってはお構いなしなのだ。



彼らはどうして日本を批判することを繰り返すのか



その理由を彼らに聞けば、こう答える。

「日本が嫌いだからやっているのではない。
むしろ日本を愛するが故に苦言を呈するのだ」

「日韓関係が悪化しているのは日本が真摯に謝罪しないからだ。
日韓関係を改善するために心を鬼にして日本を批判して謝罪を引き出そうとしているのだ」



つまり日本のために日本の批判をしている

というのだ。



日本を愛するが上に、日韓関係を改善する上に、日本の謝罪が必要で、
そのために活動しているというのが彼ら「良心的日本人」の言い分だ。



しかし筆者は断言する。それは…と。







3.韓国寄りのスタンス

 彼ら良心的日本人は日韓関係を改善するために活動しているという。
しかし韓国の反日行動には批判をしない


 例えば韓国政府の慰安婦報告書では20万人に慰安婦と書いてあるが、
それに対して批判する良心的日本人はほとんどいない。
彼らのスタンスは韓国の代弁者になり、
日本を批判することのみ(もしくはほとんど)なのである。


多くのケースで日本にのみ謝罪を求め、韓国を擁護するそのスタイルは、
日韓関係を改善するという(当人の)主張を疑わせるのに十分である。



そうすると彼らはなぜ韓国よりのスタンス、韓国寄りの主張をするのであろうか?
彼らを韓国寄りに駆り立てているものは何なのか






彼らを日本批判に走らせている要因はつある

(1)日本を叩くことが面白い。
(2)過剰な贖罪意識を解消するため
(3)昔からの惰性で。


つまり「面白いから」「贖罪意識の解消のため」「惰性で」という
3つの理由があると考える。


ではまず面白いという部分を見てみよう。







4-1.保守派を叩く面白さ

 では面白いとは何か?
ここで物事を単純にするため、自民党社会党を比較して見てみよう。


 社会党は日本政治の一方の雄として、自民党に対抗する存在であり続けてきた。
1955年に社会党の右派と左派が合併し、社会党になってから、
ほとんどの期間、野党第一党であった。
保守系自由党民主党が合併したのは社会党の統一に煽られた面が強い。


 最大時は衆参で200を超える国会議員を確保し、
多くの労働組合を支持基盤にし、特に都市部においては強い支持を獲得していた。



 しかし村山内閣ができると、これまでの党是であった「自衛隊違憲論」を撤回し、
反対していた「消費税を容認」するなど迷走し、多くの支持者が去っていった。


 現在、後継の社民党衆議院参議院で計しかいない。
 2017年9月現在
 社会党には多くの議員や多くの支持者がいた。そして多くの大学教授や評論家、ジャーナリストなども支持していた。


彼らは政治的に敗北したのである。


 誰が何と言おうと完膚なきまでに、自民党に敗北したのである。
社会党としては悔しいし、残念だろうが、事実なのである。


 そういった政治的な不遇、不満は何かで解消したい。
それが「反日行動」に走らせている一因である。


 そして自分たちを負かした自民党(政権)を叩いてくれる存在(中国・韓国)は、
政治的不遇を解消するありがたい存在なのである。


 自民党=日本政府なので、日本政府を叩くこと、
そしてその日本政府を支持している日本人を叩くことで、自己の留飲を下げているのである。




 確かにリベラルはそうかもしれない。例えば福島瑞穂氏はそうだろう。
しかし政治的不遇とは無縁の「村山元首相」や「河野洋平氏」は
どうして反日行動を起こすのか?と疑問に思うかもしれない。


しかし両者も政治的に不遇だったのである。



確かに社会党出身者でありながら、総理大臣にまでなった村山氏は不遇とは思えないだろう。
しかしそうでもないのである。村山氏はそこで「自衛隊」と「消費税」を容認してしまうのである。


 それ以降社会党=現在の社民党は凋落の一途を辿った。社会党滅亡のA級戦犯と主張する論者もいるのである。




 河野氏に関しても、将来の首相候補と言われていた。
彼が国会議員になったのは30歳のころ、
河野一郎の息子として、知名度もあり、党内の支持者も多かった。
1974年には総裁候補の担ごうという動きまであった。
まだ3回生で議員歴7年の37歳に対してである。


 今でいうと小泉進次郎議員と同じような立場であった。


 しかし新自由クラブを作り、自民党を下野した時からおかしくなり、
最大派閥の田中派の怒りを買った。

約10年後には自民党に出戻りし、不遇の時代を過ごす。
最近の谷垣氏まで、河野洋平氏は唯一、自民党総裁でありながら、
総理大臣になれないという不遇を味わった。


 河野氏や村山氏の場合は「贖罪意識」や「惰性」というのもあるかもしれないが、
政治的不遇を晴らすためという側面も見逃せない。
そういうと「野中広務」「古賀誠」「加藤紘一」「鳩山由紀夫」「菅直人」といった顔触れは
みんな政治的不遇を囲っているのである。


 政治的不遇という言葉をもう少し噛み砕いていうと、
「日本人に相手にされていない」ということである。
だから反日行動をすると「韓国人」や「中国人」が相手にしてくれる。
だから彼らの望むような行動をとることで彼らの歓心を買おうとするのである




 よくリベラルの人は嫌韓行動を

「実生活の不満を嫌韓行動で憂さ晴らししている。」
といった主旨の批判をしている。


 確かのそういった人もいるだろう。

 しかしこれはむしろリベラルの人たち、良心的日本人の人たちにこそ当てはまるのだ。


 良心的日本人こそ、自分たちの政治的不遇(=嫌いな政権ができる等)を解消するためにやっているのである。


 そして自分たちの政治的主張が受け入れられない日本を叩くことで楽しんでいるのだ。



実は「面白い」というのはもう一つ意味がある。それは世代間闘争である。






4-2.親の世代を叩く面白さ


世代間闘争とは何か?

 簡単に言うと、「親の世代を叩くことの面白さ」である。


 我々にはいつの時代も世代間で意見の相違がある。
昔の洞窟にも「最近の若い者は!」という文字が彫ってあったし、
若者は「今の大人はダメだ」と思っている。
このように各世代で意見の相違があるのである。そしてこれは自然のことなのだ。


 親の世代は「最近の若い者は」と言い、若者は「大人は汚い」という。
いつの時代にも引き継がれてきた「古い闘争」である。
明治維新大正デモクラシーも226事件も60年安保も
1968年~70年の学生運動もある面で見れば世代間闘争である。
古い時代と新しい時代とのせめぎあいである。


そして必ずしも新しい世代が勝つわけではない。


明治維新大正デモクラシーは若い世代が勝ったかもしれないが、
226事件や60年安保、学生運動は若い世代が敗れたのである。


 そして若い世代にとって、一方的に大人の世代を叩くことができた世代がある。

 それが終戦である。


 終戦当時、それまで威張り腐っていた大人たちは敗北にひしがれた。
特に軍人たちや軍国主義を煽っていた輩は発言権を失った。
終戦当時の大人の世代は多かれ少なかれ、戦争の遂行に協力していた。


 それに対して当時の子供たちに責任はない。
彼らの中には軍国少年も多々いたと思うが、
それも子供なのだから責任を問われるものではない。
そしてなおのこと、空襲被害にはあっている。
つまり彼らは軍国主義の被害者という立場でもあったのである。



 軍国主義の被害にあい、そしてその当時の大人の世代を一方的にたたく権利を得た世代は、
大体1930年代以降の生まれの人たちである。
彼らは自分たちが被害者であり、なおかつ大人たちを一方的に断罪する権利を得たのだ。

例えば河野洋平(1937年)、加藤紘一(1939年)、愛川欽也(1934年)、
菅原文太(1933年)、大江健三郎(1935年)、雁屋哲(1941年) などである。


 もちろん村山富市(1924年)のような例外もいるが、
村山元首相はこの時代の大学生としては珍しく、戦場に行っていない。
徴兵されただけで終わっているのだ。そういう面で、「手を汚していない」人であり、
軍国主義に対して身綺麗であるといえるだろう。

 同様な例は渡辺恒雄(1926年生まれ)にも言える。
彼が徴兵されたのは終戦の1ヵ月前である。


 つまりこれらの人たちは戦後、大人の世代に対して精神的優位に立ったのである。
何か批判されても「お前らは戦争を起こした」と言えば、相手は黙ったのである。


 これは快感だっただろう!


 自分たちよりはるかに年配で、経験豊富の人を「たったの一言で黙らせる」ことができたのだ。


 非常に「面白かった」と思う



 戦後時の若い世代、もしくはその後の若い世代にとって、
大人を黙らせる言葉、「戦争を起こした」というキーワードは
何ものにも代えがたい価値を生み出したのである。


 そしてその成功体験を後押ししてくれるのが中国韓国なのである。


 かつての「被害国?」が現在でも声高に叫んでくれる。
「謝罪しろ」「賠償しろ」とその言葉を聞くたびに、
戦後のミラクルワード「戦争を起こしやがって」という言葉は魅力を増すのである。


「日本は歴史を反省しろ」

「ほら被害国があんなに批判しているぞ。もっと謝罪しろ」


こうやって「一歩的な勝利」をした瞬間を思い出してホルホルしているのである。


 しかし最近段々その神通力が落ちてきた。だから余計に被害国?に傾倒するのである。



 「良心的日本人」の行っていること、それは…


 世代間闘争に勝利したミラクルワードを色あせたくないのである。
そのためには被害国?がいつまでも日本を批判してくれないと困るのである。


 中国と韓国が日本を批判する時、

 良心的日本人は昔の勝利を思い出して噛み締めているのである。


 あの時は「大人を批判して面白かった」……と。






5.贖罪意識の解消

 贖罪とは「罪の償うこと」である。
それは善行を積むことや、金品を提供することで、
罪の許しを得ることである。


 つまり「負い目」を持っている状態、意識があり、
それを色々な行動において解消したいのである。
相手に対して「借りのある状態」「迷惑をかけた経験」等が
「負い目」という意識につながる。こういった状態には「人は耐えられない」のである。


 何とか解消したい。それが贖罪意識を生むのだ。



 この贖罪意識を生み出しているのが、日本が戦後行った「自虐教育」である。
つまり自国を必要以上に悪く言う教育である。


 本来なら、自国が行った「悪いこと」を批判的に教えることは当然であるが、
良いことをやったらそれも教えればよい。


 しかし戦後の日本教育は「悪いことしか」教えない教育なのである。


 「日本は戦前悪いことをした」というと問題ないが、
「日本は良いこともやった」というと反発される世の中なのである。

1995年、当時の総務庁長官 江藤隆美氏がオフレコで
「日本は良いこともやった」といったら、大臣を辞めさせられた。

 これなどは自虐教育の最たるものであり、
韓国や中国への迎合以外何ものでもない。


 なぜ日本は自虐教育を行ってきたのかというと、
それが国民の支持があったからだと筆者は思う。


 「GHQの洗脳が」とか「日教組の教育が」とか色々あるであろうが、
結局戦後の日本では国民がそういう傾向だったのである。


 つまり「戦後は二度と戦争を起こさない」ということが、
戦前と逆に集団ヒステリー状態になったのである。
戦前の「軍国主義」大合唱が、戦後は「非軍事」大合唱につながったのである。


 そういう中で戦後の日本国民の意識は「戦前の日本の否定」から
「戦前の植民地や占領地への同情」にシフトしていったのである。
そして過度に韓国や中国に迎合する心理になるのである。


つまり「戦前の否定」から「被害国?への同情」を生み、
「過剰な贖罪意識」を生む。その「贖罪意識を解消する」ため、「積極的に迎合」する。


 これが日本人の大多数に起きていたのだ。


 そして大多数の人が「過剰な贖罪意識」に感染することで、
韓国や中国が反対する行動をとる人(=例えば、靖国参拝を行う議員等)に、
過度に攻撃的に出るのである。





6.惰性への迎合

 先程の贖罪意識と被る部分もあるが、惰性と言うのも見逃せない。


 「惰性」と言うのは、元々物理学の用語だが、ここでは世間の風潮に迎合することをいう。
世間が右なら右、左なら左と言うようにこれまでの流れに沿って行動することだ。


 戦後の日本は戦前を否定する風潮が強かった。そして戦前の否定から韓国には迎合する傾向があった。


 つまり日本は悪かった


 と言えば、何でも通ったのである。


 戦後の日本では日本は韓国に良いこともやったと言えば、
世間に叩かれて大臣であってもクビになった。
つまり今風の言い方で言うと戦前の日本を肯定する言説は委縮していたのだ。


 こういった状況で生まれるのが惰性である。


 つまり日本を肯定する意見をいうことは躊躇い、
日韓関係のことを言われるととにかく日本が悪いと言っていれば良いのだ。
 

 これは特に番組のコメンテーターなどに多く見られた傾向である。
今から考えると非常におかしなことでも、こと歴史問題になると、
韓国に迎合する風潮が見られたのだ。


例えば25年ほど前には在日コリアンが強制連行された子孫だというのは、
普通にテレビで発言されていた。これも惰性の一形態であろう。






7.まとめ

 上記の3点を繰り返すと以下のようになる。

(1) 日本を叩くことが面白い。
・保守派を叩くのが面白い
・親の世代を叩くのが面白い
(2)過剰な贖罪意識を解消するため
(3)昔からの惰性で。

 と言うことになる。



 こういった動機によって、日本人でありながら、
積極的に韓国人に迎合する良心的日本人が跳梁跋扈することになるのだ。



 ここで注目してもらいたいのは、上記3つの理由はすべて個人的なことなのである。
面白いも「贖罪意識の解消」も個人の満足のために活動しているのだ。


 冒頭で、良心的日本人の言い訳を記載しておいた。
彼らは日本のために、日韓友好のためにあえて苦言を呈していると主張する。


 しかしここまで見ればわかるように、

 それは大嘘なのだ。



 彼ら良心的日本人は個人の欲求を満たすためにやっているのだ。
それが韓国の尻馬に乗って日本批判する楽しさ」なのか
「自分の苦しい胸の内の贖罪意識を解消するためか」何かは知らないが、
個人的な欲求のためにやっているのだ。


 特に最近は日本のリベラルは民主党政権が全然ダメで政権交代の機運すら生まれない。
そういう状況は望ましくないのだ。


 だから声高に日本を批判してくれる韓国に迎合して、その尻馬に乗って日本叩きをすることで憂さを晴らしているのだ。



 良心的日本人にとって、韓国寄りのスタンスをとるのは必然である。

 その目的は自分の憂さを晴らすためである