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えっ?A級戦犯が世界の称賛の的?日本の国連加盟!


A級戦犯は批判されていたのか?
・実際のA級戦犯の対応はこうだ
国連加盟時には全加盟国が反対しなかった。

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日本の首相がA級戦犯の合祀された靖国神社に参拝するのはけしからん。
A級戦犯侵略戦争の指導者であり、
そこに日本の首相が参拝することは被害国に理解されるはずがない。
そんなことをしているから日本は周辺国と関係改善ができないのだ。




今回はA級戦犯が本当に国際的に、特にアジア諸国で批判されてきたのか
ということを取り上げてみたいと思う。


例えば靖国神社に参拝することを反対していた韓国の金大中氏大統領は
A級戦犯の合祀がなければ自分も参拝したいと主張していた。


 実際に日本と闘った連合国やアジアの人々も
A級戦犯を毛嫌いしていたのであろうか?







国連加盟の代表へ



A級戦犯の一人、重光葵のケースを見てみよう。

1954-56年の鳩山一郎内閣でずっと外務大臣を務めていた。
その間多くの元連合国やアジア各国の要人と会談していた。


しかし全く問題にならなかった。



例えば中国の要人周恩来外務大臣 重光葵の来訪を心待ちにしていた。

周恩来氏「鳩山、重光両氏の来訪待つ」日本ジャーナリスト会議代表に

  1956年7月17日 朝日新聞2面



 このような中、日本は国連加盟を行う。
当時は日本の加盟に反対していたソ連と関係改善を行い、国連加盟に対して障害がなくなっていた。

 その国連加盟の代表に、日本は現役外務大臣重光葵を派遣したのだ。



日本の国連加盟は1956年12月である



 つまり戦争終結から11年しかたっていないのである。
当然、各国には日本と闘った時代を良く知っている人たちがたくさんいただろう。
日本と闘った兵士、外交官、被害にあった一般人。こういった人たちが大量に生きていたのである。


 調べてはいないが、当時の国連関係者の中にも日本軍の被害者やその知人がいることは容易に想像がつく。
そういう状況の中でA級戦犯重光葵が代表として国連加盟を訴えたのである。


 当然各国から非難轟々の嵐が吹き荒れたのだろう。


 後世の我々から見ると、そう思うかもしれない。しかしそんなことはなかったのである。


それどころか称賛の嵐だった。






称賛される元A級戦犯


日本は80か国目の国連加盟国である。故にそれまで79ヵ国が加盟していた。
そこでどうなったか?

賛成77票 反対0票 棄権2票


圧倒的多数で可決されたのである
(因みに棄権の2票はアジアではなく、南アフリカハンガリー)。


日本の国連加盟の提案はペルーが提案していた。
しかし共同提案国が徐々に増えていって最終的に共同提案国51ヵ国になった。

その中にはアメリカ、中国(国府)、イギリス、フランス、ソ連常任理事国5ヵ国と
インド、インドネシア、フィリピン、タイ、ビルマカンボジア、セイロン(スリランカ)といったアジア諸国
さらにカナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった東京裁判の参加国も入っている。


特にアジアはマレーシアやシンガポールベトナム等がまだ国連に加盟していないので、
それを除くと、日本と戦争中関係のあったほぼすべての国が「共同提案国」になっている。



 A級戦犯の代表になっている日本の加盟をアジア各国が認めているのだ。

 これでどうしてA級戦犯の合祀された靖国神社に参拝することは
アジアを傷つけるといえるのか?


 それに中国(共産党)も重光外相の来訪を望んでいたし、
韓国も何度も重光外相と会談を行っている。


つまりA級戦犯云々はのちの世代が作ったなのである。


加盟が決まった直後の重光氏への様子を当時の朝日新聞はこう伝える。

国連の:引用者注)正副議長から祝辞。タイ(ワン議長)、中国(蒋副議長)。
 インド(メノン代表)駆け寄って握手。  12月19日1面

 握手攻めの重光代表。和やかな気分ただよう!  19日夕刊3面

とてもA級戦犯に対する扱いとは思えない。



その後、重光氏は突然の死を迎える。朝日新聞の1957年1月26日1面にはこうある。

 重光氏死去。1月26日 午前0時25分

そして1月29日 朝日新聞1面はこう伝える。

 故重光前外相に黙とう。国連総会 全代表が1分間。

A級戦犯云々は後世のねつ造である。
そうでなければどうして日本とったかった連合国側が「黙とう」を捧げるのだ。


われわれは、中韓の言う歴史“認識”ではなく、正しい歴史的事実を知らねばならない。