韓国の反日は差別だ!

韓国への反論をするための方法を提供

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韓国の反日政策の本質は「パンとサーカスの政治」である。


「パンとサーカス」について



文藝春秋1975年2月号に「日本の自殺」という論文が発表された。
これを執筆したのは「グループ一九八四年」と名乗るグループだった。

「グループ一九八四年」は現在でもハッキリとは分からないが、
中心メンバーは香山健一氏(元学習院大学教授)であることは確からしい。

香山健一氏について


「グループ一九八四年」について
 上の参照では「1984」と算用数字だが、文藝春秋の元論文では漢数字なのでここではそのまま記す。



この論文は、「日本の自殺」という名の通り、高度経済成長を遂げ、
繁栄を謳歌する日本に迫る内部崩壊の危機に警鐘を鳴らしたものであるが、
2012年(当時の民主党政権)の政治状況を鑑み、
2012年3月号の文藝春秋に再掲載されたものである。



内容は、

ローマは外からの攻撃で没落したのではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅した。

というものである。


その理由は、
1.ローマは巨大な富を集中して繁栄を謳歌していた。
2.ローマ帝国各地から人口が流入し、適正規模を越えて膨張した。
3.ローマ市民は1世紀以上にわたるポエニ戦争によって経済的に没落する。
そういう状況で政治家や金持ちに「パン」を要求する。


こうして働かなくても食べられるようになった市民は暇を持て余すようになる。
そうすると政治に口出しするようになるので、目を逸らすためにレジャーを必要とする。

これがサーカスである。



韓国の戦後直後は大変な状況だった。


韓国の場合はローマと違い、国が貧しい。
韓国は戦後、3年間のアメリカ軍政(1945~48)であったが、
実は食料事情は日本の統治時代より悪化していた。


日本の統治時代は1人当たり茶碗で2杯分の食料だったのが、半分になっている。
また1946年にはコレラが発生し、多くの死者が出た。
そのため一時日本から帰った在日コリアンが再度日本に密航する状態にもなっていた。


また政治的混乱は目も当てられなかった。

南と北で別れただけではなく、南でも南朝鮮労働党などの共産勢力が幅を利かせ、
民族主義的な勢力も国内組や海外組の勢力によって勢力争いが活発であった。


その中では暗殺も多く発生していた。

例えば、
宋鎮禹(ソン=ジウ)

呂運亨(ヨ=ウニョン)

金九(キム=グ)


彼ら独立運動家は日本の統治時代は刑務所に入ることはあっても、
朝鮮総督府に殺されることはほとんどなかった(抵抗した場合は除く)。

そのため独立運動家の多くは、
独立が成し遂げられた後で同じ民族によって粛清されているのである。


こういう状況であったため、当時の李承晩政権は国民の目を逸らし
また自らの政治的正統性をアピールする必要もあった。


そのための格好なネタが反日だった。
反日を煽り、苦しい生活から国民の目を逸らさせる必要があったのだ。


国民の目から政治的失態と正統性を逸らす
「サーカス」こそが「反日」だったのである。


結局、李承晩は1960年に国民により失脚した。

しかしその後も反日だけは韓国に根付いていくことになる。


韓国国民の娯楽(サーカス)として。