「小松川事件」って知ってますか?
・1958年の在日の犯罪「小松川事件」
・日本人が率先して除名嘆願をしていた
・在日コリアンは積極的ではなかった。
◎小松川事件
小松川事件をご存じだろうか?
小松川事件は別名「小松川女子高生殺人事件」といい、
1958年8月17日、東京都江戸川区の小松川で
当時都立小松川高校に通っていた太田芳江さん(16)が襲われ、殺害された事件である。
のちに犯人として同学校の1年生で、
在日コリアンの李珍宇(18)が捕まった(但し被害者との面識はなし)。
その後の調べで、同年4月にも同様の事件を起こしていたことが発覚し、
2件の強姦殺人事件の犯人として起訴された。
李珍宇の裁判は早いペースで進んだ。
翌年1959年2月には東京地裁判決、同年12月には東京高裁判決が出た。
いずれも死刑判決である。
◎日本人の助命嘆願運動!
ここで日本人の間から「助命嘆願運動」が起きた。
その経緯は、李珍宇被告の話を聞いた朝鮮史を専攻する旗田巍氏が大勢の識者に協力を仰いだ。
その中には大岡昇平氏や木下順二氏、吉川英治氏、渡辺一夫氏などそうそうたる顔触れが名を連ねている。
この部分を「人権の思想 戦後日本思想大系2」の
金達寿“「小松川事件」の内と外”のP271から抜粋すると、
~略~
それにたいして、都立大教授旗田巍氏らによる被告の「助命嘆願運動」がおこったことを、私は知った。
これには、前記の朝鮮人学生たちも、控え目に加わってはいたが、これは、どちらかというと、
日本の文化人や学生たちが中心となっているもので、
ここから、 ~略~ 「李少年をたすける会」が生まれた。 ~略~
在日コリアンよりも、日本の文化人の方が中心になって参加している。
それも2名の若い女性を強姦殺人した在日コリアンの助命を…である。
どうしてこんな犯人を「たすける」ことに熱心になるのであろうか?
そして…もしこの犯人が日本人だったら、
大岡昇平氏や木下順二氏は立ち上がったのであろうか?
この会の「主旨」説明によると「助命」の理由は以下の4点である。
1. 李少年は心より悔悟している。
2. 李少年は犯行当時未成年であった。
3. 李少年は在日朝鮮人である。
4. 被害者の家族も寛大な措置を望み、世間的にも多様な意見がある。
ここでは「3.李少年は在日朝鮮人」の中に以下の記述がある。
~略~
私ども日本人としては、過去における日本と朝鮮との不幸な歴史に目をおおうことはできません。
李少年の事件は、この不幸な歴史と深いつながりのある問題であります。
この事件を通して、私たちは、日本人と朝鮮人とのあいだの傷の深さを知り、
日本人としての責任を考えたいと思います。 ~略~
事件は不幸な歴史とつながりのある?????
日本人としての責任??????
何を言っているんだ?
「日本と朝鮮との不幸な歴史」とやらが例え事実であっても、
だから若い女性を強姦殺人する理由になるのか?
そしてどうして「日本人として責任」があるのか?
まさか李珍宇被告が貧しい家の出身だから犯罪に走った。
それは日本人の責任だ。とか言うのか?
でも貧しい家に生まれた日本人でも朝鮮人でもほとんど殺人事件など犯さないだろう。
彼は完全に李珍宇自身の責任である。極刑でもやむを得ない。
◎在日コリアンの行動!
金達寿という作家がいた。
金氏は在日1世で、生まれは1920年朝鮮半島慶尚南道の出身。10歳で日本に渡った。詳細は以下参照。
その金達寿氏が、小松川事件について書いている。時期は1961年であるから最高裁判決が出る前後だと思う。
当時の金氏は以下のように反応したと記している。
~略~
このいわゆる「小松川事件」がおこったとき、 ~略~ その犯人が朝鮮人であったことで、
「ああ、またかー」という暗い気分、というよりは焦燥の方がさきに立って、
むしろそれからは目をそむけるようにしたものである。 ~略~
「人権の思想 戦後日本思想大系2」 金達寿“「小松川事件」の内と外” P268
※赤字は筆者
上記のように金氏は小松川事件から目をそむけてできる限り関わらなくしていた。
そして他の在日コリアンの反応は
~略~
私のこの「ああ、またかー」という焦燥は、ひるがえってはまた、私のそれとおなじ体験を強いられている、
在日朝鮮人自身にたいする焦燥となる。特に若い世代、彼らはかつて私がそうであったように、
虚空に向かってするようなむなしい弁明を、その心につぶやきつづけているであろう。
たとえば、ここにいう「小松川事件」の、これら在日朝鮮人の若い世代にあたえたショックというものは、
それは、一般の日本人にはとうてい推しはかることもできないほど強いものであった。 ~略~
「人権の思想 戦後日本思想大系2」 金達寿“「小松川事件」の内と外” P269
※赤字は筆者
~略~
事件のひきおこしたショックは、また別なかたちでもひろがりはじめた。
それは東大や都立大に在学する朝鮮人学生たちを中心としたもので、
彼らは、そのショックから、この日本のなかで孤立している
朝鮮人少年・少女たちを訪ねてはセッツル活動をおこなったり、
また、被害者である田中せつ子さんの家や太田芳江さんの家を訪ねたりしていた。 ~略~
「人権の思想 戦後日本思想大系2」 金達寿“「小松川事件」の内と外” P271
※赤字は筆者
~略~
特に若いコリアンは、金氏と同様に「焦燥」を感じ、
「ショック」を受けながらも被害者宅を訪問する等の行動を行っている。
そこには「植民地支配への責任転嫁」的な考えは微塵も感じられない。 ~略~
このように見てみると、在日コリアンは被害者意識ではなく、
むしろ贖罪意識にまみれているとさえ言えよう。
因みにセッツル活動とは、大学生の貧民救済活動のことである。詳しくは以下参照。
そしてコリアンは、犯人の李珍宇に対する助命運動でもあまり積極的ではなく、
控え目に参加しているのであり、むしろ日本人の方が積極的に参加している。
~略~
それにたいして、都立大教授旗田巍氏らによる被告の「助命嘆願運動」がおこったことを、私は知った。
これには、前記の朝鮮人学生たちも、控え目に加わってはいたが、
これは、どちらかというと、日本の文化人や学生たちが中心となっているもので、 ~略~
このように小松川事件ではコリアンより、
良心的日本人の方がよっぽど活発に活動しており、
コリアン特有の「植民地支配にかこつけて」日本批判に転換することはしていないのである。
まあ事件が事件だから…
では最近の状況はどうか?
最近では「小松川事件」に言及する記事
そのものが少なくなっていたので比較できないと思っていたが、
最近、在日コリアンで「小松川事件」への言及した本があった。
それは徐京植氏の評論集「植民地主義の暴力」である。
(この評論集が出たのは2010年であるが、「小松川事件」の部分は2005年に書かれている。)
そこにはこう書いてある。
野崎六助は「二件の強姦殺人において、一件は強姦及び殺人ともどもについて、
一件は強姦について、それぞれ無実は確信される。一件の殺人についてのみ確信が欠ける」と述べている。
~略~ かりにそうだとすれば、 ~略~ 死刑判決はありえなかったであろう。ここに伺えるのは、 ~略~ わかりやすいストーリーに何が何でも当てはめよう、
厄介なことにならないうちにさっさと片付けてしまおうという権力の強固な意志である。
確かに野崎六助は「李珍宇ノオト」の中で「無実を確信している」と書いているが、
ほとんど根拠らしい根拠を書いていない。
それを根拠に在日コリアンの強姦殺人を「権力の意志」に捻じ曲げるとは困ったものである。
またこうとも書いている
日本政府が当時、北朝鮮への帰還事業を推進していたことを根拠に
>>
日本人マジョリティの心理は、自らの国家が行なった植民地支配の反省、
戦後処理の過程で在日朝鮮人に加えられた理不尽な権利剥奪への批判に向かうのではなく、
厄介払いの方向へと向かったのであろう。