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1921年 日本人16人を死傷させた朝鮮人 李判能事件

関東大震災の2年前に起こった事件
日本人16人を死傷させた朝鮮人 李判能事件


<ポイント>
関東大震災時の朝鮮人虐殺のキッカケ
李判能事件を知っているか?
・日本人16人を死傷した朝鮮人


文字数:4,985文字
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関東大震災朝鮮人虐殺のキッカケ「李判能事件」


1923年9月1日 東京を巨大地震が襲った。関東大震災である。
この地震では多くの被害が出たが、
それにもまして恐ろしかったのは行政機関が一時的にマヒしたことだ。
そのため治安が一時的に乱れることになった。


この時に起きたのが朝鮮人虐殺である。


これは治安秩序が乱れた中で、「朝鮮人が犯罪行為をしている」という噂が立ち、
それに対して民衆が作った自警団が暴走して、朝鮮人を殺害したという事件だ。


この被害者について韓国方面からは約6千人が殺されたという説があるが、
これは多すぎるだろう。しかし数百人規模にはなるというのが実情のようだ。


巷ではこの朝鮮人虐殺はデマであるという説もあるが、これは反日メディアだけではなく、
当時の資料にも、目撃者の証言にも書いてある、間違いのない事実である。
韓国方面が約6千人の被害者というのと同様に、
虐殺自体が無かったというのは悪質なデマとしか言いようがない。



しかしこの事件を巡っては現代においても釈然としないものがある。


というのはどうしてこのような事件が起きたのかということを指摘するのではなく、
ただ単に「日本が悪い」という文脈“のみ”で使われているように思うからだ。


その証拠に「朝鮮人虐殺」を否定する言説には一部新聞社が社説を使ってまで攻撃するのに、
そのキッカケになったと思われる事件には、ほとんど言及しないからだ。
むしろそういう事件には目を背けようとしているようにさえ思う。


そこで今回日本人が朝鮮人に対して警戒するキッカケとなった
16人もの日本人を死傷した事件「李判能事件」について記す。





関東大震災前夜の朝鮮人の状況!

1910年、日本は朝鮮半島を併合した。
これによって日本と朝鮮半島は同じ国となり、
そのため朝鮮人は大挙して来日することになる。


現在のアメリトランプ大統領やEUの極右政党ではないが、
外国人(法的には外国人ではない)が大量に増加することは、
そこに元から住んでいた人に警戒感を引起す。
当時日本で起きていることも同じだった。



日本に来日した朝鮮人が急増したことで、日本人の中に警戒感が起こっていた。
その数は関東大震災の直前の10年間で20倍(3,635→80,415)
にもなる急増ぶりを示している。

<参考:日本国内における在日朝鮮人数>
     (在日朝鮮人数) (増減)
 1913年   3,635人
   14年   3,542人(   ▲93)
   15年   3,917人(   375)
   16年   5,624人( 1,707)
   17年  14,502人( 8,878)
   18年  22,411人( 7,909)
   19年  26,605人( 4,194)
   20年  30,189人( 3,584)
   21年  38,651人( 8,462)
   22年  59,722人(21,071)
   23年  80,415人(20,693)
   24年 118,152人(37,737)
   25年 129,870人(11,718)
   26年 148,015人(18,145) 



さらに朝鮮人を警戒する2つの理由があった。
1つは彼らの犯罪数の多さだ。もう一つは彼らが定住しなかったことだ。


彼らの犯罪数と言っても殺人などではなく、窃盗が多い。
彼らは日本に来ても仕事がないケースもあり、
食うや食わずの身で犯罪に手を染めることもある。


それからもう一つの定住者が少ないというのはどういうことかというと、
彼ら朝鮮人朝鮮半島から日本に来たばかりだった。
そこで良い職場があればすぐに異動する。
彼らは定住する場所がまだできていないため、そういうことができるのだが、
日本人からすると、隣に得体のしれない人物が住み着くことになるので、警戒感が高まった。


そこで関東大震災の2年前、朝鮮人が起こした犯罪が李判能事件だった。





李判能事件!


関東大震災が起きた時の警視総監は赤池濃であったが、
彼によると朝鮮人虐殺が起きた背景として、この李判能事件があるという

 東京人は李判能が卒然兇器を揮て十六人を惨殺せることを想起する。
之が為めに朝鮮人と云えば無性に恐怖するのである。

赤字は筆者


 この李判能事件は、朝鮮人李判能が凶器をもって、
16人を死傷(8人殺害、8人ケガ)させた事件である。


 では李判能事件とはどういう事件か?


 1921年6月3日午前0時10分ごろ、
市電の運転手をしている朝鮮人李判能(35)が突然、
同居していた日本人家族4人(夫32、妻30、長男9、次男5)を金鎚と短刀で惨殺した。


 李はそれだけでは納まらず、会社の上司宅に行き、上司を殺害することを決意。
それを自分の妻に止められたことから、妻(27)を金鎚で頭部を叩き、短刀で刺した。


 上司宅に向かう途中に、通行人(43)を襲い、大けがをさせた。
 さらに上司宅では上司と妻(37)を惨殺、
一緒にいた次男(6)、三男(3)も殺し、長男(10)は大けがをした。


 その後一時自宅へ引き返した。
 自宅では瀕死の重傷を負っていた自分の妻を再度刺し、「まだ殺す奴がある」と再び飛び出し、
その途中で通行中のS(52)とM(19)を襲撃して重傷を負わせた。
 この時の「殺す奴」とは結局不明である。


 Mは驚いて、近くの自宅に逃げ込んだが、
李はこれを追ってM家に乱入、父親(58)が取り押さえようとすると、
父親を殴りつけ重傷を負わせて家から飛び出した。


 その後も通行中の2名に重傷を負わせるなど凶行は続いた。


 この事件を聞きつけた警察官が駆け付けると、李は慌てて逃げだした。
そして警察官が追いかけるが、もう少しというところで市電の線路に足をとられて転倒をした。
したたか腰を打って立ち上がれないのを見ると、李は戻ってきて警察官を襲撃した。


 李は警察官の頭部をめがけて金鎚を振り下ろしたが、警察官は頭を避け、肩に一撃を喰らった。
肩甲骨を砕かれながらも警察官は李を投げ飛ばし、立ち上がると抜刀して
「手向かうと切り殺すぞ」と叫ぶと、李は気迫に押されて、凶器を捨てて御用となった。


 これが李判能事件のあらましである






なぜ事件は起きたのか?


 ところでこのような凶行に及んだ李判能はどのような精神状態だったのか。
李の行動から正常ではないと思われたが、彼は正常であった
 現在のような精神鑑定はもちろん行われなかったが、
裁判中も何らおかしなところはなかった。


 先程書いたように李は市電の運転手だった。そして殺された日本人も職場の同僚だった。
この2人が同居したキッカケは、家賃が高かったために、同居して分担するためだった。
お互いに一つ屋根の下で生活することで、生活費を節約しようということになった。


元々住んでいたのは李で、日本人家族は李に誘われて同居している。
同居を始めたのは事件の2か月前からだ。もちろんお互いに顔見知りであるし、
仕事関係とは言え付き合いもある。
このような理由から、職場関係としては元々朝鮮人の李と
殺された日本人の間では問題が無かった


 しかし家族同士で住みつくと、色々なトラブルが起きた。
特に民族が違う2家族が同じ屋根の下で暮らすと問題も大きくなった。
 最初関係が悪化したのは妻同士だった。
共同生活が始まって1カ月もたつと些細なことから反目するようになり、
トラブルも続出した。


 そして事件のキッカケとなる事柄が起きる。


 5月29日、李の妻が、手拭いが無くなったと言い出したのだ。
それもあたかも日本人妻が盗んだような口ぶりでわめきだしたのだ。
 日本人妻も黙っておらず、言い合って喧嘩となり、双方ともに口汚く罵り合った。
ついに両方の夫が大立ち回りを演じるほどになった。


 この時は近所の人が仲裁に入り、何とか納まったが、翌日もその次も言い合いを続け、
31日には李が同僚を泥棒呼ばわりするようになった。
そこでまた立ち回ったことで、李は同僚を警察に告訴した。容疑は窃盗と傷害である。


しかし警察が調べたところ李の申告場所に外傷が無かった。
そのため傷害事件としては立件ができない旨伝えた。
なおかつ手拭いの窃盗も確たる証拠がない。
それに古手拭い一本で家宅捜索をする訳にもいかず、結局、李をなだめて帰した。


それに対して李は

俺が朝鮮人だから、警察は日本人の肩を持った

と逆恨みをした。そして復讐することを考えた。


一方このことを伝え聞いた市電の職場上司は関係を仲裁しようと動いた。
両者を仲直りさせるべく6月2日の夜に2人を呼んで説諭した上、
酒を3人で飲んでケリをつけた。


ハズだった!



しかし李判能はそう考えていなかった


その夜に自宅に帰った李は冷酒を飲みながら、だんだん腹を立てていた。
妻の酌で飲んでいた李。酔いが回るに従って興奮していった彼は、
感情が高ぶるのを抑えられなくなっていった。
そして金鎚と短刀を持ち出して、妻が止めるのも聞かずに
隣室に飛び込んで日本人家族を襲撃したのだった。




キッカケになったのは古手拭い一本。
しかし同居して2カ月でそこまで関係が悪化するとは信じがたい。

裁判で李判能はこう言っている。

内地人は皆自分達を馬鹿にしている。
頼りに思う警察までも、訴えても受け付けなかった。
自分たち朝鮮人は、この世では誰にも頼ることができない。
地獄に行って仏に頼るより仕方がない。
この期に及んでは恨みになる奴を殺して、自分も死ぬつもりだった。

と声を震わして号泣した。


李は酒を飲んで発作的に犯行をしたのではなく、
犯行をするために酒を飲んだことを裁判で認めた。つまり確信犯だったのだ。


因みにこれだけの犯罪を実行した李判能は、裁判では死刑にならず、無期懲役になった。
身勝手な理由で職場の同僚を逆恨みし、罪のない子供まで惨殺し、
さらに見ず知らずの通行人までも襲撃してけがをさせた李に対しても、
当時は死刑にならなかったのだ。




知られていない李判能事件!


 この事件の影響は警視総監赤池濃によると絶大だったようだ。
これにより、朝鮮人への恐怖が日本人に植え付けられた。


先に書いた、朝鮮人が急激に増加していること、
その朝鮮人の犯罪数が多かった(但し窃盗が多い)こと、さらに定住せず移動が多く、
日本人とのコミュニケーションが少なかったことなどが重なり、
得体のしれないというイメージが蔓延し、この事件がダメ押しになった。


この事件は当時の豊多摩郡で起きた。
豊多摩郡とは現在の東京都渋谷区や新宿区、杉並区などにあたる場所で、
そういう意味では東京近辺に住む人に大いなるショックを与えた。



筆者は李判能事件をもって、「関東大震災における朝鮮人虐殺」を
肯定しようとも正当化しようとも思わない


しかしこのような事件があったことを
ほとんどの日本人は知らない


それでは結局、朝鮮人虐殺事件が起きた背景や
当時の日本人の恐怖心が理解できないだろう。
ましてや巨大地震により、突然行政機関が無くなり、治安が維持できなくなった時、
当時の日本人がどのような気持ちだったのかを理解することはできない。


戦後の日本では戦前の否定をすることが正しかった。
つまり理由はともあれ、「日本が悪かった」ということだけを言っていれば良かった。


それ故に当時の被害者?である朝鮮人や中国人を「過度に持ち上げる癖」がある。
日韓や日中で歴史問題が起きた時に、積極的に日本否定をする風潮がある。


李判能事件を取り上げることは朝鮮人への批判につながり、
ひいては「日本が悪い」という戦後日本の風潮に逆行する報道となる。
それはむしろ積極的に「日本が悪い」という報道を続けてきた
マスメディアにとって都合が悪いからなのかもしれない。


日本を否定すること、それが正しいのだ!



しかしそれは韓国や中国への迎合する心理を生む。
とにかく日本を否定して、中韓を持ち上げればいい、という安易な考えになる。
この両者がトラブルになると、日本を否定し、
韓国や中国に迎合する報道が続くのはその一環である。
これこそが一般的に反日と言われるものではないのか?


歴史の学ぶためには、正しい事実を知らなければならない。
しかし「日本下げ」を企図している人は、日本を殊更否定する“事実”のみを繰り返し提示して、
そうじゃない事実(例えば李判能事件のようなコリアンにとって都合の悪い)には目を瞑るのだ。


これが多くの人たちに、メディアに対する不信感を持たれる所以であろう。
そしてネットに対して真実性を持たれる理由であろう。


「マスコミは偏向している。頼れるのはネットだけだ」
こういう意見が真実性をもって理解されるのは、
マスコミ自身の責任である。