韓国の反日は差別だ!

韓国への反論をするための方法を提供

チケットキャンプ

戦前の警察官の証言!朝鮮人は○○○○である。


◎韓国を信用できない日本
◎その理由は韓国が約束を守らないから
◎実は戦前の警察もそう認識していた。

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朝鮮人に対する認識!
 最近の日韓関係は非常に悪い。
筆者はその理由を韓国の反日教育にあると思う。
反日教育を受けた韓国人が反日行為をし、その反日行為を見た日本が嫌韓になる。
その繰り返しで日韓関係は悪化し続けている。

 本来なら韓国が反日行為をすると、日本もそれに反発し、日韓関係は悪化する。
確かに最近でこそ、日本側にそのような動きがみられるが、
これまでは韓国の反日に対して反発する動きをみせなかった。

 その理由は、日本の自虐教育にある。

 日本では「日本を否定する」自虐教育が行われてきた。
自虐教育により、殊更日本を否定することが正しいという風潮が一般に根付いた。

 この自虐教育は「戦前の否定」からきている。
 日本では戦前を否定し、その戦前を反省することが正しいという考えから、
その被害者である中国及び韓国に対して、過剰に気を使う雰囲気が見られる。

 つまり自虐教育により、日本を必要以上に否定し、
戦前日本の“犠牲者”である中国や韓国に過剰に迎合する。
 そして韓国の反日行為に積極的に迎合するようになる。


 ところで最近、日本でも韓国へ反発する動きが起きている。
 これは韓国の度重なる反日行為に対して、日本国内で痺れを切らしてきたのが実情だろう。
何度も繰り返し反日活動をし、反日を繰り返す様は、
日本国民をして「韓国疲れ」を引き起こし、日韓関係の改善を絶望視させている。

 このような状況から、日本でも韓国への反発を生んでいる。


 さらにその反日行為の一環であるが、
韓国が繰り返す約束違反も問題だろう。
韓国は約束したことを守らない。
 1965年の日韓基本条約及び日韓請求権協定において、
「完全かつ最終的に解決した」と約束したにもかかわらず、
それを反故にして、日本に対して要求を繰り返す。

 彼ら韓国人は約束を守らない。
 こういう意識が日本人の中に蔓延するのも無理からぬことである。


 ところで戦後の韓国人は、戦前は朝鮮人といった。
その朝鮮人はどのような人たちだったのだろう。

 先に書いたように、戦後は「戦前を否定することが正しい」。
それ故に韓国人および朝鮮人のことを、否定的に書くことが憚れた

 もしそういうことを書こうとすると「ヘイト」と言われ、言論弾圧の対象になった。
韓国人が日本人を嘘つき呼ばわりすることは許されるが、その逆は許されない。

 このようなアンフェアな対応が許されてきたのだ。


 それ故に韓国人や朝鮮人への否定的な見方を提示知ることは許されない。
しかしそれでは事実を捻じ曲げることになりかねない。
 相手に対する悪意に基づく議論は良くないが、
良い面悪い面両方を検討するには、悪い面も指摘する必要がある

 戦後の韓国の約束違反送り返しは、韓国人および朝鮮人の特有のモノか

 それを検討するために、戦前の朝鮮人に対する警察のモノの見方を提示する。





特高警察資料!

 この資料は1939年の特高関係の資料である。
特高警察は「特別高等警察」といい、戦前に存在した政治警察であり、
共産主義や右翼、無政府主義者などを取り締まりの対象にしていた。

 その中にあった組織で内鮮課と部署がある。
 「内鮮課」とは日本列島(当時は「内地」)に存在する朝鮮人を対象とする。
彼らは犯罪が多く、なおかつ独立運動なども起こす輩がいたので、
特高警察の取り締まり対象となっていた。

 その中で特高警察と検察が合同の会議を行った。
 1939年7月3日のことである。

 その中で取締りを行っている特高警察官が、
(当時の)朝鮮人についての感想を述べている。それを引用しよう。

 彼らの共通認識は朝鮮人嘘つきだということだ。 


 以下は朴慶植(パク=キョンシク)監修の
在日朝鮮人関係資料集成」よりの抜粋である。
朴慶植は1965年に「朝鮮人強制連行の記録」という本を書き、
在日コリアンは日本に強制連行された子孫である」というデマを吹聴した人物である。

 しかしこの資料集は非常に詳しく、かつ分厚いものだ。
この資料を読みながらもあのようなデタラメをかけるというのは、
在日コリアンへの信用を疑わせるものだが、ここではこのことについて言及しない。

 この資料集はその名の通り「資料集成」なので、ただ資料が提示してあり、
前書き部分を除き解説もないが、興味ある人は見て欲しい

 因みに筆者は一通り目を通した。




※文字の強調および赤字は筆者
※旧仮名遣いは現代仮名遣いに修正する場合がある。
※記事の縦書きは横書きに変換している。
※長い文章は見やすくするため、適宜句読点を加え、改行している。
※見やすくするため、漢数字を算用数字に変更する場合がある。
※個人名については伏せ字にする場合がある。
現代では不適当な表現があるが、特別な場合を除き、そのままにした。


以下は引用である。
少々注意が必要なのは、このコメントは「朝鮮人の犯罪者」を対象にしている。
そのため一般の朝鮮人とはもちろん違う
 ただし彼らはもちろん他の日本人犯罪者(政治犯も含む)の取り調べもしている。
その彼ら警察官が比較してのコメントである。


まず特高課長のコメントを見て欲しい。


特高警察内鮮課
榎本三郎 課長
 私も朝鮮人の世話を大分致しましたが、満足にいったのが殆どありません
これ等もその一例ですが、慶応の学生で要視察になって居るのを善導して見やうと思って、
ちょうど私の家の二階に三畳間があったので、

其処に置いて昼は芝浦製作所に通勤さして日給五十銭を得させ、
夜は慶応商業の夜学に通はして居ました処、
なかなか成績もよく心掛けもいいので信用して
仕舞には一人で留守番さへさせる様になりました処、

或日留守居をさせて帰宅して見ると居ない
二階に上がって見ると私の机の抽斗が壊されて居る。
よく調べて見ると十何円か入って居た金、時計と私の一番良い洋服がなくなっている
私の一装用の洋服を着て時計と金を持って午後二時出掛けたらしいのです。 ~略~

 此の様な具合で全く我々内地人の常識とは全然違った考へですから
鮮人を見る時は内地人の考へ方や常識では全く違ってくるのです

ここでは特高警察内鮮課長の話が載っている。

これだけでも朝鮮人の欺瞞さが理解できる。
お世話になって、職や学校の面倒までみてもらった人に対して、このような仕打ちができる。

 彼らはいつも「騙してやろう」という意識でいるのだろう。
それ故に、信用を獲得したら、それを逆手にとって悪さするのだ。

 こういう人たちに対して信用をすることはバカを見ることになる。
このような経験をたくさんすると、やはり彼ら朝鮮人は信じられないと思うのだろう

 事実、榎本内鮮課長は「朝鮮人の世話を大分致し」た、と述べている。
このような経験を経て、榎本課長はこのような感想を持ったのだろう。



 次に引用するのは、朝鮮人は信用ならないと主張する渋谷氏である。
彼は朝鮮人が涙を流しても信用してはならないと主張する。

渋谷孝吉 警部補
鮮人の通習として何んなに詫っても、涙を流して詫って供述したから間違いないと思っていると、
大きな間違いで其の積りで調書を作って居ると他の関係者を調べて新事実が発見される。

其処でお前ははっきり涙迄流して清算すると云ひ乍ら
是れ是れの点に就て隠しているのではないかと詰まりますと、
其の点はあなたから聞かれなかったから云はなかったのだと云う様な風で
全く措信出来ないので困ります。


 渋谷警部補は取り調べで何人もの朝鮮人を尋問した。
 彼ら朝鮮人は、日本人の場合とは違って、
「涙迄流して」供述しても、どんなに「詫って」も全く信用ならない。
 こう主張している。

 これらも多くの関係者が指摘している。
 同様なこのような意見もある。

吉田常盛 警部補
 鮮人の嘘はお話になりません
取調中でも実証を突き付ける迄は決して本音を吐きません。
然かも其の事丈は白状するが其他は一切云はぬと云ふ風で
其の場逃れの御都合で転向した等といつても本心から転向する者など決して居ないと信じます。

 私の体験談を申上げますが
嘘をつく事は鮮人の国民性とでも申しませうか之れは前科二犯もある奴ですが、

帝大の研究生で元横浜の判事していた事もある等と嘘を並べて某未亡人の家に間借りして、
結局其の家の娘を孕まして仕舞ひ子供ができると俺の子ではない等と無態を言って取合はず、
結局裁判迄仕様と云ふ事になったのですが、

本籍の判らない朝鮮人と云ふ事が判って泣寝入になりましたが、
此の様に始末の仕様がない有様で判らぬことは
徹頭徹尾隠して平気ですから鮮人には転向等無いと思ふのであります。

之れも其一例ですが特高へも始終顔出もするし、今度こそ転向しました。
今は自動車運転手をして真面目に働いて居ります等と申して参りますので、
信じて途中で会ったりした場合、夕食位奢ってやって激励していました処

共産主義者団の大久保静子の検挙によって吉田いせ等と
自動車連絡をやっていた事が判ったので、
私が西神田署に引っ張ったのですが、同署の特高係では彼奴はもう転向して真面目だし
間違ではないか等と云って疑った位です。

引っ張って見ると矢張り自分の自動車で街頭連絡をやって居ったので
本人の云ふには「旦那済みませんでした。
実は転向は偽装して、私は情勢を見て居たのです」
と云ふ有様で全く鮮人の云ふ事は皆嘘と思って調べにかからないと失敗します。

 全く信じられないほどの嘘つきだ。
 「徹頭徹尾隠して平気」とは、彼らの本性を現していると言えるだろう。

 また刑務所や留置場などが彼らに対する罰則になっていないというコメントもある。

菅原太一郎 警部
 留置場や刑務所に行く事も余り苦痛にしないで、
留置場あたりでも刑務所を出れば保護観察所があって
宿の世話から職がなければ世話もして呉れるし、
病気になれば医者にかけてくれて良いもんだ等と云って居る者もあります。
 だから都合のよい時には転向を利用するといふ風で彼等は
自分等は何んな事があっても民族的独立を思ひ止まることは無い等と
豪語して居るのもあります。


 このように日本人と違い、むしろ保護されると考えているようだ。


 さらに朝鮮人は嘘をつくので、取り調べの手間がかかるという証言もある。

村山実蔵 警部補
 内地人一ヶ月の調は朝鮮人ならば三ヶ月を要する
更に証拠品が少ないに拘らず、それがあっても嘘を平気で誤魔化さうとするので
更に取調が手数を要し、日子を要する場合がありますので、
心証から丈で送る場合もある程度已むを得ないのであります。


彼らの嘘により、それも徹底的に嘘をつくので、捜査に困っているということである。
これなども日本人とは全く違う性格だろう。


また先の話にも関係するが、朝鮮人は留置場が罰にはならない。
それは先の保護されるというのとは別に、普段汚いところに住んでいるので
留置場の方がキレイだというのだ。

川野弘之 警部補
 内地人なら留置場に入れられると三日位で参って仕舞ひますが、
朝鮮人は一ヶ月でも半年でも平気で居るのです
これは鮮人の生活程度の低い為め、寧ろ留置場に居る方が自分の家庭に於けるよりも
楽に思ふ様な場合があるので留置場に居るのは只自由に遊びに出られないのが辛い位のもので
安楽な生活位に思って居るのがあります。


 このような状況なので、刑務所や留置場などは全く罰にならない。


 また同じ川野警部補のコメントにはこのような話もある。

 又東京市内に於てカフェーの数軒も経営して大森で家賃百五十円位の生活をして居り乍ら、
掛け買の支払等は決して満足に払はうとしないで、平気で居ると云ふのがありました。

尤も之れは以前パンの行商等していたのが、カフェーの経営を手伝ひ乍ら、
法螺と欺罔で其の家を乗り取ると云ふ遣り方で発展さして行ったもので、
契約しても履行しない位は当り前と考へて居り、前田という偽名を使って居て手形を出したり、
悪辣な事をするので遂に訴訟になって東京に居られなくなったのですが、
全く鮮人は法螺と欺罔の天才といっていい位です。
 それ丈取調の困難がある訳であります。


 これなどは完全な乗っ取りであり、詐欺である
 金があっても払おうとせず、平気で居座るなどは始末に困る。
こういうことをやっていれば、日本人から信用させないのも当たり前だろう。

 警部補は「法螺と欺罔の天才」と述べているが、
これと反比例して、信用を失っていくのだろう。


 このように1939年当時、担当する警察は朝鮮人取締りの中で、
彼らの嘘に手を焼いていた。彼らは嘘をつくことが
「国民性(吉田警部補の表現)」であると指摘されている。

 このように考えると、
なぜ韓国政府は約束しても守らず、嘘を平気でつくのだろうかというのは、
これは一時的なものではなく、長年の風習によるものかもしれない。

つまり昨今の韓国政府の一連の行動は、彼らの国民性所以といえるのかもしれない。
この特高警察内鮮課の担当者たちのコメントを見るにつけ、そう思わざるを得ないと思うのである。


しかし現在ではこのようなことを言うことはできない。
それは「ヘイト」と言われるから。
たとえ事実であっても、彼ら韓国人が何度も嘘をついても、何度も約束を破っても、
それを「嘘つき呼ばわり」するのは、差別であり、ヘイトなのだ。


ところで疑問がある。

そのような嘘つきを、
我々は何と呼べばいいのだろうか?