韓国の反日は差別だ!

韓国への反論をするための方法を提供

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韓国の擁護をする良心的日本人 彼らを駆り立てる3つの理由とは?

・日本の悪口を言う良心的日本人
・彼らが悪口を言う3つの理由
・良心的日本人こそ、日韓関係悪化の原因

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日本人でありながら、
韓国に迎合する人がいるのはどうしてか????

この文章は以下の目次に沿って進めます。

1.日本の謝罪
2.良心的日本人の存在
3.韓国寄りのスタンス
4-1.保守派を叩く面白さ
4-2.親の世代を叩く面白さ
5.贖罪意識の解消
6.惰性への迎合
7.まとめ






 戦争が終結した1945年。その後、日本と韓国は没交渉になる。
日韓が国交を正常化するのは、その20年後の1965年である。
その間、韓国大統領が来日することはあったが、日韓間は冬の時代だった。





1.日本の謝罪

 そして1965年に日韓基本条約が締結し、日韓の国交は正常化される。
しかし日韓関係は関係改善するどころか、むしろ悪化の一途を辿ったというのが実情ではないか?


 一例を挙げよう


 日韓関係が正常化する前の1950年代に朝日新聞が韓国で聞き取りした記事がある。
その記事は国交正常化に関して韓国の各界の人物にインタビューしている。
 そこで韓国人が求めるのは当時の吉田首相の謝罪だった。


 しかしその方法はそれほど拘っていない。
ある人物は「日本の国会で野党の質問に答える形でも良い」ので、
そこで謝罪の言葉を述べて欲しいと言っている。

 韓国に直接ではなく、日本の国会で野党の質問に答える形でいいから、
謝罪の言葉を言って欲しいというのが当時の韓国の要望だった。



 その後、1965年に国交正常化をするが、
その直前に日本の外務大臣椎名悦三郎訪韓する。
そこで外務大臣が韓国政府に謝罪の言葉を2回述べる。

 その時の韓国メディア、韓国政府の反応は

 「日本の謝罪が実現した」
 というものだった。



 その後1984年、韓国の全斗煥大統領が来日した。
実は有史以来、朝鮮半島のトップが公式訪問するのは初めてのことだった。
 当然、韓国の日本に対する公式訪問も初めてだった。


 その時に行われたのは昭和天皇による謝罪だった。陛下は遺憾の意を表した。

 天皇陛下は象徴なので政治的発言はできない。
しかし直接支配した天皇陛下として謝罪の言葉が欲しいという韓国側の要望。
そして韓国の全斗煥大統領と親しかった中曽根首相の意向もあり、陛下の謝罪となった。



 その後1990年、昭和天皇崩御により、現陛下に代わっていたが、
当時の盧泰愚大統領は天皇陛下の謝罪の言葉を求めた。
 

これは1984年の「遺憾の意」というものより強い言葉が欲しいという韓国側の意向があったからだ。
先に書いたように天皇陛下は政治的発言ができない。
それ故に踏み込んだ発言には抵抗もあったが、調整の結果「痛惜の念」と言う言葉が使われた。


当時の盧泰愚大統領は

天皇陛下が謝罪した。総理大臣も謝罪した。
衆議院議長も謝罪した。これ以上どうしろと言うのだ?」

と評価していた。




しかし現在の日韓関係は改善しているのだろうか?



2012年 李明博大統領は天皇陛下訪韓に触れて
「“痛惜の念”などと言うくらいなら訪韓しなくていい。
独立運動家に土下座しろ」と暴言を吐いた。


これまで日本が誠意を示して謝罪するたびに、
韓国は誠意を踏みにじってきた。それが歴史的な事実である。


韓国は日本に対して謝罪を求めているのではなく、
日本人を侮辱するのが面白いからやっているのだ。面白くて楽しいからやっているのだ。


その面では日韓関係が悪化しているのは、韓国側に大いに責任がある

しかし韓国だけの責任なのだろうか?


実は日本側にも大いに責任がある。
今回はそのことについて書いていきたい。






2.良心的日本人の存在

日韓関係を悪化させている日本側の要因とは「良心的日本人」の存在である。


 「良心的日本人」とは日本人でありながら、韓国や中国側の意見を代弁する人たちである。
その中にはむしろ日本の不利益になることを積極的に行う人たちがいる。
見ていて「なぜそんなに日本ばかりを批判するのか?」と思ってしまうが、
彼らにとってはお構いなしなのだ。



彼らはどうして日本を批判することを繰り返すのか



その理由を彼らに聞けば、こう答える。

「日本が嫌いだからやっているのではない。
むしろ日本を愛するが故に苦言を呈するのだ」

「日韓関係が悪化しているのは日本が真摯に謝罪しないからだ。
日韓関係を改善するために心を鬼にして日本を批判して謝罪を引き出そうとしているのだ」



つまり日本のために日本の批判をしている

というのだ。



日本を愛するが上に、日韓関係を改善する上に、日本の謝罪が必要で、
そのために活動しているというのが彼ら「良心的日本人」の言い分だ。



しかし筆者は断言する。それは…と。







3.韓国寄りのスタンス

 彼ら良心的日本人は日韓関係を改善するために活動しているという。
しかし韓国の反日行動には批判をしない


 例えば韓国政府の慰安婦報告書では20万人に慰安婦と書いてあるが、
それに対して批判する良心的日本人はほとんどいない。
彼らのスタンスは韓国の代弁者になり、
日本を批判することのみ(もしくはほとんど)なのである。


多くのケースで日本にのみ謝罪を求め、韓国を擁護するそのスタイルは、
日韓関係を改善するという(当人の)主張を疑わせるのに十分である。



そうすると彼らはなぜ韓国よりのスタンス、韓国寄りの主張をするのであろうか?
彼らを韓国寄りに駆り立てているものは何なのか






彼らを日本批判に走らせている要因はつある

(1)日本を叩くことが面白い。
(2)過剰な贖罪意識を解消するため
(3)昔からの惰性で。


つまり「面白いから」「贖罪意識の解消のため」「惰性で」という
3つの理由があると考える。


ではまず面白いという部分を見てみよう。







4-1.保守派を叩く面白さ

 では面白いとは何か?
ここで物事を単純にするため、自民党社会党を比較して見てみよう。


 社会党は日本政治の一方の雄として、自民党に対抗する存在であり続けてきた。
1955年に社会党の右派と左派が合併し、社会党になってから、
ほとんどの期間、野党第一党であった。
保守系自由党民主党が合併したのは社会党の統一に煽られた面が強い。


 最大時は衆参で200を超える国会議員を確保し、
多くの労働組合を支持基盤にし、特に都市部においては強い支持を獲得していた。



 しかし村山内閣ができると、これまでの党是であった「自衛隊違憲論」を撤回し、
反対していた「消費税を容認」するなど迷走し、多くの支持者が去っていった。


 現在、後継の社民党衆議院参議院で計しかいない。
 2017年9月現在
 社会党には多くの議員や多くの支持者がいた。そして多くの大学教授や評論家、ジャーナリストなども支持していた。


彼らは政治的に敗北したのである。


 誰が何と言おうと完膚なきまでに、自民党に敗北したのである。
社会党としては悔しいし、残念だろうが、事実なのである。


 そういった政治的な不遇、不満は何かで解消したい。
それが「反日行動」に走らせている一因である。


 そして自分たちを負かした自民党(政権)を叩いてくれる存在(中国・韓国)は、
政治的不遇を解消するありがたい存在なのである。


 自民党=日本政府なので、日本政府を叩くこと、
そしてその日本政府を支持している日本人を叩くことで、自己の留飲を下げているのである。




 確かにリベラルはそうかもしれない。例えば福島瑞穂氏はそうだろう。
しかし政治的不遇とは無縁の「村山元首相」や「河野洋平氏」は
どうして反日行動を起こすのか?と疑問に思うかもしれない。


しかし両者も政治的に不遇だったのである。



確かに社会党出身者でありながら、総理大臣にまでなった村山氏は不遇とは思えないだろう。
しかしそうでもないのである。村山氏はそこで「自衛隊」と「消費税」を容認してしまうのである。


 それ以降社会党=現在の社民党は凋落の一途を辿った。社会党滅亡のA級戦犯と主張する論者もいるのである。




 河野氏に関しても、将来の首相候補と言われていた。
彼が国会議員になったのは30歳のころ、
河野一郎の息子として、知名度もあり、党内の支持者も多かった。
1974年には総裁候補の担ごうという動きまであった。
まだ3回生で議員歴7年の37歳に対してである。


 今でいうと小泉進次郎議員と同じような立場であった。


 しかし新自由クラブを作り、自民党を下野した時からおかしくなり、
最大派閥の田中派の怒りを買った。

約10年後には自民党に出戻りし、不遇の時代を過ごす。
最近の谷垣氏まで、河野洋平氏は唯一、自民党総裁でありながら、
総理大臣になれないという不遇を味わった。


 河野氏や村山氏の場合は「贖罪意識」や「惰性」というのもあるかもしれないが、
政治的不遇を晴らすためという側面も見逃せない。
そういうと「野中広務」「古賀誠」「加藤紘一」「鳩山由紀夫」「菅直人」といった顔触れは
みんな政治的不遇を囲っているのである。


 政治的不遇という言葉をもう少し噛み砕いていうと、
「日本人に相手にされていない」ということである。
だから反日行動をすると「韓国人」や「中国人」が相手にしてくれる。
だから彼らの望むような行動をとることで彼らの歓心を買おうとするのである




 よくリベラルの人は嫌韓行動を

「実生活の不満を嫌韓行動で憂さ晴らししている。」
といった主旨の批判をしている。


 確かのそういった人もいるだろう。

 しかしこれはむしろリベラルの人たち、良心的日本人の人たちにこそ当てはまるのだ。


 良心的日本人こそ、自分たちの政治的不遇(=嫌いな政権ができる等)を解消するためにやっているのである。


 そして自分たちの政治的主張が受け入れられない日本を叩くことで楽しんでいるのだ。



実は「面白い」というのはもう一つ意味がある。それは世代間闘争である。






4-2.親の世代を叩く面白さ


世代間闘争とは何か?

 簡単に言うと、「親の世代を叩くことの面白さ」である。


 我々にはいつの時代も世代間で意見の相違がある。
昔の洞窟にも「最近の若い者は!」という文字が彫ってあったし、
若者は「今の大人はダメだ」と思っている。
このように各世代で意見の相違があるのである。そしてこれは自然のことなのだ。


 親の世代は「最近の若い者は」と言い、若者は「大人は汚い」という。
いつの時代にも引き継がれてきた「古い闘争」である。
明治維新大正デモクラシーも226事件も60年安保も
1968年~70年の学生運動もある面で見れば世代間闘争である。
古い時代と新しい時代とのせめぎあいである。


そして必ずしも新しい世代が勝つわけではない。


明治維新大正デモクラシーは若い世代が勝ったかもしれないが、
226事件や60年安保、学生運動は若い世代が敗れたのである。


 そして若い世代にとって、一方的に大人の世代を叩くことができた世代がある。

 それが終戦である。


 終戦当時、それまで威張り腐っていた大人たちは敗北にひしがれた。
特に軍人たちや軍国主義を煽っていた輩は発言権を失った。
終戦当時の大人の世代は多かれ少なかれ、戦争の遂行に協力していた。


 それに対して当時の子供たちに責任はない。
彼らの中には軍国少年も多々いたと思うが、
それも子供なのだから責任を問われるものではない。
そしてなおのこと、空襲被害にはあっている。
つまり彼らは軍国主義の被害者という立場でもあったのである。



 軍国主義の被害にあい、そしてその当時の大人の世代を一方的にたたく権利を得た世代は、
大体1930年代以降の生まれの人たちである。
彼らは自分たちが被害者であり、なおかつ大人たちを一方的に断罪する権利を得たのだ。

例えば河野洋平(1937年)、加藤紘一(1939年)、愛川欽也(1934年)、
菅原文太(1933年)、大江健三郎(1935年)、雁屋哲(1941年) などである。


 もちろん村山富市(1924年)のような例外もいるが、
村山元首相はこの時代の大学生としては珍しく、戦場に行っていない。
徴兵されただけで終わっているのだ。そういう面で、「手を汚していない」人であり、
軍国主義に対して身綺麗であるといえるだろう。

 同様な例は渡辺恒雄(1926年生まれ)にも言える。
彼が徴兵されたのは終戦の1ヵ月前である。


 つまりこれらの人たちは戦後、大人の世代に対して精神的優位に立ったのである。
何か批判されても「お前らは戦争を起こした」と言えば、相手は黙ったのである。


 これは快感だっただろう!


 自分たちよりはるかに年配で、経験豊富の人を「たったの一言で黙らせる」ことができたのだ。


 非常に「面白かった」と思う



 戦後時の若い世代、もしくはその後の若い世代にとって、
大人を黙らせる言葉、「戦争を起こした」というキーワードは
何ものにも代えがたい価値を生み出したのである。


 そしてその成功体験を後押ししてくれるのが中国韓国なのである。


 かつての「被害国?」が現在でも声高に叫んでくれる。
「謝罪しろ」「賠償しろ」とその言葉を聞くたびに、
戦後のミラクルワード「戦争を起こしやがって」という言葉は魅力を増すのである。


「日本は歴史を反省しろ」

「ほら被害国があんなに批判しているぞ。もっと謝罪しろ」


こうやって「一歩的な勝利」をした瞬間を思い出してホルホルしているのである。


 しかし最近段々その神通力が落ちてきた。だから余計に被害国?に傾倒するのである。



 「良心的日本人」の行っていること、それは…


 世代間闘争に勝利したミラクルワードを色あせたくないのである。
そのためには被害国?がいつまでも日本を批判してくれないと困るのである。


 中国と韓国が日本を批判する時、

 良心的日本人は昔の勝利を思い出して噛み締めているのである。


 あの時は「大人を批判して面白かった」……と。






5.贖罪意識の解消

 贖罪とは「罪の償うこと」である。
それは善行を積むことや、金品を提供することで、
罪の許しを得ることである。


 つまり「負い目」を持っている状態、意識があり、
それを色々な行動において解消したいのである。
相手に対して「借りのある状態」「迷惑をかけた経験」等が
「負い目」という意識につながる。こういった状態には「人は耐えられない」のである。


 何とか解消したい。それが贖罪意識を生むのだ。



 この贖罪意識を生み出しているのが、日本が戦後行った「自虐教育」である。
つまり自国を必要以上に悪く言う教育である。


 本来なら、自国が行った「悪いこと」を批判的に教えることは当然であるが、
良いことをやったらそれも教えればよい。


 しかし戦後の日本教育は「悪いことしか」教えない教育なのである。


 「日本は戦前悪いことをした」というと問題ないが、
「日本は良いこともやった」というと反発される世の中なのである。

1995年、当時の総務庁長官 江藤隆美氏がオフレコで
「日本は良いこともやった」といったら、大臣を辞めさせられた。

 これなどは自虐教育の最たるものであり、
韓国や中国への迎合以外何ものでもない。


 なぜ日本は自虐教育を行ってきたのかというと、
それが国民の支持があったからだと筆者は思う。


 「GHQの洗脳が」とか「日教組の教育が」とか色々あるであろうが、
結局戦後の日本では国民がそういう傾向だったのである。


 つまり「戦後は二度と戦争を起こさない」ということが、
戦前と逆に集団ヒステリー状態になったのである。
戦前の「軍国主義」大合唱が、戦後は「非軍事」大合唱につながったのである。


 そういう中で戦後の日本国民の意識は「戦前の日本の否定」から
「戦前の植民地や占領地への同情」にシフトしていったのである。
そして過度に韓国や中国に迎合する心理になるのである。


つまり「戦前の否定」から「被害国?への同情」を生み、
「過剰な贖罪意識」を生む。その「贖罪意識を解消する」ため、「積極的に迎合」する。


 これが日本人の大多数に起きていたのだ。


 そして大多数の人が「過剰な贖罪意識」に感染することで、
韓国や中国が反対する行動をとる人(=例えば、靖国参拝を行う議員等)に、
過度に攻撃的に出るのである。





6.惰性への迎合

 先程の贖罪意識と被る部分もあるが、惰性と言うのも見逃せない。


 「惰性」と言うのは、元々物理学の用語だが、ここでは世間の風潮に迎合することをいう。
世間が右なら右、左なら左と言うようにこれまでの流れに沿って行動することだ。


 戦後の日本は戦前を否定する風潮が強かった。そして戦前の否定から韓国には迎合する傾向があった。


 つまり日本は悪かった


 と言えば、何でも通ったのである。


 戦後の日本では日本は韓国に良いこともやったと言えば、
世間に叩かれて大臣であってもクビになった。
つまり今風の言い方で言うと戦前の日本を肯定する言説は委縮していたのだ。


 こういった状況で生まれるのが惰性である。


 つまり日本を肯定する意見をいうことは躊躇い、
日韓関係のことを言われるととにかく日本が悪いと言っていれば良いのだ。
 

 これは特に番組のコメンテーターなどに多く見られた傾向である。
今から考えると非常におかしなことでも、こと歴史問題になると、
韓国に迎合する風潮が見られたのだ。


例えば25年ほど前には在日コリアンが強制連行された子孫だというのは、
普通にテレビで発言されていた。これも惰性の一形態であろう。






7.まとめ

 上記の3点を繰り返すと以下のようになる。

(1) 日本を叩くことが面白い。
・保守派を叩くのが面白い
・親の世代を叩くのが面白い
(2)過剰な贖罪意識を解消するため
(3)昔からの惰性で。

 と言うことになる。



 こういった動機によって、日本人でありながら、
積極的に韓国人に迎合する良心的日本人が跳梁跋扈することになるのだ。



 ここで注目してもらいたいのは、上記3つの理由はすべて個人的なことなのである。
面白いも「贖罪意識の解消」も個人の満足のために活動しているのだ。


 冒頭で、良心的日本人の言い訳を記載しておいた。
彼らは日本のために、日韓友好のためにあえて苦言を呈していると主張する。


 しかしここまで見ればわかるように、

 それは大嘘なのだ。



 彼ら良心的日本人は個人の欲求を満たすためにやっているのだ。
それが韓国の尻馬に乗って日本批判する楽しさ」なのか
「自分の苦しい胸の内の贖罪意識を解消するためか」何かは知らないが、
個人的な欲求のためにやっているのだ。


 特に最近は日本のリベラルは民主党政権が全然ダメで政権交代の機運すら生まれない。
そういう状況は望ましくないのだ。


 だから声高に日本を批判してくれる韓国に迎合して、その尻馬に乗って日本叩きをすることで憂さを晴らしているのだ。



 良心的日本人にとって、韓国寄りのスタンスをとるのは必然である。

 その目的は自分の憂さを晴らすためである

日本統治時代を韓国人はどう感じていたのか?同時の記録から!

・日本の韓国統治は過酷だったのか?
・当時の記事から類推する
・韓国人は、日本を恨んでいなかった

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 戦後の我々日本人からすると、韓国人は日本を恨んでいたと思うかもしれない。


 そして韓国人が恨んでいるのは、日本が過酷な統治をしたからだと思うかもしれない。


 しかしそれはなのだ!


 日本統治時代は韓国人にも理解されていた。故に韓国では反乱が起きていなかったのだ。


 韓国では3.1独立運動を大げさに取り上げている。
それはなぜかと言うとそれ以外になかったからだ。


 しかし3.1独立運動は1919年に起きた。
その後26年間(日本から独立するまで)は何をやっていたのか?
当時の韓国人たちは日本統治をそれなりに受け入れていたのだ。





朝日新聞の日韓対談

 韓国人、特に韓国の一般民衆が日本人を恨んでいなかった根拠を提示しよう。


朝日新聞に「日韓会談を阻むもの」として韓国人の日本特派員と
日本人の韓国特派員の対談が載った。
その記事からリードの部分を引用する。

いくたびか決裂を見た日韓会談がふたたび開かれる機運にある。しかしこの会談によって直ちに両国間の懸案がことごとく円満に解決されるだろうと期待することは、これまでのいきさつからみても無理だろう。それでは一体日韓関係の円滑化を阻害する原因はどんなところにあるのか。 ~略~

そして
「互いにズレた国民感情」 「投合う“不自然な言葉”」 
「“親日派”を恐れる」 「韓国 表と裏と別の態度」

小見出しが続く。



この対談は最近の記事としても通用しそうである。しかしこの記事が載ったのは
1953年12月4日の朝日新聞である。


今から60年以上前から同じようなことをやっていたのである。





意外に温かい韓国民衆

 この対談は朝日新聞の津島朝鮮特派員とソウル新聞の金乙漢東京特派員との間で行われた。
年齢については不明であるが、金氏は日本の大学を卒業して大正十四年に朝鮮日報に入社と
書いているので、対談当時は50歳を越えているだろう。
また津島氏は年齢が分かる手がかりはないが、写真を見る限り30歳を越えていそうである。



つまり両者とも終戦の時には成人になっていたのである。
そして戦前の朝鮮半島の事をそれなりに理解している人物だろう。


その両者は何と言っているのか?



津島  たとえば街の店に入る。日本人ということがわかると主人が「まあ奥に入って座りなさい」といった調子で温かい空気を感じるが、われわれが官吏を訪問するとガラリと空気が変る。実に冷たい。日本に対しての声明でも非常にきつい。


 ここでは1953年当時に韓国へ行っていた特派員が「韓国民衆の温かさ」に触れている。
これは終戦年後である。


 当然、津島特派員も店の主人の韓国人も日本統治時代の事を知っているはずだ。
それなのに日本に対して非常に親切なのである。


 それはなぜか?




なぜ反乱が起きなかったか?

 私たちは気付かなければならない。
日本の統治がそんなに悲惨な搾取に満ち溢れたものであれば、
どうして大戦中に朝鮮半島で反乱が起きなかったのであろうか?


 確かに朝鮮半島満州の間の「間島地方」等では反乱部隊がいたが、
それはほとんど山賊馬賊の類と変わらない。
そして大韓民国臨時政府などは内紛ばかりでまともな活動ができていない。


 日本の支配が過酷であれば、朝鮮半島内に一番多くの朝鮮人がいるのだから、
反乱を起こさないわけはないだろう。
 事実、李承晩政権は韓国人が反乱を起こして打倒されている。
 朴正煕政権でも何度も民主化闘争を行っている。
 そして遂に1987年に韓国民衆の力で民主化を成し遂げたのではないか?



 朝鮮人が搾取されていれば、大人しくしているわけがない。



 つまり日本の統治は非常に良かったからである。
 だから日本人の統治を知っている韓国民衆は戦後も日本人を歓迎していた。


 しかし反日が売りの李承晩はそれでは困るわけである。
独立運動」しか能がないので、“独立運動は正しい”としなければならない。

それが独立をしたらもっと悪くなりましたでは、自分の正統性を主張できない。
だから日本統治時代は“暗黒時代”でなければならないのである。




作られた反日

 もう少し、記事から引用してみよう。

津島  ~略~ 私が感じるのは韓国の新聞を見ると日本が全然敵国扱いで、日本に関する記事は表現にしても実に最大級の表現でバトウしているし、政府声明も日本に対する友好の心は見当たらない。これは不幸なことだ。

金   そういうことは自然なことではないから日にちをかせげば落着くところへ落着くと思う。

津島記者が政府声明を「敵国扱い」と批判していることに対して、金記者は否定していない。
しかも金記者は「自然ではない」ので「時間がたてば落着く」と主張している。


この当時の韓国人からは反日声明は不自然なものなのだ。


津島  概して個人個人に当ると必ずしもそうではないが、改まった話になるとやはり反日という色彩を非常にはっきりさせてくる。しかしそれがいかにも苦しそうなのです。何か親日に見られることをこわがっているといった感じがするのです。

金   それには原因がある。というのは、日本の敗戦と同時に、韓国の政治の主導権を握ったのは、大多数の国内の人ではなくアメリカなり中国から入った政治亡命者たちだ。最近フランスから朝鮮に帰って来た人の話でも、商売がたきだとか、恨みがあると、あれはドイツと協力したなどと密告して監獄に入れてしまったりするといわれるが、それと全く同じく、あいつはちゃきちゃきの親日派だといわれることがこわいのです。


 つまり敗戦国日本と仲がいいと、批判されるだけでなく、監獄に入れられる。それなら「親日派」とは死んでも言えない。それどころか身を守るために、積極的に反日に勤しむ



 元々、朝鮮民族中華思想による日本人に対する蔑視思想を持っていた。だから「反日」に反応しやすい素地はあった。



 しかし現在の反日は戦後、李承晩が自分の政権の正統性をつくるためのものである。


 韓国大統領が自身の権威を高めるために反日を煽った。それを韓国民衆が面白さのために迎合した。それが事実なのである。


 戦後のマスコミの嘘に騙されてはならない。当時の意見こそが重要なのである。

韓国はなぜ謝っても謝っても反日を繰り返すのか?


・韓国はなぜ反日なのか?
・3つのキーワードを理解する
反日は楽しいのだ

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 韓国はなぜ反日なのだろうか?今回はこれを考えていきたい。



 前回、韓国が反日教育をしているということを書いた。



 ところでどうして韓国は反日をするのだろうか?今回その理由を探ってみたい。

 まず韓国を理解するための3つのキーワード
儒教」「中華思想」「事大主義」を理解する必要がある。





1.儒教
韓国は儒教の国である。
実際には自分の宗教を儒教と答える人は多くない。
外務省によると韓国人で宗教人口比率は約53%
韓国人の半分は宗教を行っている。
うち仏教:42.9%,プロテスタント:34.5%,カトリック:20.6%
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/korea/data.html#section1


しかし韓国の中には儒教が隅々まで行き渡っている
韓国は昔の中国から儒教的考えを受け入れ、そのまま国の基本としてきた。
現代の韓国人には儒教をやっているという意識はあまりないが、
習慣として多くの風習が残っている。


儒教は中国の孔子によって作られた宗教で、色々なことがあるが、
ここで重要なことは「秩序を重んじるもの」ということ。
秩序…つまり上下をハッキリさせることである。

現在でも儒教国家の中国では国家の序列が明確に決まっている。
序列第21位何てものも決まっている。
これは「秩序を重んじる国家及び宗教」だからである。


韓国は以前半島が統一していた時には「高麗」や「李氏朝鮮」と言った。
こられの国でも中国とは比べ物にならない程小さな国だった。


そういう小国朝鮮からすると大国中国と付き合っていくためには、
中国の決めた秩序である儒教を身につけることが有効であった。
つまり儒教は朝鮮にとって身を守る手段となったのだ。





2.中華思想

中華思想は、中国がこの世の中心であり、この世の全てである。
この世のすべからく中国のものである。
そしてその中心たる中国から外へ行くほど野蛮人の国になるという考え方である。


これも中国と言う巨大な国家と隣接する韓国には必須な考えである。
そして韓国にとっても都合の良い部分があった。


つまり中国は一番で、その外にある韓国はその次、
その外にある日本は韓国より野蛮人の国である、という考えである。
その野蛮人の国である日本は、常に韓国より下の国でなければならないという訳である。





3.事大主義
 事大主義とは「大に事(つか)える」という考えである。

 中国という巨大国家に隣接していた韓国にとっては必然な考え方である。隣に余りにも大きな国家がある故に、その国に逆らわず、属国になることで辛うじて独立を守ってきた。


大きな国中国とは事を構えるだけ無駄で、逆らわず、衝突せず、言いなりになることで国が存続してきた。故に「大きな国に付く」という癖がついてしまったのである。


 事大主義が判断に間違えるとどうなるか?
明から清へと中国の政権が変わるなかで、
当時の李氏朝鮮は明に付くという失敗をする。


その結果、李氏朝鮮は清に対して屈辱的は条約を結び、
李朝の王は三跪九叩頭(つまり土下座の酷いモノ)させられ、完全服従をした。

 
故に韓国はその度に強い国についていったのである。
それが小国韓国の生きていく道であった。
李氏朝鮮時代は清の国に、その後はロシア、
そして日本、日本が負けるとアメリカに事大するようになる。





4.アメリカへの迎合

上記の3つのキーワードが分かると反日の真相も見えてくる。


つまり最初はアメリカに事大するための自己弁護だったのである。
「私達は日本と仲良くないですよ」というアピールとして反日があった。


戦前、韓国はむしろ日本と一緒になって戦っていた。熱心に協力していたのだ。
当時、朝鮮半島には徴兵制が施行されていなかった(末期には施行された)が、
志願兵は募集されていた。その志願兵は50倍の倍率だったのだ。



みんな日本の軍隊に入りたかったのだ。




しかし日本が負けて、アメリカが占領すると韓国人の事大主義が発揮される。
積極的にアメリカの迎合するようになる。


日本が負けて、日本が小の国になり、新たに大の国として君臨するのはアメリカなのだ。
日本と戦っていたアメリカに事大するには日本と距離をあける必要があった。


そしてアメリカに事大するには、日本の時代を美化する訳にはいかない。
故に反日を行い、日本時代の良いことを抹殺している訳である。


そのために日本と一緒に戦っていた歴史を抹殺して、日本に弾圧されていた歴史を偽造したのだ。





5.李承晩の登場

そしてアメリカに事大するために必要だったのが、
李承晩という反日及び独立運動を売りにしている大統領だったのである。


李承晩は韓国の独立運動をやっていた。彼は大韓民国臨時政府の初代リーダーだった。
しかしその後追い出されて、その後はアメリカで細々と活動していたのが実情だった。


彼の役割はアメリカでロビー活動をすることと、
韓国系アメリカ人を組織して募金を集めることであった。

資金集めはそれなりの成果があった(そのために大韓民国臨時政府は助かっていた)が、
ロビー活動は全く相手にされなかった。


それ故に韓国人で独立の貢献があった人物は皆無だった。
韓国が独立したのは日本が戦争に負けたからだ。
そしてそれは独立運動をしていたからではない。



しかし戦後アメリカに事大するために英語も話せて(40年間もアメリカにいたので)、
独立運動をやっていた李承晩が必要だった。





6.生活の困窮

そんな李承晩にとっては独立運動をしていたことが自らの権威となっていた。
つまり彼にとっては反日が価値を持ってもらわなければならなかった


しかし韓国国民の生活は違った。
日本時代に韓国人が反乱を起こさなかった(末期でもほとんどない)のは、
生活に困っていなかったからだ。


だが独立したのは良いが、むしろ国民生活は困窮した。


日本時代に経済発展をしていた韓国だが、戦後はインフレの増大(経済政策の失敗)、
コレラの発生、共産主義の広まり等によりデモが頻発していた。


朝鮮史が専門のアメリカ人ブルースカミングスによると、
日本の統治時代の末期は一人当たり茶碗2杯分のコメを配給していたが、
戦後はアメリカが自由経済を広めたために買い占めが起こり、茶碗1杯分になった。


つまり食糧事情が悪化したのだ。


デモの頻発にはそのような理由があった。
1946年10月には大邱で大規模なデモがあり、
それに対して警官隊が発砲するということがあった。
その行為に激高したデモは暴徒化し、
警察関係も含めて約1千人の死者が出る騒ぎとなった。


 アメリカの統治下でも反対運動は普通に起きていた。
ただしこれには共産主義者の扇動の部分もあることは留意すべきである。





7.反日教育の強化
 1950年~53年まで行われた朝鮮戦争。これが終了した時に強化されたのが反日教育である。
 大統領が命令していた反日教育に関してはこちら
 

 なぜ朝鮮戦争後に反日教育が強化されたのかと言うと、
李承晩大統領には2つの側面があった。それが反日反共だ。


 戦後の大統領として、日本と戦ったアメリカに事大するために李承晩を選んだのだが、
アメリカの戦後の敵はソ連、つまり共産主義だ。


 後ろ盾のアメリカの歓心を買うためにも、そして北のライバル金日成に対抗するためにも
「反共」は李承晩にとって必要なことだった。
 李承晩にとって「反共=北朝鮮の打倒」が自らの求心力を上げるための手段だったのだ。


 しかし朝鮮戦争が終わることでその目的は達成できなくなった。
戦争終結により、反共はスローガンとしては存在しても、政策をしては実現不可能になった。
 余談だが朝鮮戦争の停戦に韓国は調印していない。
北朝鮮と中国、国連軍は調印しているが韓国がしていないのは、
彼らが朝鮮戦争を再開したかったからだ。しかしアメリカにはその気がない。
そのため反共は実現できなくなった。


 その代わりに強調されたのが「反日」だった。


 事実、先の引用でも1954年10月に大統領命令が出ている。
これは朝鮮戦争が終わり、1年以上たって戦争再開がほぼ無理になってから起きたのだ。


 戦争終結後には休戦会談があった。
その際、李承晩は「90日たってまとまらなければ戦争を再開させるべきだ」とアメリカに主張している。
 休戦後にも戦争再開を一生懸命働きかけていたのだ。


 しかしそれができなくなって、自身のために反日強化を推進したのだ。


 事実、当時の韓国に駐在していた朝日新聞の津島記者の1954年6月ごろの記事で、
「1年前には大いに語り合えた韓国の友人が、今は会うことも難しくなっている」と述べている。


 この時期に韓国の反日教育が強化されていったのは間違いない。





8.反日の娯楽化

 その後、反日教育が推奨され、一般的に反日が行き渡った。
日本統治時代を知っている人はそれが間違いであることは理解しているが、
事大主義から声を上げられず、反日的言説だけが吹聴されているのが実態だった。


 そして最近行われているのが、反日の娯楽化だ。
つまり日本を批判しているのが楽しく、面白いという状況になっている。


 そう…反日面白いのだ。


 なぜなら反日は差別だから。※それについては今後書いていきます。


 現在彼らの中には反日は楽しい娯楽なのだ。





9.つまりこういうことだ

つまり韓国人に元々あった日本人に対する(中華思想に基づく)蔑視思想があり、李承晩政権で反日政策が推奨され、
その中で「日本及び日本人が批判される=正しい」というコンセンサスが出来てしまったことが、今日の反日=韓国が出来た所以である。


それだけではなく反日=日本人への蔑視=楽しいという「差別=娯楽」ということまで
韓国政府がお墨付きを与えてしまったのである。


差別は楽しい。

これは人間の性であると筆者は思う。
故に差別を国家の政策にする国は古今東西枚挙に暇がない訳である。
昔のドイツの政党しかりである。


しかし民族や宗教に対する差別を煽ることは非常に危険である。
多くのケースで歯止めが効かなくなる。


なぜなら差別が人間の性である以上、
国家が煽らなくても自然に差別をするようになるからである。


ほっといても個人レベルで行う差別を国家が推奨するのだから、
過激な行動を助長される可能性が非常に高いのである。


だから世界中のコンセンサスとして、先天的に行う個人レベルの差別に対して、
「差別はいけない」と後天的に教育していかなければならない。



しかし韓国は差別=反日を国策としてしまった。それも少なくとも1950年代から…。


これこそ現在の日韓関係の悪化の主因である。
韓国が国家を挙げて、反日教育をしてきたことが日本人の気持を逆立て、
日本人と韓国人との間に抜き差しならない関係を作ってきたのである。




まとめると

①元来持っている日本人に対する(中華思想に基づく)蔑視思想
②それを利用した李承晩政権の反日政策(その後の継続)
③事大主義に基づく、韓国国民の反日への積極的迎合とそれに伴う娯楽化

上記の3点が指摘されると思う。


反日は韓国の屋台骨になっている。故に韓国自ら修正することは難しいだろう。


しかし韓国が反日を克服しない限り、
つまり韓国で「反日が国是」という風潮を改めない限り
これからも日韓関係は悪化するだろう。


そう…もう日本人は我慢しないのだから。

韓国における反日教育の実態

 

 

 

よく韓国人に「韓国は反日教育をしている」というと、「韓国は反日教育をしているのではなく、事実を教えているだけだ」と主張することがある。

 

だが、韓国は反日教育を行っている。

これは筆者の主張ではなく、韓国政府が明確に認めているものである。


今回は韓国が反日教育をやっているという根拠を提示する。

 

 

 

朝日新聞 1954年10月14日 

 

以下の出典は1954年10月14日の朝日新聞1面である。

赤字は筆者 

 韓国で反日教育 李大統領、全国に指示 【京城十三日発=ロイター】

 

 韓国文教部スポークスマンは十三日「全国のすべての教育施設に対し、反共と反日道徳教育とを同程度で強調するようとの大統領の指示が発せられた」と次のように発表した。

 李承晩大統領は共産主義者が民主主義政府および国民に比べていかに残忍であり、独裁的かつ野蛮であるかを教えるとともに、日本帝国主義の侵略性およびその韓国に対する悪意に満ちた態度を生徒に教えるよう命令した。またこの新指示は、韓国経済を独占しようとする日本の陰謀に対する対抗措置を準備するため、教師および大学教授に命じ、生徒を激励させようとするものである。

  

どうであろうか?

韓国に対する悪意」を教えると明記している。恐ろしい話である。

  

この反日教育はその後見直された形跡はない。つまり1954年以降
60年以上に渡って続けられているのである。

 

念のために書くが、これは朝日新聞のスクープではない。
韓国政府が記者会見をして発表しているのだ。公式に。

  

 

 

日経新聞 1954年12月7日

 

他にも同時期のこのような記事もある。これも韓国政府が公式に発表している。

赤字は筆者 

韓国で反共反日講義

 

京城六日発AP=共同】

韓国文部省は六日、韓国の全小・中学校に対し、少なくとも一週間に一回は生徒に「反共反日観念」を教えるための特別講義を行うよう命令した。

  

 すべての小学生と中学生に週1回以上の「反共反日観念」を教える、
と明言している。小さな子供にこんなことを教えているのだ。 

 

 これで反日にならない方がおかしい。

  

 少し考えてもらいたい。日本のすべての小学校と中学校で、毎週1回の嫌韓教育が行われていれば、日本人が嫌韓にならない訳がない。

 

 しかも国家をげて、義務教育で行っているのだ。

 

 これが反日教育でなくて何なんだ?

 

 

 

さらにこういうことがある。

作家で評論家の呉善花によると小学校の時

http://ironna.jp/article/1307

赤字は筆者

 

教室の黒板の上には、真ん中に大統領の写真が掲げられ、その両脇に「反共」「反日」と大きく書かれたポスターが貼ってある。

  

同様なことは別の例でもある。

以下の出典は朝日新聞の1995年6月21日5面の社説の冒頭部分である。

赤字は筆者 

韓水山(ハン・スサン)さんは、韓国の人気作家の一人である。
植民地支配から解放された翌一九四六年に生まれた。

 小学校に入って初めての習字の授業で、先生が二つのお手本を書いた。「反共」と「反日」。どちらでもいいといわれたが、韓さんは少しやさしいと思って「反日」と書いた。うまく書けたとほめられた。これが日本との出会いだった。  ~後略~

  

また韓水山氏の著書でも同様な記述がある。(「隣の日本人」P1~2) 

 植民地時代が終わった翌年に生まれた私は韓国でも最も厳格な反日教育を受けて育った世代である。習字の時間に私の書いた「反日」という文字を先生が褒めて教室の壁に貼ってくれもした。その時から私は「反日においては優秀な生徒」となった。

  

韓水山氏のプロフィールはこちら参照

 

反日」と書いて、ほめられている。

上記のような教室で学べば、普通、子供たちは反日になっていくだろう。

  

 

 

現在ではないのか?

 このように書くと韓国人はこう反論するだろう。 

 これは昔の話だ。今はやっていない…と。

 

 

 それなら韓国人に聞こう。いつめたんだ?…と。

 

 少なくとも反日教育をやっていたのは事実だろう。
 じゃあ、いつ止めたんだ?
 
止めたと証明できない限り、続いていると思うのが当たり前だろう。

  

 こちらは反日教育をやっている根拠を出した。
 独裁政権の李承晩が命令をして、すべての小・中学校で
週1日以上の反日反共観念を植え付けていることを、
韓国政府の発表として示した。

 

 じゃあ、いつ止めたのかを示すのは、韓国側だろう。

 

 

 悪魔の証明という言葉がある。

  「悪魔でない」と証明することはできない。
 つまり「止めてない」と証明することはできないのだ。こちらが「反日教育をやっている」と証明した以上、「止めた」という証明がない以上、続いていると思わざるを得ないのだ。

  

 

 

いつ反省したのか?

  それから韓国が日本に歴史問題で批判する時には、「真摯な反省」を求める。これは彼らの言葉によると、真摯な反省をしないと「また繰り返す」からだ。

  

 じゃあ韓国はいつ反省したんだ?反日教育をやったことをいつ反省したんだ?反省しなければやるのなら、韓国はまさに反日教育に関しては一切反省していない

  

 韓国は戦前のことを現在でも追及している。
 日本のこと、韓国内の親日派のことを現在でも追及している。それは「誤ったことを訂正し、反省しないとまた繰り返すからだろう」

 それなら戦後のこと、1954年のことを追求するのは当たり前だろう。今すぐプロジェクトチームを作って、当時の実態を暴き、当時の責任者を処罰して、真摯に反省して、日本に対して謝罪しろ!

 反日教育をやってすいませんでした…と。

 

 そして日本に対する謝罪像を作って、
   全国各地に建立しろ!

 

 こういうことを考えると、現在の80歳くらいまでの人は反日教育で染まっていると見做すべきであり、本人たちには「反日をしている」という意識もないたり行動になっていることが十分に想像できる。

 

 韓国においては、親日派売国奴であり、日本擁護の発言をすることは社会的に非常なマイナスを被ることを意味する。だから我が身を守るためにも、そして親日派のレッテルを張られかねない人は尚更、反日をしなければならない。

  

 だから日本人も「文在寅氏は従北だから…」とか甘い考えを持つべきではない。誰がなろうと韓国反日めないのだ。いやめられないのだ

  もしそういう勇気のある人が現れるとすれば失脚するか、少なくとも大統領候補になる程出世しないだろう。

  元々、韓国人は併合時代の日本に対して否定的な意見を持っていなかった。日本人への親近感さえ持っていた。しかし「反日教育」によって徐々に世論は変化していった。

  

数年前、韓国で38歳の男性が95歳の老人を撲殺するという事件があった。

https://www.youtube.com/watch?v=PjegTsraoqo

 

これは95歳の老人が「日本時代は悪い時代じゃなかった」という主旨の発言に激高し、老人の杖を取り上げて撲殺したものである。年長者を尊ぶ儒教の国も落ちぶれたものである。

 

しかしこういう人物を作り出してきたのは韓国反日教育ではないのか?

 

 

 

 

まとめ

 まとめると、韓国は反日教育をやっている

 それもつい最近やっているのではなく、1954年以来、大統領命令で子供たちの反日教育をしてきたのだ。

 その内容は週1回以上、全ての小学校、全ての中学校で反日の特別講義をするものだ。この時の対象は「反日」だけではなく、「反共」も対象だが、いずれにせよ韓国を侵略した北朝鮮と同じ”憎しみの対象”として日本を位置付け、教え込んできたのだ。

 そして反日教育を主導してきた初代李承晩大統領がいなくなっても、韓国歴代政権は自国をまとめ上げることに、反日を利用してきた。


 韓国の反日教育。これは現在では教育現場だけではなく、国民の意識の隅々まで沁み込んでいる。韓国世論を作っているのはこの空気だ。
 故に韓国で反日を止めようと持っても絶対にうまくいかない。

 現在の民主国家韓国では、反日に逆らうことは政治的社会的に死を宣告されるのも同様だからだ。

 だから韓国は、反日を絶対に止めないだろう 

 

 

 

はじめに

 

 

 

 

筆者は「反日は差別なり」というブログを書いている者です。

反日は差別なり! - Yahoo!ブログ

興味ある方は上記URLをクリックしてください。

 

 

 

このブログは2年ほど前から書き始め、現在でも継続中です。

 

 

このブログの対象は日韓関係を中心に書いており、

その他中国をはじめとするアジアや日本の政治のことなども書いています。

 

 

 

このブログの目的は

 

「日韓関係を改善するにはどうするか?」

 

にあります。

 

 

 

そして筆者の考えでは「韓国の反日こそが

日韓関係を阻害している主因なのです。

 

 

 

そしてなぜ反日をするのかと言うと、

それは差別であり、面白いからだ、と言うのが筆者の考えです。

 

 

 

 

そうです。

 

 

韓国人は日本人を歴史にかこつけて批判し、

侮辱するのが面白いのです。

 

 

 

 

 

1965年6月22日に日韓基本条約が締結されました。

 

この間、日韓関係は紆余曲折を経てきましたが、

最近では、日韓関係は国交正常化以来最悪と言われています。

 

 

筆者の考えでは正常化以来、基本的に悪化していると思う。

つまり一貫して日韓関係は悪化してきているのです。

 

 

 

 

その理由はどこにあるのか?

 

それが先に書いた韓国の反日です。

 

 

 

 

韓国の行う反日は国家を挙げて、

日本を蔑むことを推奨しているのです。

 

 

 

まさに国家の主導するヘイトなのです。

 

 

 

 

 

しかしそれだけではありません。

 

 

 

 

もう一つ理由があります。

 

それが日本の自虐教育

=つまり日本を悪く言うことが正しいという教育です。

 

 

 

戦後の日本では戦前を否定することが正しいとされました。

 

 

あれだけの戦争被害を起こしたのですから当然と言えますが、

それ故にただ「日本が悪い」という結論に対して、

正しいという短絡的な思考が戦後蔓延することになります。

 

 

こういった自虐教育が自虐史観を生み出し、韓国の反日を刺激して日韓関係を悪化させているのです。

 

 

 

 

上記のように筆者は日韓関係悪化の原因を

「韓国の反日教育」と「日本の自虐教育」の2つだと思う。

 

 

韓国の反日教育によって、「反日は国是」という韓国世論を形成してきたこと、

日本の自虐教育によって特に中韓への「過剰な贖罪意識」を生み出した。

それが韓国の「常軌を逸した要求」を生み出し、日本の「不必要なほど積極的な謝罪」を生み出しているのです。

 

 

 

当ブログでは戦後の日韓関係を中心に、韓国の反日教育やその効果(特に現在、問題になっていることが、実は初期には全く問題になっていないが、ある時期から急に国家間の問題になるケース等)を、そして日本の自虐教育による過剰な贖罪意識を記していきたいと思います。

 

 

 

なぜ別のブログがあるのに、このブログにも書くのかというと、「反日は差別なり」は多くの記事を書いてきたので、過去記事を検索しにくくなっています。

 

 

それ故に過去の記事を選別して、特に筆者が言いたいことをまとめてみようというのが一つの理由です。

 

 

もう一つは「反日は差別なり」はヤフーブログで書いているのですが、

個々の記事が2千文字を超えると下が切れてしまうのです。

 

 

 

それ故にもう少し書きたいと思っても書けないことがありました。

 

 

今回はこれまで書いてきたブログ記事をまとめたいこと、そしてもう少し書き足したいことが理由で新たにブログを開設しました。

 

 

 

 

 最後にもう一度書いておきます。

 

 日韓関係が悪化している根本的な問題は、

「韓国人日本人侮辱するのがしいことだ。

 

 

 それも政府や一部の活動家ではなく、

一般韓国国民が、面白いから反日期待するのです。

 

 

この部分が分からないから、「交流を続けていけば日韓間は改善できる」とか「若い人たちの交流が大事だ」といった的外れな意見が出てくるのです。

 

 

日韓関係の悪化の原因、

それは…過去70年間の韓国の反日教育と、

日本の自虐教育の成果なのです。

 

 

今後、当ブログでは韓国の「反日行動」及び「その成果等」と

日本の「自虐行動」及び「その成果等」を

朝日新聞の過去記事を中心に記載していきます。

 

 

 

なぜ朝日新聞か?

それは日本の自虐教育と韓国の反日行動を一生懸命煽ってきた中心媒体であると

筆者が考えるからです。

 

 

しかし過去の記事を調べてみると、

意外にも韓国の反日行動を批判していたり、日本の行動を当然視していたりと、

現在の朝日新聞からは信じられないような記事や社説も書かれている。

 

 

 

当時と今の韓国や日本、

そして朝日新聞の変遷も併せて記載できたらと思います。