韓国の反日は差別だ!

韓国への反論をするための方法を提供

チケットキャンプ

韓国人が反日ができないと…「ああ・・・つまらん」


ああ……つまらん!



 筆者は、韓国が反日を行うのは面白いからだと書いた





韓国は歴史問題で日本を批判し、世界に向かって、

「日本人はこんなに悪い奴らですよ!」と主張する。


そうするとよく分からない(日本と韓国の区分もついてない)他国の人たちが、


「そうなのか!日本人はそんなに悪い奴なのか!」と同情する。


そうすると「ほ~らみろ!日本人を世界中が批判している。」


「お前たちは世界から孤立しているのだ。」


「だから、韓国に対して謝罪しろ!賠償しろ!金よこせ!金よこせ!金よこせ!…もっと金よこせ!」





なぜ…そうするのか?



そうすることが韓国人にとって、非常に楽しく面白いのだ


日本人を批判し、侮辱し、差別する
。ことが非常に面白いのだ。





これが日本国内向けのケースもある。以前はよくあったケースである。



韓国「日本はけしから~ん!」


日本の某政党 「隣国との関係が…」「誠意をもって…」


某弁護士協会 「法的責任を認めよ」


某大学教授達 「日本政府は前向きな対応を…」


某市民活動家 「謝罪と賠償を…」


韓国 「多くの良心的日本人が日本政府を批判している。」


「だから、韓国に対して謝罪しろ!賠償しろ!金よこせ!金よこせ!金よこせ!…もっと金よこせ!」以下同じ


最近は世論の反発もあって少なくなってきたが、以前はよくあったケースである。

それどころか韓国人が全く主張していないのに、
一生懸命ネタを探して韓国にご注進する運動家やジャーナリストもいた。







少し前にあった事例では…


韓国 「世界遺産の登録はけしから~ん!」


日本 「あっ?関係ねーだろ!」


韓国 「世界のみなさーん!日本が歴史を捏造していますよ!」


ドイツ 「おっ…おう!」


クロアチア 「あっ、ああ…!」


どうやらうまくいかないようなので!



ユンビョンセ外相 「日韓一緒に登録しましょう!」




韓国は、日本の邪魔をすることができなかったので、面白くないのである。

だからやめた。

多くの韓国人 「日本人の邪魔ができなくてつまらないなぁ!」


多くの韓国人 「ああ……つまらん!」


多くの韓国人 「さてと!他のネタを探すか!」


といったところですね!

えっ?A級戦犯が世界の称賛の的?日本の国連加盟!


A級戦犯は批判されていたのか?
・実際のA級戦犯の対応はこうだ
国連加盟時には全加盟国が反対しなかった。

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日本の首相がA級戦犯の合祀された靖国神社に参拝するのはけしからん。
A級戦犯侵略戦争の指導者であり、
そこに日本の首相が参拝することは被害国に理解されるはずがない。
そんなことをしているから日本は周辺国と関係改善ができないのだ。




今回はA級戦犯が本当に国際的に、特にアジア諸国で批判されてきたのか
ということを取り上げてみたいと思う。


例えば靖国神社に参拝することを反対していた韓国の金大中氏大統領は
A級戦犯の合祀がなければ自分も参拝したいと主張していた。


 実際に日本と闘った連合国やアジアの人々も
A級戦犯を毛嫌いしていたのであろうか?







国連加盟の代表へ



A級戦犯の一人、重光葵のケースを見てみよう。

1954-56年の鳩山一郎内閣でずっと外務大臣を務めていた。
その間多くの元連合国やアジア各国の要人と会談していた。


しかし全く問題にならなかった。



例えば中国の要人周恩来外務大臣 重光葵の来訪を心待ちにしていた。

周恩来氏「鳩山、重光両氏の来訪待つ」日本ジャーナリスト会議代表に

  1956年7月17日 朝日新聞2面



 このような中、日本は国連加盟を行う。
当時は日本の加盟に反対していたソ連と関係改善を行い、国連加盟に対して障害がなくなっていた。

 その国連加盟の代表に、日本は現役外務大臣重光葵を派遣したのだ。



日本の国連加盟は1956年12月である



 つまり戦争終結から11年しかたっていないのである。
当然、各国には日本と闘った時代を良く知っている人たちがたくさんいただろう。
日本と闘った兵士、外交官、被害にあった一般人。こういった人たちが大量に生きていたのである。


 調べてはいないが、当時の国連関係者の中にも日本軍の被害者やその知人がいることは容易に想像がつく。
そういう状況の中でA級戦犯重光葵が代表として国連加盟を訴えたのである。


 当然各国から非難轟々の嵐が吹き荒れたのだろう。


 後世の我々から見ると、そう思うかもしれない。しかしそんなことはなかったのである。


それどころか称賛の嵐だった。






称賛される元A級戦犯


日本は80か国目の国連加盟国である。故にそれまで79ヵ国が加盟していた。
そこでどうなったか?

賛成77票 反対0票 棄権2票


圧倒的多数で可決されたのである
(因みに棄権の2票はアジアではなく、南アフリカハンガリー)。


日本の国連加盟の提案はペルーが提案していた。
しかし共同提案国が徐々に増えていって最終的に共同提案国51ヵ国になった。

その中にはアメリカ、中国(国府)、イギリス、フランス、ソ連常任理事国5ヵ国と
インド、インドネシア、フィリピン、タイ、ビルマカンボジア、セイロン(スリランカ)といったアジア諸国
さらにカナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった東京裁判の参加国も入っている。


特にアジアはマレーシアやシンガポールベトナム等がまだ国連に加盟していないので、
それを除くと、日本と戦争中関係のあったほぼすべての国が「共同提案国」になっている。



 A級戦犯の代表になっている日本の加盟をアジア各国が認めているのだ。

 これでどうしてA級戦犯の合祀された靖国神社に参拝することは
アジアを傷つけるといえるのか?


 それに中国(共産党)も重光外相の来訪を望んでいたし、
韓国も何度も重光外相と会談を行っている。


つまりA級戦犯云々はのちの世代が作ったなのである。


加盟が決まった直後の重光氏への様子を当時の朝日新聞はこう伝える。

国連の:引用者注)正副議長から祝辞。タイ(ワン議長)、中国(蒋副議長)。
 インド(メノン代表)駆け寄って握手。  12月19日1面

 握手攻めの重光代表。和やかな気分ただよう!  19日夕刊3面

とてもA級戦犯に対する扱いとは思えない。



その後、重光氏は突然の死を迎える。朝日新聞の1957年1月26日1面にはこうある。

 重光氏死去。1月26日 午前0時25分

そして1月29日 朝日新聞1面はこう伝える。

 故重光前外相に黙とう。国連総会 全代表が1分間。

A級戦犯云々は後世のねつ造である。
そうでなければどうして日本とったかった連合国側が「黙とう」を捧げるのだ。


われわれは、中韓の言う歴史“認識”ではなく、正しい歴史的事実を知らねばならない。

「歴史問題」で、日韓の話が合わないその理由とは・・・!


・「歴史に学べ」日本と韓国の違い
・日本と韓国は歴史の考え方が違う
・日韓の歴史論争など不毛

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1.歴史に学べ

 前回「歴史に学べ」ということを検証した。
「歴史に学べ」とはプロイセンの宰相ビスマルクの言葉であり、
彼自身は「歴史に学べ」とは言っていない。

前回の記事に関してはこちらを参照してください。


彼は「他人の経験から学べ」と言っているのだ。
それは自分の経験を絶対視することなく、より多くの他人の経験から、
特に他人の失敗から学ぶことで、将来の失敗を防ぐことができる。


自分の経験より他人の方がたくさん経験している。
たくさん失敗している。その他人の経験を学ぶことで、
自分は失敗を未然に防ぐことができるのだ。


まあ筆者は他人の経験の集合体が「歴史」だと思っているので、
「他人の経験」=「歴史」と読み替えても問題ないだろう。



つまり巷間言われているように
「賢者は歴史(他人の経験)に学ぶ。
愚者は経験に学ぶ」
ということだ。


そして日本で歴史に学べという多くの人が、
実は歴史に学んでおらず、自分の経験のみを重視していること、
そして最初から「日本が悪かった」という結論ができていることを書いた。


そして韓国でも同様であることを書いた。





なぜそうなるのかというと、彼らは傲慢だからだ。


「自分たちは絶対に間違っていない」「自分たちこそ正しい」


こういう根拠不明の思い込みがあるから、
上から目線で他人に「歴史に学べ」などと言えるのである。


その実、自分は決して歴史(つまり他人の経験)から学ばず、
自分の経験を絶対視することになる。



こういう話を聞いたことはないだろうか?

戦争は絶対いけない。
昔、わしは子供のころ空襲を受けて、友人も大勢亡くした。
腹が減っても食べ物もなく、家は焼かれ、着る物もなかった。
こういう悲劇は二度と繰り返してはいけない。
だから戦争を無くすためにも憲法9条は守らなければならないのだ。

戦争を無くすことは賛成だが、
それがどうして憲法9条と結びつくのか?その根拠となっているのが、
子供のころ戦争で悲惨な思いをしたということだ。



しかしそれは9条とは結び付かない



9条と結びつくのは「9条があれば戦争が起きない」という信念なのだ。
その信念が教育によるものか?周りの影響によるものかは人それぞれだろうが、
「9条=平和」という図式ができてしまったことは事実だろう。


もっと端的に言えば9条支持者は宗教信者と同様なのだ。



 「自分の考えは絶対間違っていない。自分は正しい。」

 そう考えるのは人の性だろう。しかし「歴史に学べ」とはその対極にあるのだ。



 本来「歴史に学べ」とは
 「自分が間違っているかもしれない」という謙虚な気持ちなのだ。
 間違っているかもしれないからこそ、他人から学ぼうとするのだ。


 大体自分が間違っていなければ、他人から学ぶ必要はない。
 他人から学ぶというのは「自分が間違っているかも…」という前提があるからだ。


 しかし9条が絶対に正しいという人々は、「間違っている」とは思わない。
 より強固に絶対に正しいと思うのだ。


 歴史に学ぶのは謙虚でなければならない





2.日本の歴史

 ところで先にビスマルクの言葉として「歴史に学べ」という言葉を書いた。
そしてその目的は「将来の失敗を未然に防ぐ」ということだ。


 実は日本の歴史というのもそれに近い。
日本で歴史に学べというのは「将来失敗しないため」である。


 現在とは、過去から見ると将来である。
過去の時点で考えていたこと、行動したことは芸罪からは自明である。
そして現在の結果もわかっている。


 そして現在も将来から見ると過去になり、将来は現在になる。


 つまり過去から現在起きたことを学べば、将来を予測することができる。
過去にこう考え、こう行動したが故に、現在の結果はこうなっている、というのなら、
現在こう考え行動したことは将来こうなる、というように。


 過去を学ぶことで、将来の失敗を防ぐことができるのだ。



 そのためには必ずしなければいけないことは正しい事実である。


 過去にどう考え、どう行動したのか?その正しい事実を収集しなければならない。
間違った事実を収集しても将来への教訓にはならない。



 炭素と酸素を混ぜても水はできない。
何度やっても二酸化炭素しかできないのだ。
それは「正しい事実」ではないからだ。


 酸素には水素を加えなければならない。
そうすると水ができるのだ。


 炭素と酸素という間違った事実を前提にしては間違った結論にしかならない。
水素と酸素という「正しい事実」を把握することが重要になる。



つまり「正しい事実」とは「嘘はいけない」ということだ。
「嘘」を前提にすると、将来、失敗をする。将来の失敗をしないために「歴史(他人の経験)に学ぶ」のに、
「嘘」前提にすると当然、将来失敗を繰り返すことになる。


将来の失敗を繰り返さないためにも」は厳禁なのだ。







3.韓国の歴史

ところで韓国も歴史を重視する。
歴史に学べ」と声高に叫ぶのはむしろ韓国で、
そういう面で日本より歴史を重視しているように思われる。


しかし…そうではない。


日本と韓国では歴史に対する考え方が違うのだ。


どういうことかというと、
日本の「歴史に学べ」とは「将来の失敗をしないため」であり、
韓国の「歴史に学べ」は「現在の自分たちを擁護する」ものだからだ




 韓国は儒教の国である。

 儒教とは神のいない宗教だ。
キリスト教イスラム教は「唯一神」の宗教で、神の言葉を重視する。
神は全知全能で、不死で、永遠に存在する。


 故に神との契約はいつまでも続くことになる。




 聖書やコーランは神の言葉だ。それに逆らうことは許されない。
故にキリスト教イスラム教は解釈の幅は多少あるが、やるべきことが決まっている。



しかし儒教にはそれがない。



 儒教は天という存在はある。
そこから天子(つまり中国皇帝)を遣わし、地上を治めることを認める。
 その天子がどうしてわかるのかというと、乱世の中で勝ち残るからである。
秦の始皇帝しかり、漢の高祖しかり、広い中国で戦い、
勝ち残ることこそ天から遣わされた証拠となる。


 そして天子がその地位についたら、何をやってもよいのだ。


 当然、前政権のやったことをひっくり返しても、また継続しても何をやっても良いのだ。
キリスト教イスラム教はそこが違う。彼らは聖書やコーランに書いてあることを無視することはできない。

 これらは神との約束なのだから、一方的に破ることは神を裏切ることになる。


 故にどんな破天荒な奴が出てきてもイスラム教徒である限り、
コーランを無視する」などとは言えない。



 しかし儒教にはそのような聖典はない。
もちろん「大学」や「中庸」「春秋」「孟子」などの経典はある。
彼ら儒者もその経典を大事にしている。


 しかしそれらは事例集にすぎない。


 儒教の世界ではそれらの経典を暗記して、
必要なことにその事例を引っ張り出せる人が偉いのである。


 昔の王様が「あれはどうすればよいと思うか?」と下達すると、
それに答えて「孟子によると○○○○でございます。
主君としてはそのようにされるべきでしょう」というのだ。


 しかし他方で別の者が口を挟み
「いえいえ、春秋によると××××です。王としてはそのようになさるべきです。」と口を挟む。


 こういう事例を膨大に覚えておき、
必要に応じて、素早く主君に質問に答える人こそ出世するようになるのだ。



この儒教の国こそが韓国なのだ。


 韓国にとって歴史とは現在の自分(もしくは主君)を擁護し、
正当化するためのモノなのである。


 
 彼らの歴史の議論を聞いていると決して認めない。
どんな根拠を提示されても、どんなに矛盾を指摘されても認めないのだ。


 それは認めると「現在の自分にとって都合が悪い」からである。
誤りを認めることで、自分の説得力が低下する、自分の信頼が低下することは都合が悪いのだ。


 日本人的な感覚からすると、「誤りは早く認めた方が傷は浅い」と思うのだが、
彼ら韓国人はそう考えない。


 認めることは現在の自分にとってマイナスなのだ。






4.日本の歴史と韓国の歴史

 日本の「歴史に学べ」が将来の失敗をしないためであるのに対して、
韓国の「歴史に学べ」は現在の自分を正当化するためである。


つまり両者は考え方が違うのだ。



 日本は将来失敗しないために、ミスをミスと認める。
それを早く認めた方が誠実だと思われる。
しかし韓国は現在の自分を守るためにミスを隠ぺいする。


 そこで使われるのが「」なのだ。



 日本のように「将来失敗しないため」であれば、「嘘は厳禁」である。
嘘を事実のもとに教訓を得ても将来の失敗を避けられない。
 水を作るのには水素と酸素を混ぜるのだ。決して炭素と酸素ではない。
そうすると失敗する。水素と酸素を混ぜるという事実を記載して、
後世につないでいくことが必要なのだ。



 しかし韓国のように「現在の自分を擁護、正当化」するためなら「嘘」であっても構わない

 と…いうより」の方が望ましい


 「事実」は融通が利かないものだ。
もう少し何とかしたいと思っても「事実」は冷徹に存在する。
そこは「過去」になっているので、特に手を出しにくいものがある。


 しかし、は融通無碍だ。

 如何様にでもオーダーメイドができる。必要に応じて加えることも差し引くこともできる。
在日コリアンは強制連行された」「慰安婦は性奴隷だ」「靖国参拝は韓国人を傷つける」
みんなだが、それによって現在の韓国人が日本人から搾取できるというメリットがある。


同じ「歴史に学べ」という言葉でも、
日本は将来の失敗をしないため、韓国は現在の自分たちを守るために使っている。


同じ言葉でも使っている意味はまるで違う。
日本は事実を、韓国は嘘をつくことが「歴史に学んでいる」のである。


こういう両者が歴史議論などしても意味はない。
韓国は自分たちの主張こそ「正しい歴史」なのであり、
それを認めない日本は悪い国なのだ。


日本にとって「正しい歴史」とは正しい事実に基づくものだ。
正しい事実に基づかなければ同じ失敗を繰り返す。
そうなりたくないためにも正しい事実が重要なのだ。



日本と韓国で歴史論争をすると、
日本人は根拠を挙げて相手を説得しようとする。
しかし韓国は根拠など求めていない


彼ら韓国自身を正当化するものが正しい歴史なのだ。


そして「正しい事実」を提示して韓国の言い分に反論する日本人に、韓国人はこう言う。


韓国への愛はないのか?

韓国にとって歴史とは自己弁護の手段なのだ



 

韓国独立運動家の告白 その驚愕の内容は現在の韓国史を書き換える!


わかりやすい韓国の歴史
国定韓国小学校社会科教科書 P127  赤字は筆者

大韓民国臨時政府は、中国の諸地域に散在して闘っていた独立軍を一つに集めて光復軍を組織した。 ~略~
光復軍は祖国の独立を取りもどすために、きびしい訓練をしながら時期を待っていた。
ついに日本が第二次世界大戦を起こした。
そこで、臨時政府は日本に宣戦布告をして、連合軍と連絡をとりながら独立戦争を展開していった。 ~略~
 このように民族全体が国の内外で力を合わせて日本に対抗したので、ついに私たちは光復を迎えることができた。


これは1997年の韓国の小学校の国定教科書である。
少し古いが、その後もあまり変わってはいない。
(ただし現在は、国定教科書がなくなり、複数教科書が認められている。)



ここでは韓国が独立運動の結果、日本から独立したことが謳われている。



一方、こう言った証言もある。


「えっ!倭敵が降服!」
 これはわたしのとっては、嬉しいニュースというよりは、天が崩れるような感じのことだった。
~中 略~
 それよりも心配だったのは、われわれがこの戦争でなんの役割も果たしていないために、
将来の国際関係においての発言権が弱くなるだろうということだった。

金九著 白凡逸志(ペクポムイルジ) P302~303 
赤字は筆者

戻ってみると、わが光復軍は、
自己の任務に就きえずして戦争が終わってしまったことにがっかりしてしまい、
沈鬱なふんい気にひたっていたが、アメリカの教官や軍人たちは、
秩序もなにも忘れるほど喜び騒いでいた。

金九著 白凡逸志(ペクポムイルジ) P303
赤字は筆者

金九は大韓民国臨時政府のトップを1940年~1947年後
(つまり光復後)までやっていた人物であり、光復軍の産みの親でもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%B9%9D

その人物が「なんの役割も果たしていない」
「わが光復軍は、自己の任務に就きえずして戦争が終わって」しまった、
と述べているのである。



さらに同じく独立運動家で、後の民主運動家の咸錫憲は

われわれがまず明らかにしなければならないことは、
この解放が盗っ人のように不意に訪れたということだ。
解放後の腹立たしいこと、醜いざまは一つや二つではないが、
その中でもほんとうに腹立たしいのは、
この解放を盗もうとするやつらの多いことだ。

咸錫憲著 苦難の韓国民衆史 P302  ※赤字は筆者


それは嘘だ。~略~ それほど先見の明があったなら、
どうして八月十四日までへりくだって服従していたのか。 ~略~

そういうことはやめて素直になろう。君も僕もみな知らなかったのだ。 
~略~ 神社参拝しろといわれれば腰が折れんばかりに拝み、
姓を改めろといわれると競い合って改め、
時局講演といえばありったけの才能を傾けて語り、
米・英を罵倒し、転向しろといわれれば実にアッサリ転向し、~略~

咸錫憲著 苦難の韓国民衆史 P303   ※赤字は筆者


全くぼろくそである。
「盗っ人のように不意に訪れた」解放を、
まるで分かっていたかのように、
したり顔で主張する人物を痛烈に批判している。




また所謂、独立運動家にも批判的である。 

また海外流浪何十年と格好はよいが、~略~ 
ハワイやサンフランシスコではアメリカ人の召使いをしながら勢力争いをし、
重慶・南京ではとうもろこし粥をもらって食いながら地位争いをしていた人たちが、
~略~ この国が解放されるとあらかじめわかっていた人など一人もいないのだ

咸錫憲著 苦難の韓国民衆史 P303   ※赤字は筆者



咸錫憲は後に2度もノーベル平和賞の候補になった人物である。



結局、韓国のほとんどの人物が独立運動などしていない。
少数の例外的な独立運動家を針小棒大に取り上げることにより、
歴史を捏造しているのが、韓国の教科書である。



実際、先の小学生向けの教科書の中には複数の間違いがある。

「日本が第二次世界大戦を起こした」とかはまあ置いておいて
(実際は、ドイツとソ連ポーランドへ侵略して始まった)、
その他にも明らかな嘘がある。


・日本に宣戦布告 
→明確な嘘!臨時政府は日本に宣戦布告をしていない。
宣戦布告文書を作っただけ。

・連合国と連絡をとりながら…
→連合国側で、臨時政府を承認した政府はない。
「連絡をとり…」は嘘ではないが、誤解を招く表現である。

独立戦争を展開
→宣戦布告もせず、ましてや日本軍と戦闘をした実績は皆無なので、
独立戦争は明確な嘘。
事実、連合国側に認められず、サンフランシスコ条約にも呼ばれなかった。


実際には、光復軍は全く何の役にもたっていない。

しかし韓国の教科書では自分の力で独立したと書いてあるのである。

これは全くの歴史の捏造である。

歴史に学ぶということ…日本で歴史に学べという人は「学んでいない」

・「歴史に学べ」と言う人は歴史に学べない
・日本で学ぶ歴史は「日中戦争」と「太平洋戦争」だけ
・韓国は歴史に学べない
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<目 次>

1.日韓の歴史解釈
2.民主主義の原則
3.「歴史に学べ」の意味
4.歴史に学べない横柄ない人
5.個人の経験で判断する愚
6.個人を国に置き換えると
7.韓国は民主国家か?







1.日韓の歴史解釈

 日本と韓国の間には歴史問題というものがある。
「教科書問題」「慰安婦問題」「竹島問題」「靖国問題」すべて歴史が関わっている。


 「歴史問題」とはいわば歴史の解釈の問題である。

歴史的事実をどう捉えるか?どう解釈するか?

それが問われているのだ。



例えば日韓では1910年に「日韓併合」と言うものがあった。
これは当時の大韓帝国が日本に併合され、国を無くしてしまったことを表している。


この事実に反対の論者はいない。
日本でも韓国でも「日韓併合」という事実に争いはないのだ。


しかし解釈には違いがある。

日韓併合と言う事実に関して、日本は「合法に結ばれた」と主張して言うのに対して、
韓国は「無効である」と主張している。


つまり日本は1910年当時併合条約が結ばれたのは「合法」という解釈なのだが、
韓国では暴力的に併合されたので「無効」であるという解釈だ。


実際に1965年の日韓基本条約を締結するに際して、

「もはや無効」と謳った


つまり日本側は「1965年時点には無効になっている」という解釈ができるし、
韓国側は「最初から無効である」と解釈ができる。


こういう玉虫色な解釈ができる条文になっているのだ。


 ここでは解釈が違うのだから、外交テクニックとしてこのような手段を使っている。
その前提として両国とも都合の良い解釈を使うという暗黙の了解がある。


 しかし実際には韓国側が、日本に自国の解釈を押し付けることが多いが…。



 このように解釈の違いが後々のトラブルになる。
しかし先に書いたようにそこに暗黙の了解があれば問題はない。
しかし暗黙の了解がなく、もしくはあっても一方的に破棄する場合、
両国間で深刻なトラブルになる。


 そしてその際に起きるのが、解釈の強要である。
つまり先の例で言うと「日韓併合は最初から無効と認めろ」と要求する韓国政府がそうだ。



 日韓間の歴史問題とはそのような解釈の違いと、解釈の強要によって起こっている。
 

 それもほとんど韓国側の強要によって起きているのだ。






2.民主主義の原則

 このブログでは日韓関係を中心に書いている。
日本には中国との間でも歴史問題があるが、この際は無視する。
故に当事者としては「日本」と「韓国」を前提とする。


 ところで日本も韓国も民主国家である。


 民主国家とは「国民が主権者」である。
主権者とは色々な定義があるが、いわば最終決定者であり、
日本も韓国も国民の名のもとに最終的に決定する。


 例えば両国とも(もしくは他の民主主義国も)条約を締結するにあたって「批准」という行為をする。
これは国民に選ばれた政府が他の政府と合意して条約を締結しても、最終的に国民の了承を得なければならない。


 その国民とはいちいち国民投票にかける訳にはいかない。
そのために国民の代表者を決めて、そこで審議をして、議決をして決定することになる。


 これが国会で、そこで国会議員が決定することが、国民が決定したことになる。


 
 そして民主主義国には色々な原則がある。
基本的人権の尊重」であるとか、「思想信条の自由」とか「国民主権」とか。


 その中で言論の自由というものがある。


 「言論の自由」とは自由に意見が言えることであり、それを制限されてはならない。
しかしそれは言論に対して無批判であることを意味しない。


 言論が認められるということは、それに反対することも認められなければならない。
反対することは言論弾圧ではない。



 つまり民主国家とは「言論の自由」が認められなければならないし、
そのためには反対意見も認められなければならない。
自分の意見と違うことをもってその意見を排除することは民主国家とは言えない。



 つまり韓国政府の意見と違うことを持って、それを排除し、弾圧してはいけない。
ましてや意見が違う人たちと話し合うことも拒否する態度ではならない。


 民主国家では歴史の解釈が違うことをもって排除してはならないのだ。





3.「歴史に学べ」の意味

 「歴史に学べ」という言葉はビスマルクに言葉である。

 ビスマルクについてはこちらを参照



 実際には「歴史に学べ」と言っているわけではない。
それはこのような意味である。以下に引用する。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。
私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。


ビスマルクは他人の経験から学ぶと言っているのであって、
歴史に学ぶとは言っていないそうであるが、ここではどうでもいい。


 筆者は「歴史」=「他人の経験」であると思っているので、
他人の経験(特に失敗)から学ぶことは、「歴史に学ぶ」のと同義語である。


 つまり自分の体験や経験を絶対視し、
その他の意見を聞こうともしないということは「愚か者である」と言っているのだ。


 これこそがビスマルク言葉の肝である。








4.歴史に学ばない横柄な人

よく大上段に振りかざして、「歴史に学べ」と述べている人がいる。

 大体そういう人がいう「歴史」とは「太平洋戦争」や「日中戦争」のことである。そしてその結論は決まっている。

 
 日本が悪かった!

 こういう人によると、日本は良いこともやったという人は歴史に学んでいない人になる。


 少し考えるとおかしいことが分かる。


 歴史を真摯に学んだ結果、日本は韓国に良いことをやった
というのはあってしかるべきなのである。


 しかしこれはダメなのである。


 彼らの中では、日本が悪いことをやったのは自明のことだから、
真摯に歴史を見れば「日本が悪い」という結論にしかならないのである。






5.個人の経験で判断する愚

 毎年の年中行事になったが、8月15日に近づくと戦争中の被災者が出てきて、
こんな大変なことがあった。こんな苦しい思いをした。と訴える映像を流す。


 これらを見ていると、可哀そうだと思うし、大変だと思う。
私はこんな経験はないので身をつまされる思いがする。


 しかしドライに言ってしまえば、これは一つの経験に過ぎない。
歴史家で作家の保坂正康によると、
「日本人が空襲を受け、被害を受けたのは終戦の約1年前からで、
それまでは被害を受けなかったので、むしろ積極的に軍を応援していた」と主張している。


つまりこういう被害者も勝っている当時は、
全く別のことを言っていた可能性があるのだ。



 そして気を付けなければならないのは、

「可哀そうと思うのは感情である」ということだ

 政治的な行動をとる時(つまり法案審議等)には、
感情ではなく理性で行動しなければならない。
 そして理性的な行動とは「好き嫌い」で判断するのではなく、
「良いか?悪いか?」で判断すべきことなのである。



「可哀そう」と思うのは個人の感情であり、思考の停止につながる。
それを法案審議と重ね合わせにすることは慎むべきである。


「私はこんな悲惨な目にあった」→ 「だから戦争はダメ」 
→ 「だから9条改正はダメ」という、お年寄りの訴えに思考の停止になってはいけない


それとこれとは話は別であり、日本の安全保障環境が悪くなることは、むしろ戦争を誘発する。
故に日米同盟強化のために、自衛隊憲法に位置付けることはむしろ戦争を排除する事に繋がる。
故に憲法改正は賛成である。

と主張しなければならない。





6.個人を国に置き換えると

 先程のビスマルクの言葉は
「自分の経験を絶対視し、他人の経験に学ばない人は愚かである。」と言っているのであるが、
これを国に置き換えると以下のように主張することができる。


自国の、特に特定の経験を絶対視し、
他国の経験に学ばないことは愚かな国である。


そう…歴史に学べというと「日中戦争」と「太平洋戦争」だけを教訓にし、
結論も「日本は悪かった」しか許さない人びとは、愚か者なのである。


今、中国とベトナムで何が起きているのか。中国とフィリピンで何が起きているのか?
ウクライナはロシアを侵略したのか?イスラム国は?ポゴハラムは?


学ぶべき他国の経験は現代でもたくさんある。それを無視し、
70年前の自国の特定の経験だけを絶対視することは、真正の愚か者と言わざるを得ない。







7.韓国は民主国家か?

 こう考えると韓国が民主国家かどうか疑わしくなる。
韓国は国民が選んだ大統領が君臨し、5年に1度の選挙がある。
それに4年に一度の国会議員選挙もある。


 こういう状況を見ると民主国家と言えるだろう。


 しかし歴史問題で、日本の主張を全く受け入れず、
自国の主張を繰り返すだけの国家が歴史に学んでいると言えるのだろうか?


 自分と異なる意見も容認する民主国家と言えるのだろうか?



 韓国が民主国家であると証明するのなら、日本と歴史問題で議論をするスタンスを示さなければならない。
そして他人(つまり日本)の意見を尊重しなければならない。


 韓国の態度は歴史を重視する態度ではなく、歴史を蔑ろにする態度だ。
こういう国とは歴史問題で話し合うことはできないだろう。






まとめると、

1.歴史に学べという人を信じるな。
歴史に学べという人は、自分は学んでいない。
なぜなら自分が歴史を知っていると思い上っているから。
思い上がっている人は謙虚に学ぶことはできない。


2.被災者の意見に思考の停止をするな
戦争被害者の意見は貴重ではあるが、一つの経験に過ぎない。
その経験を絶対視して、感情的になり、思考の停止になってはいけない。
理性的な判断を下すべきである。


3.自国の特定の歴史を絶対視するのは愚か者である。
ビスマルクの言葉を国に置き換えると、自国の経験を絶対視し、
他国の経験から学ばないものは愚か者である。


4.韓国は民主国家ではない。
自国の歴史と違うからと排除するのではなく、
違う意見も尊重しなければならない。



 我々は賢者ではないかもしれないが、
愚者にはなりたくないものだ。

安倍晋三の人気はないが、岸信介は韓国の人気者


安倍晋三は韓国で人気がない
岸信介は韓国で人気だ

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お爺さんは人気者

総理大臣の安倍晋三は、
現在、森友学園加計学園の問題で多くの国民から批判を集めている。


元々第2次安倍政権が始まってから4年以上たつのに
支持率が50%を上回るなど高い支持を集めていた。
それが学園の不祥事や安倍首相の国会答弁を巡って
国民の批判が高まっている。


それ故に東京都議会議員選挙では
歴史的な敗北を喫したのだ。





しかし最近反発し始めた日本国民とは違い、
安倍政権発足時から批判しているのは日本ではなく、韓国国民だろう。



 
各種の調査を見ても世界各国で日本に対する好感度が高いのに、中国と韓国だけが突出して低い。
中国は政府主導の反日だが、韓国は一般国民の中にある草の根の反日である。



故に問題は深い。



 もちろん韓国国民が安倍首相を嫌うのは、
彼らの基準で「極右政治家」であるからなのだが、彼のお爺さんは違った


安倍晋三の祖父と言えば言わずと知れた

岸信介である。

 太平洋戦争開戦時の閣僚であり、戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨に抑留され、
その後釈放されて、政界に復帰。見事に総理大臣の地位を得た。


またの名を昭和の妖怪


 このような人物が韓国で人気だったことはあまり知られていない。


1959年6月14日 朝日新聞2面に以下のような記事がある。

 >>
岸株、韓国ではおとろえず。

韓国の擁護をする良心的日本人 彼らを駆り立てる3つの理由とは?

・日本の悪口を言う良心的日本人
・彼らが悪口を言う3つの理由
・良心的日本人こそ、日韓関係悪化の原因

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


日本人でありながら、
韓国に迎合する人がいるのはどうしてか????

この文章は以下の目次に沿って進めます。

1.日本の謝罪
2.良心的日本人の存在
3.韓国寄りのスタンス
4-1.保守派を叩く面白さ
4-2.親の世代を叩く面白さ
5.贖罪意識の解消
6.惰性への迎合
7.まとめ






 戦争が終結した1945年。その後、日本と韓国は没交渉になる。
日韓が国交を正常化するのは、その20年後の1965年である。
その間、韓国大統領が来日することはあったが、日韓間は冬の時代だった。





1.日本の謝罪

 そして1965年に日韓基本条約が締結し、日韓の国交は正常化される。
しかし日韓関係は関係改善するどころか、むしろ悪化の一途を辿ったというのが実情ではないか?


 一例を挙げよう


 日韓関係が正常化する前の1950年代に朝日新聞が韓国で聞き取りした記事がある。
その記事は国交正常化に関して韓国の各界の人物にインタビューしている。
 そこで韓国人が求めるのは当時の吉田首相の謝罪だった。


 しかしその方法はそれほど拘っていない。
ある人物は「日本の国会で野党の質問に答える形でも良い」ので、
そこで謝罪の言葉を述べて欲しいと言っている。

 韓国に直接ではなく、日本の国会で野党の質問に答える形でいいから、
謝罪の言葉を言って欲しいというのが当時の韓国の要望だった。



 その後、1965年に国交正常化をするが、
その直前に日本の外務大臣椎名悦三郎訪韓する。
そこで外務大臣が韓国政府に謝罪の言葉を2回述べる。

 その時の韓国メディア、韓国政府の反応は

 「日本の謝罪が実現した」
 というものだった。



 その後1984年、韓国の全斗煥大統領が来日した。
実は有史以来、朝鮮半島のトップが公式訪問するのは初めてのことだった。
 当然、韓国の日本に対する公式訪問も初めてだった。


 その時に行われたのは昭和天皇による謝罪だった。陛下は遺憾の意を表した。

 天皇陛下は象徴なので政治的発言はできない。
しかし直接支配した天皇陛下として謝罪の言葉が欲しいという韓国側の要望。
そして韓国の全斗煥大統領と親しかった中曽根首相の意向もあり、陛下の謝罪となった。



 その後1990年、昭和天皇崩御により、現陛下に代わっていたが、
当時の盧泰愚大統領は天皇陛下の謝罪の言葉を求めた。
 

これは1984年の「遺憾の意」というものより強い言葉が欲しいという韓国側の意向があったからだ。
先に書いたように天皇陛下は政治的発言ができない。
それ故に踏み込んだ発言には抵抗もあったが、調整の結果「痛惜の念」と言う言葉が使われた。


当時の盧泰愚大統領は

天皇陛下が謝罪した。総理大臣も謝罪した。
衆議院議長も謝罪した。これ以上どうしろと言うのだ?」

と評価していた。




しかし現在の日韓関係は改善しているのだろうか?



2012年 李明博大統領は天皇陛下訪韓に触れて
「“痛惜の念”などと言うくらいなら訪韓しなくていい。
独立運動家に土下座しろ」と暴言を吐いた。


これまで日本が誠意を示して謝罪するたびに、
韓国は誠意を踏みにじってきた。それが歴史的な事実である。


韓国は日本に対して謝罪を求めているのではなく、
日本人を侮辱するのが面白いからやっているのだ。面白くて楽しいからやっているのだ。


その面では日韓関係が悪化しているのは、韓国側に大いに責任がある

しかし韓国だけの責任なのだろうか?


実は日本側にも大いに責任がある。
今回はそのことについて書いていきたい。






2.良心的日本人の存在

日韓関係を悪化させている日本側の要因とは「良心的日本人」の存在である。


 「良心的日本人」とは日本人でありながら、韓国や中国側の意見を代弁する人たちである。
その中にはむしろ日本の不利益になることを積極的に行う人たちがいる。
見ていて「なぜそんなに日本ばかりを批判するのか?」と思ってしまうが、
彼らにとってはお構いなしなのだ。



彼らはどうして日本を批判することを繰り返すのか



その理由を彼らに聞けば、こう答える。

「日本が嫌いだからやっているのではない。
むしろ日本を愛するが故に苦言を呈するのだ」

「日韓関係が悪化しているのは日本が真摯に謝罪しないからだ。
日韓関係を改善するために心を鬼にして日本を批判して謝罪を引き出そうとしているのだ」



つまり日本のために日本の批判をしている

というのだ。



日本を愛するが上に、日韓関係を改善する上に、日本の謝罪が必要で、
そのために活動しているというのが彼ら「良心的日本人」の言い分だ。



しかし筆者は断言する。それは…と。







3.韓国寄りのスタンス

 彼ら良心的日本人は日韓関係を改善するために活動しているという。
しかし韓国の反日行動には批判をしない


 例えば韓国政府の慰安婦報告書では20万人に慰安婦と書いてあるが、
それに対して批判する良心的日本人はほとんどいない。
彼らのスタンスは韓国の代弁者になり、
日本を批判することのみ(もしくはほとんど)なのである。


多くのケースで日本にのみ謝罪を求め、韓国を擁護するそのスタイルは、
日韓関係を改善するという(当人の)主張を疑わせるのに十分である。



そうすると彼らはなぜ韓国よりのスタンス、韓国寄りの主張をするのであろうか?
彼らを韓国寄りに駆り立てているものは何なのか






彼らを日本批判に走らせている要因はつある

(1)日本を叩くことが面白い。
(2)過剰な贖罪意識を解消するため
(3)昔からの惰性で。


つまり「面白いから」「贖罪意識の解消のため」「惰性で」という
3つの理由があると考える。


ではまず面白いという部分を見てみよう。







4-1.保守派を叩く面白さ

 では面白いとは何か?
ここで物事を単純にするため、自民党社会党を比較して見てみよう。


 社会党は日本政治の一方の雄として、自民党に対抗する存在であり続けてきた。
1955年に社会党の右派と左派が合併し、社会党になってから、
ほとんどの期間、野党第一党であった。
保守系自由党民主党が合併したのは社会党の統一に煽られた面が強い。


 最大時は衆参で200を超える国会議員を確保し、
多くの労働組合を支持基盤にし、特に都市部においては強い支持を獲得していた。



 しかし村山内閣ができると、これまでの党是であった「自衛隊違憲論」を撤回し、
反対していた「消費税を容認」するなど迷走し、多くの支持者が去っていった。


 現在、後継の社民党衆議院参議院で計しかいない。
 2017年9月現在
 社会党には多くの議員や多くの支持者がいた。そして多くの大学教授や評論家、ジャーナリストなども支持していた。


彼らは政治的に敗北したのである。


 誰が何と言おうと完膚なきまでに、自民党に敗北したのである。
社会党としては悔しいし、残念だろうが、事実なのである。


 そういった政治的な不遇、不満は何かで解消したい。
それが「反日行動」に走らせている一因である。


 そして自分たちを負かした自民党(政権)を叩いてくれる存在(中国・韓国)は、
政治的不遇を解消するありがたい存在なのである。


 自民党=日本政府なので、日本政府を叩くこと、
そしてその日本政府を支持している日本人を叩くことで、自己の留飲を下げているのである。




 確かにリベラルはそうかもしれない。例えば福島瑞穂氏はそうだろう。
しかし政治的不遇とは無縁の「村山元首相」や「河野洋平氏」は
どうして反日行動を起こすのか?と疑問に思うかもしれない。


しかし両者も政治的に不遇だったのである。



確かに社会党出身者でありながら、総理大臣にまでなった村山氏は不遇とは思えないだろう。
しかしそうでもないのである。村山氏はそこで「自衛隊」と「消費税」を容認してしまうのである。


 それ以降社会党=現在の社民党は凋落の一途を辿った。社会党滅亡のA級戦犯と主張する論者もいるのである。




 河野氏に関しても、将来の首相候補と言われていた。
彼が国会議員になったのは30歳のころ、
河野一郎の息子として、知名度もあり、党内の支持者も多かった。
1974年には総裁候補の担ごうという動きまであった。
まだ3回生で議員歴7年の37歳に対してである。


 今でいうと小泉進次郎議員と同じような立場であった。


 しかし新自由クラブを作り、自民党を下野した時からおかしくなり、
最大派閥の田中派の怒りを買った。

約10年後には自民党に出戻りし、不遇の時代を過ごす。
最近の谷垣氏まで、河野洋平氏は唯一、自民党総裁でありながら、
総理大臣になれないという不遇を味わった。


 河野氏や村山氏の場合は「贖罪意識」や「惰性」というのもあるかもしれないが、
政治的不遇を晴らすためという側面も見逃せない。
そういうと「野中広務」「古賀誠」「加藤紘一」「鳩山由紀夫」「菅直人」といった顔触れは
みんな政治的不遇を囲っているのである。


 政治的不遇という言葉をもう少し噛み砕いていうと、
「日本人に相手にされていない」ということである。
だから反日行動をすると「韓国人」や「中国人」が相手にしてくれる。
だから彼らの望むような行動をとることで彼らの歓心を買おうとするのである




 よくリベラルの人は嫌韓行動を

「実生活の不満を嫌韓行動で憂さ晴らししている。」
といった主旨の批判をしている。


 確かのそういった人もいるだろう。

 しかしこれはむしろリベラルの人たち、良心的日本人の人たちにこそ当てはまるのだ。


 良心的日本人こそ、自分たちの政治的不遇(=嫌いな政権ができる等)を解消するためにやっているのである。


 そして自分たちの政治的主張が受け入れられない日本を叩くことで楽しんでいるのだ。



実は「面白い」というのはもう一つ意味がある。それは世代間闘争である。






4-2.親の世代を叩く面白さ


世代間闘争とは何か?

 簡単に言うと、「親の世代を叩くことの面白さ」である。


 我々にはいつの時代も世代間で意見の相違がある。
昔の洞窟にも「最近の若い者は!」という文字が彫ってあったし、
若者は「今の大人はダメだ」と思っている。
このように各世代で意見の相違があるのである。そしてこれは自然のことなのだ。


 親の世代は「最近の若い者は」と言い、若者は「大人は汚い」という。
いつの時代にも引き継がれてきた「古い闘争」である。
明治維新大正デモクラシーも226事件も60年安保も
1968年~70年の学生運動もある面で見れば世代間闘争である。
古い時代と新しい時代とのせめぎあいである。


そして必ずしも新しい世代が勝つわけではない。


明治維新大正デモクラシーは若い世代が勝ったかもしれないが、
226事件や60年安保、学生運動は若い世代が敗れたのである。


 そして若い世代にとって、一方的に大人の世代を叩くことができた世代がある。

 それが終戦である。


 終戦当時、それまで威張り腐っていた大人たちは敗北にひしがれた。
特に軍人たちや軍国主義を煽っていた輩は発言権を失った。
終戦当時の大人の世代は多かれ少なかれ、戦争の遂行に協力していた。


 それに対して当時の子供たちに責任はない。
彼らの中には軍国少年も多々いたと思うが、
それも子供なのだから責任を問われるものではない。
そしてなおのこと、空襲被害にはあっている。
つまり彼らは軍国主義の被害者という立場でもあったのである。



 軍国主義の被害にあい、そしてその当時の大人の世代を一方的にたたく権利を得た世代は、
大体1930年代以降の生まれの人たちである。
彼らは自分たちが被害者であり、なおかつ大人たちを一方的に断罪する権利を得たのだ。

例えば河野洋平(1937年)、加藤紘一(1939年)、愛川欽也(1934年)、
菅原文太(1933年)、大江健三郎(1935年)、雁屋哲(1941年) などである。


 もちろん村山富市(1924年)のような例外もいるが、
村山元首相はこの時代の大学生としては珍しく、戦場に行っていない。
徴兵されただけで終わっているのだ。そういう面で、「手を汚していない」人であり、
軍国主義に対して身綺麗であるといえるだろう。

 同様な例は渡辺恒雄(1926年生まれ)にも言える。
彼が徴兵されたのは終戦の1ヵ月前である。


 つまりこれらの人たちは戦後、大人の世代に対して精神的優位に立ったのである。
何か批判されても「お前らは戦争を起こした」と言えば、相手は黙ったのである。


 これは快感だっただろう!


 自分たちよりはるかに年配で、経験豊富の人を「たったの一言で黙らせる」ことができたのだ。


 非常に「面白かった」と思う



 戦後時の若い世代、もしくはその後の若い世代にとって、
大人を黙らせる言葉、「戦争を起こした」というキーワードは
何ものにも代えがたい価値を生み出したのである。


 そしてその成功体験を後押ししてくれるのが中国韓国なのである。


 かつての「被害国?」が現在でも声高に叫んでくれる。
「謝罪しろ」「賠償しろ」とその言葉を聞くたびに、
戦後のミラクルワード「戦争を起こしやがって」という言葉は魅力を増すのである。


「日本は歴史を反省しろ」

「ほら被害国があんなに批判しているぞ。もっと謝罪しろ」


こうやって「一歩的な勝利」をした瞬間を思い出してホルホルしているのである。


 しかし最近段々その神通力が落ちてきた。だから余計に被害国?に傾倒するのである。



 「良心的日本人」の行っていること、それは…


 世代間闘争に勝利したミラクルワードを色あせたくないのである。
そのためには被害国?がいつまでも日本を批判してくれないと困るのである。


 中国と韓国が日本を批判する時、

 良心的日本人は昔の勝利を思い出して噛み締めているのである。


 あの時は「大人を批判して面白かった」……と。






5.贖罪意識の解消

 贖罪とは「罪の償うこと」である。
それは善行を積むことや、金品を提供することで、
罪の許しを得ることである。


 つまり「負い目」を持っている状態、意識があり、
それを色々な行動において解消したいのである。
相手に対して「借りのある状態」「迷惑をかけた経験」等が
「負い目」という意識につながる。こういった状態には「人は耐えられない」のである。


 何とか解消したい。それが贖罪意識を生むのだ。



 この贖罪意識を生み出しているのが、日本が戦後行った「自虐教育」である。
つまり自国を必要以上に悪く言う教育である。


 本来なら、自国が行った「悪いこと」を批判的に教えることは当然であるが、
良いことをやったらそれも教えればよい。


 しかし戦後の日本教育は「悪いことしか」教えない教育なのである。


 「日本は戦前悪いことをした」というと問題ないが、
「日本は良いこともやった」というと反発される世の中なのである。

1995年、当時の総務庁長官 江藤隆美氏がオフレコで
「日本は良いこともやった」といったら、大臣を辞めさせられた。

 これなどは自虐教育の最たるものであり、
韓国や中国への迎合以外何ものでもない。


 なぜ日本は自虐教育を行ってきたのかというと、
それが国民の支持があったからだと筆者は思う。


 「GHQの洗脳が」とか「日教組の教育が」とか色々あるであろうが、
結局戦後の日本では国民がそういう傾向だったのである。


 つまり「戦後は二度と戦争を起こさない」ということが、
戦前と逆に集団ヒステリー状態になったのである。
戦前の「軍国主義」大合唱が、戦後は「非軍事」大合唱につながったのである。


 そういう中で戦後の日本国民の意識は「戦前の日本の否定」から
「戦前の植民地や占領地への同情」にシフトしていったのである。
そして過度に韓国や中国に迎合する心理になるのである。


つまり「戦前の否定」から「被害国?への同情」を生み、
「過剰な贖罪意識」を生む。その「贖罪意識を解消する」ため、「積極的に迎合」する。


 これが日本人の大多数に起きていたのだ。


 そして大多数の人が「過剰な贖罪意識」に感染することで、
韓国や中国が反対する行動をとる人(=例えば、靖国参拝を行う議員等)に、
過度に攻撃的に出るのである。





6.惰性への迎合

 先程の贖罪意識と被る部分もあるが、惰性と言うのも見逃せない。


 「惰性」と言うのは、元々物理学の用語だが、ここでは世間の風潮に迎合することをいう。
世間が右なら右、左なら左と言うようにこれまでの流れに沿って行動することだ。


 戦後の日本は戦前を否定する風潮が強かった。そして戦前の否定から韓国には迎合する傾向があった。


 つまり日本は悪かった


 と言えば、何でも通ったのである。


 戦後の日本では日本は韓国に良いこともやったと言えば、
世間に叩かれて大臣であってもクビになった。
つまり今風の言い方で言うと戦前の日本を肯定する言説は委縮していたのだ。


 こういった状況で生まれるのが惰性である。


 つまり日本を肯定する意見をいうことは躊躇い、
日韓関係のことを言われるととにかく日本が悪いと言っていれば良いのだ。
 

 これは特に番組のコメンテーターなどに多く見られた傾向である。
今から考えると非常におかしなことでも、こと歴史問題になると、
韓国に迎合する風潮が見られたのだ。


例えば25年ほど前には在日コリアンが強制連行された子孫だというのは、
普通にテレビで発言されていた。これも惰性の一形態であろう。






7.まとめ

 上記の3点を繰り返すと以下のようになる。

(1) 日本を叩くことが面白い。
・保守派を叩くのが面白い
・親の世代を叩くのが面白い
(2)過剰な贖罪意識を解消するため
(3)昔からの惰性で。

 と言うことになる。



 こういった動機によって、日本人でありながら、
積極的に韓国人に迎合する良心的日本人が跳梁跋扈することになるのだ。



 ここで注目してもらいたいのは、上記3つの理由はすべて個人的なことなのである。
面白いも「贖罪意識の解消」も個人の満足のために活動しているのだ。


 冒頭で、良心的日本人の言い訳を記載しておいた。
彼らは日本のために、日韓友好のためにあえて苦言を呈していると主張する。


 しかしここまで見ればわかるように、

 それは大嘘なのだ。



 彼ら良心的日本人は個人の欲求を満たすためにやっているのだ。
それが韓国の尻馬に乗って日本批判する楽しさ」なのか
「自分の苦しい胸の内の贖罪意識を解消するためか」何かは知らないが、
個人的な欲求のためにやっているのだ。


 特に最近は日本のリベラルは民主党政権が全然ダメで政権交代の機運すら生まれない。
そういう状況は望ましくないのだ。


 だから声高に日本を批判してくれる韓国に迎合して、その尻馬に乗って日本叩きをすることで憂さを晴らしているのだ。



 良心的日本人にとって、韓国寄りのスタンスをとるのは必然である。

 その目的は自分の憂さを晴らすためである

日本統治時代を韓国人はどう感じていたのか?同時の記録から!

・日本の韓国統治は過酷だったのか?
・当時の記事から類推する
・韓国人は、日本を恨んでいなかった

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 戦後の我々日本人からすると、韓国人は日本を恨んでいたと思うかもしれない。


 そして韓国人が恨んでいるのは、日本が過酷な統治をしたからだと思うかもしれない。


 しかしそれはなのだ!


 日本統治時代は韓国人にも理解されていた。故に韓国では反乱が起きていなかったのだ。


 韓国では3.1独立運動を大げさに取り上げている。
それはなぜかと言うとそれ以外になかったからだ。


 しかし3.1独立運動は1919年に起きた。
その後26年間(日本から独立するまで)は何をやっていたのか?
当時の韓国人たちは日本統治をそれなりに受け入れていたのだ。





朝日新聞の日韓対談

 韓国人、特に韓国の一般民衆が日本人を恨んでいなかった根拠を提示しよう。


朝日新聞に「日韓会談を阻むもの」として韓国人の日本特派員と
日本人の韓国特派員の対談が載った。
その記事からリードの部分を引用する。

いくたびか決裂を見た日韓会談がふたたび開かれる機運にある。しかしこの会談によって直ちに両国間の懸案がことごとく円満に解決されるだろうと期待することは、これまでのいきさつからみても無理だろう。それでは一体日韓関係の円滑化を阻害する原因はどんなところにあるのか。 ~略~

そして
「互いにズレた国民感情」 「投合う“不自然な言葉”」 
「“親日派”を恐れる」 「韓国 表と裏と別の態度」

小見出しが続く。



この対談は最近の記事としても通用しそうである。しかしこの記事が載ったのは
1953年12月4日の朝日新聞である。


今から60年以上前から同じようなことをやっていたのである。





意外に温かい韓国民衆

 この対談は朝日新聞の津島朝鮮特派員とソウル新聞の金乙漢東京特派員との間で行われた。
年齢については不明であるが、金氏は日本の大学を卒業して大正十四年に朝鮮日報に入社と
書いているので、対談当時は50歳を越えているだろう。
また津島氏は年齢が分かる手がかりはないが、写真を見る限り30歳を越えていそうである。



つまり両者とも終戦の時には成人になっていたのである。
そして戦前の朝鮮半島の事をそれなりに理解している人物だろう。


その両者は何と言っているのか?



津島  たとえば街の店に入る。日本人ということがわかると主人が「まあ奥に入って座りなさい」といった調子で温かい空気を感じるが、われわれが官吏を訪問するとガラリと空気が変る。実に冷たい。日本に対しての声明でも非常にきつい。


 ここでは1953年当時に韓国へ行っていた特派員が「韓国民衆の温かさ」に触れている。
これは終戦年後である。


 当然、津島特派員も店の主人の韓国人も日本統治時代の事を知っているはずだ。
それなのに日本に対して非常に親切なのである。


 それはなぜか?




なぜ反乱が起きなかったか?

 私たちは気付かなければならない。
日本の統治がそんなに悲惨な搾取に満ち溢れたものであれば、
どうして大戦中に朝鮮半島で反乱が起きなかったのであろうか?


 確かに朝鮮半島満州の間の「間島地方」等では反乱部隊がいたが、
それはほとんど山賊馬賊の類と変わらない。
そして大韓民国臨時政府などは内紛ばかりでまともな活動ができていない。


 日本の支配が過酷であれば、朝鮮半島内に一番多くの朝鮮人がいるのだから、
反乱を起こさないわけはないだろう。
 事実、李承晩政権は韓国人が反乱を起こして打倒されている。
 朴正煕政権でも何度も民主化闘争を行っている。
 そして遂に1987年に韓国民衆の力で民主化を成し遂げたのではないか?



 朝鮮人が搾取されていれば、大人しくしているわけがない。



 つまり日本の統治は非常に良かったからである。
 だから日本人の統治を知っている韓国民衆は戦後も日本人を歓迎していた。


 しかし反日が売りの李承晩はそれでは困るわけである。
独立運動」しか能がないので、“独立運動は正しい”としなければならない。

それが独立をしたらもっと悪くなりましたでは、自分の正統性を主張できない。
だから日本統治時代は“暗黒時代”でなければならないのである。




作られた反日

 もう少し、記事から引用してみよう。

津島  ~略~ 私が感じるのは韓国の新聞を見ると日本が全然敵国扱いで、日本に関する記事は表現にしても実に最大級の表現でバトウしているし、政府声明も日本に対する友好の心は見当たらない。これは不幸なことだ。

金   そういうことは自然なことではないから日にちをかせげば落着くところへ落着くと思う。

津島記者が政府声明を「敵国扱い」と批判していることに対して、金記者は否定していない。
しかも金記者は「自然ではない」ので「時間がたてば落着く」と主張している。


この当時の韓国人からは反日声明は不自然なものなのだ。


津島  概して個人個人に当ると必ずしもそうではないが、改まった話になるとやはり反日という色彩を非常にはっきりさせてくる。しかしそれがいかにも苦しそうなのです。何か親日に見られることをこわがっているといった感じがするのです。

金   それには原因がある。というのは、日本の敗戦と同時に、韓国の政治の主導権を握ったのは、大多数の国内の人ではなくアメリカなり中国から入った政治亡命者たちだ。最近フランスから朝鮮に帰って来た人の話でも、商売がたきだとか、恨みがあると、あれはドイツと協力したなどと密告して監獄に入れてしまったりするといわれるが、それと全く同じく、あいつはちゃきちゃきの親日派だといわれることがこわいのです。


 つまり敗戦国日本と仲がいいと、批判されるだけでなく、監獄に入れられる。それなら「親日派」とは死んでも言えない。それどころか身を守るために、積極的に反日に勤しむ



 元々、朝鮮民族中華思想による日本人に対する蔑視思想を持っていた。だから「反日」に反応しやすい素地はあった。



 しかし現在の反日は戦後、李承晩が自分の政権の正統性をつくるためのものである。


 韓国大統領が自身の権威を高めるために反日を煽った。それを韓国民衆が面白さのために迎合した。それが事実なのである。


 戦後のマスコミの嘘に騙されてはならない。当時の意見こそが重要なのである。

韓国はなぜ謝っても謝っても反日を繰り返すのか?


・韓国はなぜ反日なのか?
・3つのキーワードを理解する
反日は楽しいのだ

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 韓国はなぜ反日なのだろうか?今回はこれを考えていきたい。



 前回、韓国が反日教育をしているということを書いた。



 ところでどうして韓国は反日をするのだろうか?今回その理由を探ってみたい。

 まず韓国を理解するための3つのキーワード
儒教」「中華思想」「事大主義」を理解する必要がある。





1.儒教
韓国は儒教の国である。
実際には自分の宗教を儒教と答える人は多くない。
外務省によると韓国人で宗教人口比率は約53%
韓国人の半分は宗教を行っている。
うち仏教:42.9%,プロテスタント:34.5%,カトリック:20.6%
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/korea/data.html#section1


しかし韓国の中には儒教が隅々まで行き渡っている
韓国は昔の中国から儒教的考えを受け入れ、そのまま国の基本としてきた。
現代の韓国人には儒教をやっているという意識はあまりないが、
習慣として多くの風習が残っている。


儒教は中国の孔子によって作られた宗教で、色々なことがあるが、
ここで重要なことは「秩序を重んじるもの」ということ。
秩序…つまり上下をハッキリさせることである。

現在でも儒教国家の中国では国家の序列が明確に決まっている。
序列第21位何てものも決まっている。
これは「秩序を重んじる国家及び宗教」だからである。


韓国は以前半島が統一していた時には「高麗」や「李氏朝鮮」と言った。
こられの国でも中国とは比べ物にならない程小さな国だった。


そういう小国朝鮮からすると大国中国と付き合っていくためには、
中国の決めた秩序である儒教を身につけることが有効であった。
つまり儒教は朝鮮にとって身を守る手段となったのだ。





2.中華思想

中華思想は、中国がこの世の中心であり、この世の全てである。
この世のすべからく中国のものである。
そしてその中心たる中国から外へ行くほど野蛮人の国になるという考え方である。


これも中国と言う巨大な国家と隣接する韓国には必須な考えである。
そして韓国にとっても都合の良い部分があった。


つまり中国は一番で、その外にある韓国はその次、
その外にある日本は韓国より野蛮人の国である、という考えである。
その野蛮人の国である日本は、常に韓国より下の国でなければならないという訳である。





3.事大主義
 事大主義とは「大に事(つか)える」という考えである。

 中国という巨大国家に隣接していた韓国にとっては必然な考え方である。隣に余りにも大きな国家がある故に、その国に逆らわず、属国になることで辛うじて独立を守ってきた。


大きな国中国とは事を構えるだけ無駄で、逆らわず、衝突せず、言いなりになることで国が存続してきた。故に「大きな国に付く」という癖がついてしまったのである。


 事大主義が判断に間違えるとどうなるか?
明から清へと中国の政権が変わるなかで、
当時の李氏朝鮮は明に付くという失敗をする。


その結果、李氏朝鮮は清に対して屈辱的は条約を結び、
李朝の王は三跪九叩頭(つまり土下座の酷いモノ)させられ、完全服従をした。

 
故に韓国はその度に強い国についていったのである。
それが小国韓国の生きていく道であった。
李氏朝鮮時代は清の国に、その後はロシア、
そして日本、日本が負けるとアメリカに事大するようになる。





4.アメリカへの迎合

上記の3つのキーワードが分かると反日の真相も見えてくる。


つまり最初はアメリカに事大するための自己弁護だったのである。
「私達は日本と仲良くないですよ」というアピールとして反日があった。


戦前、韓国はむしろ日本と一緒になって戦っていた。熱心に協力していたのだ。
当時、朝鮮半島には徴兵制が施行されていなかった(末期には施行された)が、
志願兵は募集されていた。その志願兵は50倍の倍率だったのだ。



みんな日本の軍隊に入りたかったのだ。




しかし日本が負けて、アメリカが占領すると韓国人の事大主義が発揮される。
積極的にアメリカの迎合するようになる。


日本が負けて、日本が小の国になり、新たに大の国として君臨するのはアメリカなのだ。
日本と戦っていたアメリカに事大するには日本と距離をあける必要があった。


そしてアメリカに事大するには、日本の時代を美化する訳にはいかない。
故に反日を行い、日本時代の良いことを抹殺している訳である。


そのために日本と一緒に戦っていた歴史を抹殺して、日本に弾圧されていた歴史を偽造したのだ。





5.李承晩の登場

そしてアメリカに事大するために必要だったのが、
李承晩という反日及び独立運動を売りにしている大統領だったのである。


李承晩は韓国の独立運動をやっていた。彼は大韓民国臨時政府の初代リーダーだった。
しかしその後追い出されて、その後はアメリカで細々と活動していたのが実情だった。


彼の役割はアメリカでロビー活動をすることと、
韓国系アメリカ人を組織して募金を集めることであった。

資金集めはそれなりの成果があった(そのために大韓民国臨時政府は助かっていた)が、
ロビー活動は全く相手にされなかった。


それ故に韓国人で独立の貢献があった人物は皆無だった。
韓国が独立したのは日本が戦争に負けたからだ。
そしてそれは独立運動をしていたからではない。



しかし戦後アメリカに事大するために英語も話せて(40年間もアメリカにいたので)、
独立運動をやっていた李承晩が必要だった。





6.生活の困窮

そんな李承晩にとっては独立運動をしていたことが自らの権威となっていた。
つまり彼にとっては反日が価値を持ってもらわなければならなかった


しかし韓国国民の生活は違った。
日本時代に韓国人が反乱を起こさなかった(末期でもほとんどない)のは、
生活に困っていなかったからだ。


だが独立したのは良いが、むしろ国民生活は困窮した。


日本時代に経済発展をしていた韓国だが、戦後はインフレの増大(経済政策の失敗)、
コレラの発生、共産主義の広まり等によりデモが頻発していた。


朝鮮史が専門のアメリカ人ブルースカミングスによると、
日本の統治時代の末期は一人当たり茶碗2杯分のコメを配給していたが、
戦後はアメリカが自由経済を広めたために買い占めが起こり、茶碗1杯分になった。


つまり食糧事情が悪化したのだ。


デモの頻発にはそのような理由があった。
1946年10月には大邱で大規模なデモがあり、
それに対して警官隊が発砲するということがあった。
その行為に激高したデモは暴徒化し、
警察関係も含めて約1千人の死者が出る騒ぎとなった。


 アメリカの統治下でも反対運動は普通に起きていた。
ただしこれには共産主義者の扇動の部分もあることは留意すべきである。





7.反日教育の強化
 1950年~53年まで行われた朝鮮戦争。これが終了した時に強化されたのが反日教育である。
 大統領が命令していた反日教育に関してはこちら
 

 なぜ朝鮮戦争後に反日教育が強化されたのかと言うと、
李承晩大統領には2つの側面があった。それが反日反共だ。


 戦後の大統領として、日本と戦ったアメリカに事大するために李承晩を選んだのだが、
アメリカの戦後の敵はソ連、つまり共産主義だ。


 後ろ盾のアメリカの歓心を買うためにも、そして北のライバル金日成に対抗するためにも
「反共」は李承晩にとって必要なことだった。
 李承晩にとって「反共=北朝鮮の打倒」が自らの求心力を上げるための手段だったのだ。


 しかし朝鮮戦争が終わることでその目的は達成できなくなった。
戦争終結により、反共はスローガンとしては存在しても、政策をしては実現不可能になった。
 余談だが朝鮮戦争の停戦に韓国は調印していない。
北朝鮮と中国、国連軍は調印しているが韓国がしていないのは、
彼らが朝鮮戦争を再開したかったからだ。しかしアメリカにはその気がない。
そのため反共は実現できなくなった。


 その代わりに強調されたのが「反日」だった。


 事実、先の引用でも1954年10月に大統領命令が出ている。
これは朝鮮戦争が終わり、1年以上たって戦争再開がほぼ無理になってから起きたのだ。


 戦争終結後には休戦会談があった。
その際、李承晩は「90日たってまとまらなければ戦争を再開させるべきだ」とアメリカに主張している。
 休戦後にも戦争再開を一生懸命働きかけていたのだ。


 しかしそれができなくなって、自身のために反日強化を推進したのだ。


 事実、当時の韓国に駐在していた朝日新聞の津島記者の1954年6月ごろの記事で、
「1年前には大いに語り合えた韓国の友人が、今は会うことも難しくなっている」と述べている。


 この時期に韓国の反日教育が強化されていったのは間違いない。





8.反日の娯楽化

 その後、反日教育が推奨され、一般的に反日が行き渡った。
日本統治時代を知っている人はそれが間違いであることは理解しているが、
事大主義から声を上げられず、反日的言説だけが吹聴されているのが実態だった。


 そして最近行われているのが、反日の娯楽化だ。
つまり日本を批判しているのが楽しく、面白いという状況になっている。


 そう…反日面白いのだ。


 なぜなら反日は差別だから。※それについては今後書いていきます。


 現在彼らの中には反日は楽しい娯楽なのだ。





9.つまりこういうことだ

つまり韓国人に元々あった日本人に対する(中華思想に基づく)蔑視思想があり、李承晩政権で反日政策が推奨され、
その中で「日本及び日本人が批判される=正しい」というコンセンサスが出来てしまったことが、今日の反日=韓国が出来た所以である。


それだけではなく反日=日本人への蔑視=楽しいという「差別=娯楽」ということまで
韓国政府がお墨付きを与えてしまったのである。


差別は楽しい。

これは人間の性であると筆者は思う。
故に差別を国家の政策にする国は古今東西枚挙に暇がない訳である。
昔のドイツの政党しかりである。


しかし民族や宗教に対する差別を煽ることは非常に危険である。
多くのケースで歯止めが効かなくなる。


なぜなら差別が人間の性である以上、
国家が煽らなくても自然に差別をするようになるからである。


ほっといても個人レベルで行う差別を国家が推奨するのだから、
過激な行動を助長される可能性が非常に高いのである。


だから世界中のコンセンサスとして、先天的に行う個人レベルの差別に対して、
「差別はいけない」と後天的に教育していかなければならない。



しかし韓国は差別=反日を国策としてしまった。それも少なくとも1950年代から…。


これこそ現在の日韓関係の悪化の主因である。
韓国が国家を挙げて、反日教育をしてきたことが日本人の気持を逆立て、
日本人と韓国人との間に抜き差しならない関係を作ってきたのである。




まとめると

①元来持っている日本人に対する(中華思想に基づく)蔑視思想
②それを利用した李承晩政権の反日政策(その後の継続)
③事大主義に基づく、韓国国民の反日への積極的迎合とそれに伴う娯楽化

上記の3点が指摘されると思う。


反日は韓国の屋台骨になっている。故に韓国自ら修正することは難しいだろう。


しかし韓国が反日を克服しない限り、
つまり韓国で「反日が国是」という風潮を改めない限り
これからも日韓関係は悪化するだろう。


そう…もう日本人は我慢しないのだから。

韓国における反日教育の実態

 

 

 

よく韓国人に「韓国は反日教育をしている」というと、「韓国は反日教育をしているのではなく、事実を教えているだけだ」と主張することがある。

 

だが、韓国は反日教育を行っている。

これは筆者の主張ではなく、韓国政府が明確に認めているものである。


今回は韓国が反日教育をやっているという根拠を提示する。

 

 

 

朝日新聞 1954年10月14日 

 

以下の出典は1954年10月14日の朝日新聞1面である。

赤字は筆者 

 韓国で反日教育 李大統領、全国に指示 【京城十三日発=ロイター】

 

 韓国文教部スポークスマンは十三日「全国のすべての教育施設に対し、反共と反日道徳教育とを同程度で強調するようとの大統領の指示が発せられた」と次のように発表した。

 李承晩大統領は共産主義者が民主主義政府および国民に比べていかに残忍であり、独裁的かつ野蛮であるかを教えるとともに、日本帝国主義の侵略性およびその韓国に対する悪意に満ちた態度を生徒に教えるよう命令した。またこの新指示は、韓国経済を独占しようとする日本の陰謀に対する対抗措置を準備するため、教師および大学教授に命じ、生徒を激励させようとするものである。

  

どうであろうか?

韓国に対する悪意」を教えると明記している。恐ろしい話である。

  

この反日教育はその後見直された形跡はない。つまり1954年以降
60年以上に渡って続けられているのである。

 

念のために書くが、これは朝日新聞のスクープではない。
韓国政府が記者会見をして発表しているのだ。公式に。

  

 

 

日経新聞 1954年12月7日

 

他にも同時期のこのような記事もある。これも韓国政府が公式に発表している。

赤字は筆者 

韓国で反共反日講義

 

京城六日発AP=共同】

韓国文部省は六日、韓国の全小・中学校に対し、少なくとも一週間に一回は生徒に「反共反日観念」を教えるための特別講義を行うよう命令した。

  

 すべての小学生と中学生に週1回以上の「反共反日観念」を教える、
と明言している。小さな子供にこんなことを教えているのだ。 

 

 これで反日にならない方がおかしい。

  

 少し考えてもらいたい。日本のすべての小学校と中学校で、毎週1回の嫌韓教育が行われていれば、日本人が嫌韓にならない訳がない。

 

 しかも国家をげて、義務教育で行っているのだ。

 

 これが反日教育でなくて何なんだ?

 

 

 

さらにこういうことがある。

作家で評論家の呉善花によると小学校の時

http://ironna.jp/article/1307

赤字は筆者

 

教室の黒板の上には、真ん中に大統領の写真が掲げられ、その両脇に「反共」「反日」と大きく書かれたポスターが貼ってある。

  

同様なことは別の例でもある。

以下の出典は朝日新聞の1995年6月21日5面の社説の冒頭部分である。

赤字は筆者 

韓水山(ハン・スサン)さんは、韓国の人気作家の一人である。
植民地支配から解放された翌一九四六年に生まれた。

 小学校に入って初めての習字の授業で、先生が二つのお手本を書いた。「反共」と「反日」。どちらでもいいといわれたが、韓さんは少しやさしいと思って「反日」と書いた。うまく書けたとほめられた。これが日本との出会いだった。  ~後略~

  

また韓水山氏の著書でも同様な記述がある。(「隣の日本人」P1~2) 

 植民地時代が終わった翌年に生まれた私は韓国でも最も厳格な反日教育を受けて育った世代である。習字の時間に私の書いた「反日」という文字を先生が褒めて教室の壁に貼ってくれもした。その時から私は「反日においては優秀な生徒」となった。

  

韓水山氏のプロフィールはこちら参照

 

反日」と書いて、ほめられている。

上記のような教室で学べば、普通、子供たちは反日になっていくだろう。

  

 

 

現在ではないのか?

 このように書くと韓国人はこう反論するだろう。 

 これは昔の話だ。今はやっていない…と。

 

 

 それなら韓国人に聞こう。いつめたんだ?…と。

 

 少なくとも反日教育をやっていたのは事実だろう。
 じゃあ、いつ止めたんだ?
 
止めたと証明できない限り、続いていると思うのが当たり前だろう。

  

 こちらは反日教育をやっている根拠を出した。
 独裁政権の李承晩が命令をして、すべての小・中学校で
週1日以上の反日反共観念を植え付けていることを、
韓国政府の発表として示した。

 

 じゃあ、いつ止めたのかを示すのは、韓国側だろう。

 

 

 悪魔の証明という言葉がある。

  「悪魔でない」と証明することはできない。
 つまり「止めてない」と証明することはできないのだ。こちらが「反日教育をやっている」と証明した以上、「止めた」という証明がない以上、続いていると思わざるを得ないのだ。

  

 

 

いつ反省したのか?

  それから韓国が日本に歴史問題で批判する時には、「真摯な反省」を求める。これは彼らの言葉によると、真摯な反省をしないと「また繰り返す」からだ。

  

 じゃあ韓国はいつ反省したんだ?反日教育をやったことをいつ反省したんだ?反省しなければやるのなら、韓国はまさに反日教育に関しては一切反省していない

  

 韓国は戦前のことを現在でも追及している。
 日本のこと、韓国内の親日派のことを現在でも追及している。それは「誤ったことを訂正し、反省しないとまた繰り返すからだろう」

 それなら戦後のこと、1954年のことを追求するのは当たり前だろう。今すぐプロジェクトチームを作って、当時の実態を暴き、当時の責任者を処罰して、真摯に反省して、日本に対して謝罪しろ!

 反日教育をやってすいませんでした…と。

 

 そして日本に対する謝罪像を作って、
   全国各地に建立しろ!

 

 こういうことを考えると、現在の80歳くらいまでの人は反日教育で染まっていると見做すべきであり、本人たちには「反日をしている」という意識もないたり行動になっていることが十分に想像できる。

 

 韓国においては、親日派売国奴であり、日本擁護の発言をすることは社会的に非常なマイナスを被ることを意味する。だから我が身を守るためにも、そして親日派のレッテルを張られかねない人は尚更、反日をしなければならない。

  

 だから日本人も「文在寅氏は従北だから…」とか甘い考えを持つべきではない。誰がなろうと韓国反日めないのだ。いやめられないのだ

  もしそういう勇気のある人が現れるとすれば失脚するか、少なくとも大統領候補になる程出世しないだろう。

  元々、韓国人は併合時代の日本に対して否定的な意見を持っていなかった。日本人への親近感さえ持っていた。しかし「反日教育」によって徐々に世論は変化していった。

  

数年前、韓国で38歳の男性が95歳の老人を撲殺するという事件があった。

https://www.youtube.com/watch?v=PjegTsraoqo

 

これは95歳の老人が「日本時代は悪い時代じゃなかった」という主旨の発言に激高し、老人の杖を取り上げて撲殺したものである。年長者を尊ぶ儒教の国も落ちぶれたものである。

 

しかしこういう人物を作り出してきたのは韓国反日教育ではないのか?

 

 

 

 

まとめ

 まとめると、韓国は反日教育をやっている

 それもつい最近やっているのではなく、1954年以来、大統領命令で子供たちの反日教育をしてきたのだ。

 その内容は週1回以上、全ての小学校、全ての中学校で反日の特別講義をするものだ。この時の対象は「反日」だけではなく、「反共」も対象だが、いずれにせよ韓国を侵略した北朝鮮と同じ”憎しみの対象”として日本を位置付け、教え込んできたのだ。

 そして反日教育を主導してきた初代李承晩大統領がいなくなっても、韓国歴代政権は自国をまとめ上げることに、反日を利用してきた。


 韓国の反日教育。これは現在では教育現場だけではなく、国民の意識の隅々まで沁み込んでいる。韓国世論を作っているのはこの空気だ。
 故に韓国で反日を止めようと持っても絶対にうまくいかない。

 現在の民主国家韓国では、反日に逆らうことは政治的社会的に死を宣告されるのも同様だからだ。

 だから韓国は、反日を絶対に止めないだろう